2008年10月28日

モンスター

一線を踏み越えてはいけないと思っている。信条というほど大袈裟なものではないが、自分なりの大事な決まりだ。
例えば、テレビを観ていて納得いかなくても決してテレビ局に電話をかけたりはしないこと。町を歩いていて意に沿わない何事かを見つけたとしても安易に役所に苦情を申し立てたりしないこと。
何故かと思う人もいるだろう。テレビ局は公共の電波を使って事業を営んでいるのだから、むしろ監視すべきなのであると。あるいは、市民は税金を納めているのだから、それが正しく使われているかどうか気にかけるのは当然であると。
それもまた正論であるとは思う。しかし、僕の決まりは僕の決まりであり、それはどちらかというと、社会正義よりも自己防衛のための云わば歯止めなのである。

ところで、麻生総理が夜な夜なホテルのバーに通って一杯やっているというので批判されているという。別に「庶民」が批判しているわけではない。だって、いかに総理大臣とはいえ、自分の金で、自分の時間で飲んでいる分には文句のつけようがないではないか(別にそのせいで二日酔いになり公務に差支えが出たというわけでもあるまい)。
つまり、批判しているのは一部の(ご立派な)マスコミだけなのであり、彼等は麻生氏が一日の終わりのささやかな楽しみとしてグラスを傾けるのさえけしからんと言うのである。
これと、いわゆるモンスター・ペアレントといったい何処が違うのか、と思う。
僕にはその違いが一向に判らない。

クレームは人を狂わせる。また、僕はそれほど強い人間でもない。それを知っているからこそ、あえて「苦情言うまじ」と自分自身を戒めているのだが、要するに僕は自分自身をあまり信用していないのである。
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2008年10月27日

ブラジル!

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殿さまキングス

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殿さまキングスの「ブラジル」。そのジャケット写真。
コーヒー豆とジャングルのコラージュを背景に、カナリア・カラーの文字がゴクラクチョウとカーニバル・ダンサーを上下それぞれ左右に従えて「ブラジルっぽさ」を演出している中、紋付袴姿の4人のメンバーが落語家の襲名披露よろしくこちらに向かって軽く頭を下げている。何だかとっても怪しい。

が、怪しいのはジャケットばかりではない。収録曲は、「恋は紅いバラ」あるいは「けい子のマンボ」などのラテン系リズムを基調としたヒット曲のほかは、どれもこれも初めて耳にするものばかりだ。
しかし、いずれもそのグレードは高い。
かの「幻の名盤解放歌集」にも収録されていた三浦正弘とアロハ・ブラザーズの名曲「ラリラリ東京」をカバーした「メロメロ東京」。ダディ竹千代と東京おとぼけキャッツを彷彿とさせる名演「港町まっさかさま」。下品な歌詞が最高な「鏡よかがみ」。オーソドックスだが聴き応えのある「裏町哀歌」の名唱。「ロロ子は18 流れ唄」の素晴らし過ぎる歌詞・・・。
奄美諸島ハワイブラジルと何故か「日系」周辺をウロウロするだけのワールド・ミュージックも、いかにも殿キンらしくてよい。

宮路オサムの唄を聴くと、強烈にその顔を思い出す。思い出さずにいられない。いや、聴くまでもなく、その歌声を想像しただけであの目元口元が脳裏に浮かんで来てしまうのだ(僕の中では「エンタテインメントな曲を歌っている時の小川知子」と双璧をなす)。
いやとにかく、一聴の価値あり、です。

※そうそう、解説によれば、「恋は紅いバラ」の最高にカッコいい「ウッ!」は、リーダー長田あつしがペレス・プラード本人から直々に指導を受けたものだそうであります。

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ペレス・プラード楽団

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2008年10月26日

八百長

「大相撲に八百長はある」と思っている。これは誰を信じるか、もしくは誰を信じないかというような問題ではなく、あくまでも僕の実感から来る結構決定的な認識で、相当昔の「千代の富士−朝汐」戦がその元となっている。
確か千代の富士の優勝がかかった一番であった。立会いから、朝汐は千代の富士を土俵際まで一気に押し込んだ。僕は朝汐の勝ちを確信したが、その一瞬後、今度は千代の富士が朝汐を一直線に反対側の土俵際まで押し返し、何とそのままあっけなく寄り切ってしまった。
何とも不可解な取り組みであったが、驚いたのは勝った千代の富士がこの時苦笑していたことである。
「おいおい、やり過ぎだよ」・・・その表情はまるでそう語っているかのようだった。

一方で、小泉純一郎元総理が発した「感動した!」でも有名な「貴乃花−武蔵丸」戦がある。前日の無双山戦で右膝を亜脱臼したがそのまま千秋楽に臨み、本割で敗れ同じ星となった優勝決定戦で見事武蔵丸を倒したあの大一番だ。貴乃花は再起不能を覚悟しての強行出場。鬼の形相で手にした横綱最後の優勝であった。
誰もこれを「八百長」とは言わない。僕ももちろんそんなこと思ってもいないが、しかし僕はまた同時に、仮にこれが単に力対力、ガチガチの力勝負でなかったとしても少しも構わないとも思っているのだ。もしそうだとしても、あの感動は少しも色褪せたりしない。それは決して「八百長」ではない。もっと性質の異なる「何か」である。

変な例えかも知れないが、特撮映画のピアノ線が見えたからといって誰も文句なんか言わないだろう。観て面白ければ、あるいは興奮(感動)出来ればいいのであって、野暮は言わないのがお約束というものだ。何故映画の話をしているのかというと、実は大相撲も同じなのではないかと考えているからである。「スポーツ」としての「相撲」と「大相撲」は明確に区別して扱わなければならないものなのではないか、とも思う。
もちろん、行き過ぎた「かわいがり」を含め改めるべき点は多々あるのだろうしチープな「八百長」など論外だが、単純な「スポーツ」論に収斂されてしまうのでは大相撲がますますつまらなくなってしまうばかりではないか、とちょっと心配なのである。

僕の祖父さんは、場所が始まるとテレビを観ながら毎晩自前の星取表を付けていた。そして、それを大事そうに、いつも決まって、愛用していたガラスの徳利とお猪口のしまってある食器棚に「隠して」いた。今、あんなことをやっている人間は、多分いないのだろうな。
posted by og5 at 18:50| Comment(17) | TrackBack(0) | 雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年10月19日

ラモリスの想い出

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アルベール・ラモリス監督の「赤い風船/白い馬」が、10月24日より三日間、秋田有楽町のシアタープレイタウンにて上映される。
「赤い風船」はもう20年以上も前に、秋田大学の学園祭で観た。ラモリス監督のファンで、当時所属していた映画自主上映サークルの会合でも、再三同監督の「フィフィ大空をゆく」をプッシュしたが、ついに叶わなかった。
「フィフィ大空をゆく」を初めて観たのはNHKのテレビ放映で、確か土曜の午後、ひとりきりの居間で、まだ中学生の僕は詩情あふれる映像にうっとりしていた。長年憧れていた映画だったので、自主上映が叶わないと決まった途端、しょうがないのでレンタルビデオ屋から借りて観たのだが、高過ぎる期待故かかなり退屈に感じられた。やはり映画館(映写機による上映)で観たかった。
ラモリス監督には「素晴らしい風船旅行」という作品もあって、老科学者と少年の気球による冒険旅行を描いている。この作品においてラモリスが採用した「ヘリヴィジョン」という撮影手法は、多分ヘリコプターから撮影するというだけの代物かと思われ、冒頭のクレジット・タイトルにはずっとプロペラの影が映っていたけれど、これもまたのどかで微笑ましい。
考えてみれば、「赤い風船」も「フィフィ大空をゆく」も、そして「素晴らしい風船旅行」も、全て「空を飛ぶ」ことがテーマあるいはモチーフとなっている。映像が音楽のように沁み込んで来る、広がって行く、あふれ出す。そして、そこに詩が生まれる。
24日が待ち遠しい。

※「赤い風船」の可愛らしい少年はラモリス監督の実の息子パスカルで、「白い馬」にも出演している。ラモリスにオマージュを捧げた「ホウ・シャオシェンのレッド・バルーン」も同時上映される。
posted by og5 at 17:24| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

演歌じゃない!!

映画「歩いても 歩いても」で、父(原田芳雄)が音楽の好みの問題でむきになり思わず声を荒げてしまうというシーンがある。夕食の食卓、嫁(夏川結衣)が、「(クラシックのレコードが随分ありますけど)他にはどんなジャンルの音楽をお聴きになるんですか?」と訊ねると、「まあジャズかな」なんて結構カッコつけて応えた後で、「でもカラオケで『昴』が十八番だそうじゃないか」と家族に茶化されて思わず怒鳴る、という展開。
その熱いひと言が「『昴』は演歌じゃないだろう!!」であった。

大いに笑ったが、しかし演歌も大好きである僕は同時に少し考えてしまった。谷村新司には何の恨みもないけれど、「『昴』を演歌だなんて言ったら演歌に怒られる」と逆に思ったのである。
家族にとってみれば「昴」も演歌も同じようなものというのがオチなのだろう。しかし、そもそも、「昴」の(多くはこの曲をカラオケで素人が歌う時の)カタルシスと演歌のそれとは全く別物である。つまり、立派過ぎるのだ。
立派じゃないのがいいところ。下世話なところがいいところ。だから、ここが演歌の「キャッチ22」で、実は馬鹿にされることをもって良しとすべきなのかも知れないな、と僕はふと考えた。

今では多くの演歌が(多分ひと頃のニューミュージックブームの影響を強く受けて)それ自体変質してしまっているようにも思われる。
元々流行歌は「世に連れ人に連れ」というくらいだからそれでいいのかも知れないけれど、ご立派な演歌なんてやっぱりあんまり面白くない。
頭の中に急に宮路オサムのニチャッとした顔が浮かんだ。
「殿さまキングス聴かせるぞ!」と相手もいないのに密かに呟く日曜の午後である。

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2008年10月17日

愉快な「ジーヴズ」

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ジュンク堂書店で本棚の間をぶらついていて偶然に見つけたP・G・ウッドハウスの「ジーヴズの事件簿」は、今やなくてはならない僕の夜の友(ナイトキャップ)となっている。

英国の上流階級に属するバーティ・ウースターというちょっと頼りない(しかもかなりお馬鹿な)若主人が語り手である。ジーヴズは彼の執事で、ご主人様が目覚めるとちょうど二分後に完璧な紅茶を持って部屋に入って来るという特技を持っている。
やっと半分くらいまでしか読み終えていないから断定は出来ないのだが、あえて言ってしまえば「ジーヴズの事件簿」の中に「事件」はない。「CASE」というよりも「PROBLEM」であり、それは他人にとっては本来全くどうでもいい話である。
世話好きの叔母に無理強いされた結婚相手から逃れたり、惚れっぽい親友の窮地を救ったり、滞在先のアメリカにやって来た同郷の男に芝居に出るのを止めさせるため四苦八苦したり・・・。
だが、それがひとたびP・G・ウッドハウスの手にかかると、本当に面白くて面白くてしょうがない「お話」になってしまうのである。

芝居好きの男「シリル・バシントン=バシントン」についてバーティとジーヴズが交わす会話が最高だ(以下引用)。

「聞いたことのない名前だ。おまえは聞いたことがあるか、ジーヴズ?」
「バシントン=バシントンというお名前は存じております。三つのバシントン=バシントン家に分かれておりまして──シュロップシャーのバシントン=バシントン、ハンプシャーのバシントン=バシントン、それにケントのバシントン=バシントンでございます」
「イギリスもずいぶんバシントン=バシントンを貯めこんだもんだ」
「さようでございますね」
「急に品薄になる恐れはなさそうだな?」
「はい、おそらくは」

あまりセンスのよくないバーティがおかしな色のシャツや靴下を買って来るたびにジーヴズとの間がギクシャクするのも可笑しい。
いや、これは実に面白い本ですよ。
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2008年10月15日

「立ち合い」について

13日の夜、NHKの「お宝TVデラックス」を観た。
チャンネルをガチャガチャやっていたら(という表現も古いが)大鵬−柏戸の取り組みが目に飛び込んで来て、懐かしく、そのまま番組が終わるまで観ていた。
「スポーツ大特集 あの感動の舞台裏」というのがその夜のサブタイトルで、だから画面には、大鵬−柏戸以外にも、貴ノ花−輪島などの「名勝負」が次々に映し出されるのであった。

ところで、僕にはその「名勝負」を観ていてとても気になったことがある。
誰も立ち合い時に両手をついていないのである。いや、片手さえついていない。
今角界は様々なスキャンダルで大揺れとなっているが、おそらくはその綱紀粛正の一環として、また「心・技・体」の復活のため、土俵上のマナー改善についても取り組まれているわけである。
しかし、そもそも「黄金時代」の名横綱、名大関からしてそんなマナーなど守ってはいなかったのだ。

元NHKアナウンサーであった杉山邦博氏が語るその当時の大相撲はとても魅力的だ。今でも鮮明に憶えているという大一番を、目を閉じて寸分の狂いもなくスラスラ実況する「杉山アナウンサー」には、本当に胸が熱くなった。
きっと、問題は立ち合いの両手付きの不徹底などではない。
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2008年10月14日

三浦和義事件

「三浦和義事件」という本がある。
推理小説作家・島田荘司のノンフィクションで、そのタイトルが示すように三浦和義をめぐるあの一連の出来事を(執拗に)追いかけている。
この本には誰もが納得するような結論はない。が、正義とは何か、と改めて読む者に(答えようのない問いを)問いかけて来る。

いわゆる「ロス疑惑」は、週刊文春の連載記事「疑惑の銃弾」から始まった。そのこと自体は批判されるべきことではないし、公権力が手を下そうとしない重大な疑惑について世に問うことはマスコミの使命のひとつでもあろう。しかし、それによってある構造が生まれてしまったこともまた事実であり、簡単に言うとそれは「世間(マスコミ)が判断していいのだ」という風潮なのであった。
もちろん、ここには三浦自身の性質も大きく影響している。彼は、明らかにいかがわしい。
だが、法的正義と被告の(あるいはまだ被告ですらない疑わしい人物の)性格とは、それがいかに胡散臭いものであったとしても、決して同じ秤に(それだけを抜き出して)かけるわけにはいかないものなのではないか。

あえて断っておくが、もちろん僕は三浦和義を擁護しているのではない。島田荘司は社会的私刑(リンチ)への嫌悪感からか幾分三浦に肩入れしているようにも感じられるが、しかし、「三浦和義自殺」の号外を、新たな公演のチラシででもあるかのように笑いながら受け止める人々を見ると、あの時蒔かれた種が確実に育っていると厭でも実感せざるを得ないのだ。そして、今こそ僕達は島田の「三浦和義事件」を読み返すべきではないのか、とも思うのだ。

今回の「自殺」についても、擬装自殺に失敗しただけなのではないか、というような見方が世間にはあるのである。そして、三浦和義という人が、そんな想像すら「もしかしたら」と思わせずにはおかないような特殊な人物であったこともまたまぎれもない事実なのである。
真相は闇の中。
でもやはり、僕達は法によらず自ら人を裁くべきではない。

三浦和義事件 (角川文庫)三浦和義事件 (角川文庫)
島田 荘司

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2008年10月13日

「歩いても 歩いても」〜思い出す夏

映画「歩いても 歩いても」サウンドトラック映画「歩いても 歩いても」サウンドトラック
ゴンチチ

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見事だ、とまず思ったのだった。
それは映画が始まってまだ数分も経っていないほんのプロローグ部分を観ていた時のことだった。そして、物語が進むに連れてその思いはますます強くなる。
スクリーンには、他愛もないことを話しながらお昼の準備をする母(樹木希林)と娘(YOU)が映っているだけだ。あるいは、居場所のない家から逃れて散歩する父(原田芳雄)のかくしゃくとした後姿があるだけだ。が、とにかく見事なのだ。
疎遠になっていた息子(阿部寛)が妻(夏川結衣)とその連れ子を伴って家に帰ってからも、映画は一切揺るがない。こういう言い方は妙かも知れないが、しかし今はその他に言葉を思いつかない。

横山医院は、久方振りに大賑わいだ。医院ももう閉めてしまい、普段は年老いた夫婦二人暮らしなのに、今日は次男夫婦と長女夫婦、それにそれぞれの子供達も合わせ全部で7人も「お客様」がいる。
今日は死んだ長男の15回目の命日で、だから、母は大忙しなのだ。彼女の必要以上の張り切り、しつこいくらいの長男の思い出への言及は、父の寡黙な寂しさと表裏一体で思わずしんみりさせられるが、「お祖母ちゃん家」という言葉を巡るユーモアがそれを救ってくれる。
ほぼ何も起こらない。食事をして、言い合いをして、墓参りをして、また食事をして、風呂に入り、一夜明けて帰って行く。
そこにある父と息子の緊張感も、姑と嫁のやり切れないさや当ても、考えてみれば僕達の日常にいくらでも転がっているもので、だが、スクリーンに展開されているのは何とも魅力的な日本の夏であり、日本の家族なのであった。

次男の昔の写真を見る母と妻と子。ひとりでいる父。母が丸ごと抜いて来たので空っぽになってしまった箪笥の引き出し。一転、廊下をかける子供達の足音。そして明るい夏の昼。
是枝裕和という監督は、本当に子供を描くのが上手いと思う。
結局は修繕され得なかった風呂場のタイルと同じように、人生においてもほころびは必ずしも修復すべきものではなく、半分崩れながらも何となく続いて行く。
これは思い出す夏の映画で、息子の墓参りの珍しく化粧をした母と、彼女に引き抜かれたひまわり、そして遠く電車が見える坂道をゆっくりと下る家族を景色として、ゴンチチの音楽が優しく流れる。

※秋田FORUS8階シネマパレにて上映中。
 10/11(土)〜10/31(金)
 (1)10:20〜 (2)15:05〜 (3)19:50〜
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ふわふわ派? ごわごわ派?

世間では「ふわふわタオル」の好感度が随分と高いらしい。
P&GのCMでも、「新しい『ボールド』なら、ごわごわタオルもふわふわ!」などと言っているし、内藤大介も「ああ〜柔らか〜い(ハートマーク)」と実に幸せそうだ。
でも、僕にはこれが納得いかない。
僕は断然「ごわごわタオル派」なのである。

もしかしたら、と思うことがある。
僕の母はガサガサの手をしていた。僕が幼い頃から既にそうで、だから、よく腹痛を起こす子供であった僕は、そんな母の手で腹を撫でさすられているうちに、その「ガサガサ(あるいはザラザラ)」をいつの間にか優しいもの、好ましいものとしてごく自然に受け入れていたのではないか、と思うのである。つまり、その刷り込みがタオルの好みにも少なからず影響しているのではないか、と。
「ふわふわタオル派」の人は、すごくいいとこの子なのかも知れない。

それに第一「ごわごわタオル」の方が機能的にも優れている。
買ったばかりのタオルはちっとも水気を吸わない。ふわふわしていて、さらさらしていて、僕の身体の水分にはあまり興味もなさそうだ。二つ折りにして身体を拭こうとすると、タオル同士でスルスルと滑るばかりでちっとも身体にまとわりつこうとしない。
そう、圧倒的に摩擦係数が少ないのである。

お前に求められている機能の第一は肌触りではなく吸水力だ、と声を大にして言いたい(出直して来い!)。
まあ、タオル相手にそんなにむきになるのもどうかと思うのであるが。
posted by og5 at 10:39| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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