2005年06月28日

MUSIC BATON from tomoska

愛妻tomoskaからのmusic batonを受けて、以下書き込む。

■Total volume of music files on my computer (コンピュータに入ってる音楽ファイルの容量)
一時ファイル等を除くiTunes用フォルダの容量だけで5.23GB。

■Song playing right now (今聞いている曲)
何も聴いていない。

■The last CD I bought (最後に買ったCD)
「The Best Of WESTERN SWING」
何故かスウィングのCDをまとめて買ってしまった。

■Five songs(tunes) I listen to a lot, or that mean a lot to me (よく聞く、または特別な思い入れのある5曲)

★Make Me Smile(live version)/Steve Harley and Cockney Rebel
ライブアルバム『Face to Face』のラストを飾る名演。観客の盛り上がりと一体感も最高で、演奏が終わり、スティーブ・ハーリー等メンバーがステージを去ってもなお鳴り止まない拍手と声援、そして自然発生する前曲「転落(Tumbling Down)」のリフレイン「Oh! dear, look what they've done to the blues, blues, blues〜」が胸をいっぱいにする、僕の中では永遠の一曲である。
ちなみに、本ブログのタイトル部分「Come up and see me〜」は、この曲からの引用。

★Mother/John Lennon
『ジョンの魂』を初めて聴いた時の衝撃は忘れられない。何もそこまでというくらい内省的な歌詞と、シンプルでありながら恐ろしいくらいヘビーなプラスティック・オノ・バンドの演奏。幸か不幸か、このアルバムのお蔭で僕は、その後展開されるジョンの反戦平和・ラブ&ピース路線に感染することなく、かなり醒めた目で彼を見つめることが出来たと思う。「Mother」を歌ったあの声の持ち主が、「Imagine」の歌詞の内容みたいなことを本気で信じているとしたら、その理由は「詐欺」あるいは「勘違い」以外には考えられない。それでも僕はジョンが大好きだが、平和主義者ジョンの信奉者達については全く理解出来ない。改めて聴くと、ちょっとPILへの遺伝も感じさせる。
幻の名盤解放歌集『春の紅白歌合戦〜紅組編』の松岡計井子バージョンも最高である。

★Marquee Moon/Television
同名のアルバムのB面およびその後リリースされた『Adventure』などと比べると、この曲を含むA面は、彼等にとっても神がかり的な大事件だったのだな、とつくづく思わされる。特にこの曲における緩々な緊張感は、他に類をみない最高のカッコよさだ。そのサウンドは高温ではなく、さりとて低温でもない、どこまでもぬるい感じなのだが、しかし確かに燃えていて、緊張は永遠に高まって行く。
アナログ盤のフェイドアウトバージョンが忘れられなくて、オリジナルと同じ編集だというレヴューを信じ何度もCDを買ったが、結局いつも騙される。

★Like a Rolling Stone/Bob Dylan
ボブ・ディランをちゃんと聴いてはいない。彼について詳しく知らないし、時には退屈だとさえ思う。しかしこの曲は僕にとって特別だ。この曲は、パンクなのだ。
パンク・ロックが爆発した時代、もう社会人だった僕はもろにその影響を受けて人付き合いに失敗してしまった。「アイデン・アンド・ティティ」の「Like a Rolling Stone」を聴いて、僕は多分また同じ失敗を繰り返そうとしている。
しかし、自分の言葉で語らなければ意味がない、そう訴えかけて来る力に心を揺さぶられて、なのに何も言わないのは何も感じなかったのと同じだ。
ディランについて語るのではなく、僕は今自分自身について語ろうとしている。

★Waterloo Sunset/The Kinks
新婚旅行でロンドンに行った時、ウォータールー橋の上でこの曲を歌った。
4人組みの男女にタバコを持ってないかと訊かれた後で、ちょっとからまれた。
とにかく大好きな曲で、デイヴのコーラスが美し過ぎる。

■Five people to whom I'm passing the baton (バトンを渡す5名)
誰もいない。

ここは袋小路である。

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スティーヴ・ハーリー & コックニー・レベル

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posted by og5 at 21:34| 秋田 🌁| Comment(9) | TrackBack(0) | 音楽 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年06月23日

幻の陽気な陽気なアメリカ映画

「さらば、わが愛〜覇王別姫」は、言わずと知れたチェン・カイコーの傑作である。
中国を舞台に二人の京劇役者が愛し合い、そしてそれ故に憎しみ合う。愛の物語であると同時に、激動の時代とそのおぞましい思想に翻弄される哀れな人間の姿が、大袈裟にではなく淡々と目の前に突きつけられる、実にスケールの大きい、しかし同時にまた実に色気のある作品であった。

さて、僕はこの映画を思い出す時、いつも陽気なアメリカ女性がこちらに手を振りながら笑いかけている姿を(ふと)思い浮かべてしまう。
彼女は星条旗をあしらった派手なジャケットとミニスカートといういでたちで、ウェスタンブーツを履き、そしてテンガロンハットからはたっぷりとしたブロンドの髪があふれ出ている。
彼女の名前は、もちろんベッキーである。

この映画のことは、最初確か妻から聞かされた。
ドライブ中に直接聞かされたのか、一緒に乗っていた誰かに妻が話すのを運転しながらそれとはなしに聞いていたのか、今となっては忘れてしまったが、レスリー・チャンが好きな妻は、とにかくこの映画について熱心に話していた。
僕は最初不思議だった。
「さらば、わが愛」なのに、何故「ハロー・ベッキー」なのだろう。
「ハロー・グッドバイ」みたいなものだろうか、それとも・・・。
勘違いにはすぐに気がついた。
映画ももちろん観た。
しかし、刷り込みというのは、そう簡単には消えてくれないものらしい。

こうして僕は、この重厚な映画の題名を見聞きするたびに、頭に浮かんだ陽気なアメリカ女性を一旦消し去ってから、再度年齢不詳のレスリー・チャンの憂いに満ちた顔を思い浮かべ直す、という作業を強いられることとなった。
つまり、僕の心の中では、誰も知らない幻の陽気な陽気なアメリカ映画「さらば、わが愛〜ハロー・ベッキー」が、今でも(多分永遠に)封切られるのを待っているのである。
B00005OO4Pさらば、わが愛〜覇王別姫
レスリー・チャン チャン・フォンイー コン・リー チェン・カイコー

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posted by og5 at 00:09| 秋田 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年06月22日

「101」のコメディセンスの欠落について

この間TVでディズニーの「101」をやっていて、ダラダラと最後まで観てしまった。
これは多分アニメーションの「101匹わんちゃん大行進」がオリジナルなのだろうが、忠実にリメイクしているのか、それとも全く異なる物語なのかはよく判らない。
しかしとにかく、「101」には、可愛いダルメシアンの仔犬の毛皮でコートを作ることにとりつかれた毛皮マニアのクルエラ(グレン・クロース)とその手下どもが出て来て、そして僕は彼等を見ていて、何とも居心地が悪くなってしまったのだった。

コメディのパターンを踏襲して、この作品でも悪者どもは次々と、繰り返し繰り返しひどい目に遭う。床が抜けて階下に落下したりするのは序の口で、真冬の凍った池にはまってみたり、高圧電流に感電したり、家畜の糞尿にまみれたり、とにかく散々である。このパターンの繰り返しについては、「トムとジェリー」のトムが毎回毎回飽きもせず繰り返す身体を張ったあの数々のシーンを想像して貰えれば判り易いと思う。
しかし、同じパターンを踏襲していながらも、この両者は大きく異なる印象を観る者に与える。「トムとジェリー」は大いに笑えるのに、「101」は笑えないのだ。

小林信彦の言葉だったろうか、あるいは彼が著書の中で引用した誰かの言葉だったろうか、スラップスティックの醍醐味、笑いの生まれる輝かしい瞬間というのは、要するに「人間が物体に変わる時」なのだ、という一節があり、僕は大いに感銘を受けた(実際の表現、説明は多少異なるかも知れないが)。そして、まさにこれこそ、バラバラになった自分を箒を使い自分で塵取りに掃き入れるトムを見て僕達が大笑い出来る理由であり、しかもそれはアニメーションなのか実写なのかを問わない真実である。
どうして「101」のいじめられる悪党どもを見て僕が嫌な気持ちになったのか。
それは、彼等にトムのような芸がなかったからである。そして、演出家あるいは監督にコメディのセンス(高度にして、しかも必須のセンス)がなかったからである。
いじめられるコメディアンは、絶対に可哀想に見えてはいけないのだ。

「101」では、人間が「モノ」になり損なっているのとは逆に、動物がみな「ニンゲン」になっていた。
動物好きは、この映画を観て微笑ましいと思うのだろうが、僕が一番大事だと思う動物「人間」に対する虐待があるという理由で、僕はこの映画に断固抗議したい。
要するに、僕はただ上手に騙して欲しいだけなのだが。
B0001LNND4101
グレン・クローズ スティーヴン・ヘレク ジェフ・ダニエルズ ジョエリー・リチャードソン

ブエナビスタ・ホームエンターテイメント 2004-03-19
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ダン小路 肝付兼太 チマ 堀絢子

ワーナー・ホーム・ビデオ 2005-04-22
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posted by og5 at 23:51| 秋田 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年06月19日

『尾道三部作』をめぐる妄想

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小林聡美 尾美としのり 佐藤充 樹木希林

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原田知世 尾美としのり 高柳良一 大林宣彦

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冨田靖子 尾美としのり 藤田弓子 樹木希林

東宝 2001-07-25
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「転校生」、「時をかける少女」、「さびしんぼう」と続く『尾道三部作』で、大林宣彦が最もこだわったテーマは「時をこえる」ということであろう。

「時をかける少女」が「時をこえる」ことをテーマにした映画であることは、誰の目にも明らかである。原田知世演じる女子高生・芳山和子は、ラベンダーの花の香りをかぐと何故か意識を失ってしまい、時空間を越えてしまう。「時をこえる」ことが文字通り話の中心だ。

では、「転校生」はどうか。
この作品は、多くの人には「時をこえる」物語ではなく「性別の入れ替わる」物語かも知れない。
しかし、僕はあの「性別の入れ替わり」を今では全く信じていない。
僕の考えはこうだ。
一夫(尾美としのり)は昔自分が撮影した8ミリフィルムを観ている。そこには引越しをする前に一家が住んでいた尾道の懐かしい風景が映っており(そう、彼こそが「転校生」だった)、そして密かに想いを寄せていた一美(小林聡美)が映っている。一夫は引っ込み思案な高校生だったが、一美は全く正反対に男勝りの女子高生だった。彼は昔を思い出し、そして変な話を思いつく。

つまり、一夫は、時と空間を8ミリ映写機という装置によって越えているのだ。
空間をも越えているというのは、映画の中の彼と彼女は実際の彼と彼女とはかなり(あるいは微妙に)異なるからである。彼は映画の中では、彼女と入れ替わるまではどちらかといえば少し乱暴な男の子だったはずだ。それは、一夫の夢想であり、本当の彼は、もちろん内気な内気な少年だった。要するに、パラレル・ワールド、ということだ。
そして、もし一夫が8ミリ映写機によって時と空間を越えたのだとしたら、この時8ミリ映写機はタイムマシンということに、当然なる。

同じく「さびしんぼう」についても、僕はあのピエロ姿の若き日の母(富田靖子)がヒロキ(尾美としのり)に会いにやって来たということを全く信じていない。
「さびしんぼう」において、大林宣彦は実に巧妙に時間の並べ替えを行っている。具体的にいえば、アルバムの古い写真(タイムマシン)を風に飛ばし、さびしんぼうに会い、雨のせいで彼女が消えてしまってから母親に写真のエピソードを聞かされる、という流れは、実は、写真を飛ばし、母親から昔の話を聞かされ、そしてさびしんぼうに会う、という流れだったはずだということである。そうでなければ、ヒロキはさびしんぼうに会うことは絶対に不可能である。時をこえたのは息子のヒロキの方でなくてはならない。何故なら、今現実に生きているのは彼の方だから。

「転校生」も「さびしんぼう」も、間違いなく「時をこえる」ことが主題の映画である。
だが、時をこえたのは決して彼等の肉体ではない。
それは、「想い」だ。
彼等は、愛するものを思い出し、想像し、そして思いを馳せた。
「時をかける少女」における原田知世においてさえ、実はただそれだけであったはずだ、と僕は思う。

これは、『尾道三部作』をかつて観た記憶をもとに書き連ねた僕の単なる妄想かも知れない。だが、僕は確かに、この『尾道三部作』によって、誰でもそれぞれの内側に一つだけ、その人専用のタイムマシンを持っている、ということに気づかされたのである。
posted by og5 at 12:21| 秋田 🌁| Comment(4) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年06月14日

悪夢の香り

「悪夢の香り」というのは、フィリピンの映画監督キッドラット・タヒミックの傑作であるが、映画を観ていると、時々悪夢を見ているような、そんな妙な気分に陥ってしまうことがある。

最近ではフランスのアニメーション「ベルヴィル・ランデブー」を観ている時にそんな感覚に襲われた。
この映画を監督したシルヴァン・ショメ は、ジャック・タチをお気に入りの一人として挙げているというが、そういえばタチの「ぼくの伯父さん」にも悪夢のようなシーンがあった。
確かおじさんがプラスチック工場に(理由は忘れたが)やって来て、機械を勝手にいじっているうちに変なところを触ってしまい、腸詰のような不良品が次々に出て来て止まらなくなる、というシーンだったと思う(当然のように、彼はそこから、知らぬ顔をしてスタコラサッサと逃げ出す)。
ジャック・タチの作品は、大体いつも呑気な呑気な、呑気過ぎて腹のたつような緩々ないい映画なのだが、部分的にすごくシュールな感覚があるのである。

あと、ルイ・マルの「地下鉄のザジ」にも、悪夢のようなレストランでの乱痴気騒ぎがあった。結局、ザジは憧れの地下鉄にやっと乗ることが出来た時、疲れ果ててずっと眠ったままだったが、あれこそ実際にザジの見た悪夢だったのかも知れない。

こうして並べてみると、不思議なことに三本ともフランス映画である。
フランスには、どこか悪夢的なものを生み出す何かがあるのだろうか。

B0009ETCD8ベルヴィル・ランデブー
シルヴァン・ショメ

ブエナ・ビスタ・ホームエンターテイメント 2005-08-03
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B00017YXU0ぼくの伯父さん
ジャック・タチ ジャン=ピエール・ゾラ アドリアンヌ・セルヴァンティ

ジェネオン エンタテインメント 2004-02-27
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B00005FPT4地下鉄のザジ
ルイ・マル ナポレオン・ムラ

ポニーキャニオン 1999-11-17
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posted by og5 at 22:21| 秋田 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年06月12日

「レッツ・スノーボード」の日々

季節外れの話になるが、TVで山口智充を見るといつも思い出すことがある。

確か1995年頃だったと思うが、NHKの「20歳の趣味講座」で「レッツ・スノーボード」というHOW TO番組をシリーズで放映していた。山口はDONDOKODONでコンビを組む平畠啓史と一緒に司会進行役を務めていて、場所は新潟県の新井スノーパーク、日本プロスノーボーダーの草分け的存在の一人である小川理人に、彼等二人を含むスノーボード未経験者7人がスノーボードの基本を教わる、という内容だった。

僕はその一年前からちょうど自分でもスノーボードを始めたところだった。僕には全くスポーツの経験がなく、しかも体力も運動神経もなかったが、友人夫婦と僕と僕の妻の4人で、この自分達にとってのニュートレンドにすっかり夢中になっていた。
そして、僕はその頃ある事情によって単身赴任先の仙台のアパートで、鬱々とした毎日を過ごしてもいた。僕は毎日のように、何度も何度も、ビデオに録ったこの番組を繰り返し見た。

THE STONE ROSESの「BEGGING YOU」(確か)をバックにフリー・ライディングする小川理人の映像から番組は始まる。
バインディングのセッティングと片脚スケーティング、ゆるい斜面での直滑降と停止、そして初めてのリフト−−−。
僕は彼らの挑戦と挫折、そして心の葛藤を、まるで自分のことのように感じていた。あんまり繰り返し見たせいで、全てのシーン、全ての会話は僕の内側に取り込まれ、彼らの悔しさと喜びは僕の悔しさと喜びになった。

7人の中に、沢(あるいは澤)君という眼鏡をかけた男の子がいた。彼は覚えが悪く、きっとセンスもなく、男子の中では平畠と1、2を争うくらい上達が遅かった。そんな彼がどうしても上手くターン出来ない自分に疲れ果てて、斜面の中腹でこちらに背中を向けてポツンと一人ゲレンデを眺めているシーンがあった。バックには、今思えばWEEZERの「NO ONE ELSE」が流れていた。
彼は結局、持ち前の根性でその後何とかターン出来るようになるのだが、あの時の彼の悲しい背中を、僕は今でも時々思い出す。

ところで、面白いことに、当時は平畠が進行役の中心で、DONDOKODONの二人はちゃんとコンビとして会話をしていた。山口は真っ赤に日焼けして、ただただスノーボードを楽しんでいるだけのようにも見えたが。

夏の暑い日、時折ふっと真冬の山を思い出すことがある。
早朝、ピーンと澄み切った冷たい空気、雪はサラサラと軽く、僕達の眼下には、白いゲレンデがただただ静かに広がっている。
滑り出す直前の、そんな最高の瞬間だ。

もし僕がうだるような真夏の動物園でぐったりしている年老いたライオンだったとしても、一度でも過去にキリマンジャロの雪を見たことがあったとしたら、これからも何とか生きて行けるのではないか、とそんな気がする。

B000003TAWWeezer
Weezer

Uni/Dgc Records 1994-05-10
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posted by og5 at 11:46| 秋田 ☁| Comment(4) | TrackBack(0) | 記憶 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

僕の「腹の鳴る映画」〜「刑務所の中」

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山崎努 花輪和一 崔洋一 香川照之

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花輪 和一

青林工芸舎 2000-07
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「タッチ・オブ・スパイス」を観た後で他の人の感想を読んだり聞いたりしたら、映画を観ている最中にお腹が減って困ったという人が結構いて少し驚いた。
というのは、単純に僕は全くあの映画を観ている最中にはお腹が減ったりはしなかったからだ。確かに、「タッチ・オブ・スパイス」に出て来る料理はどれもこれも美味しそうで、その後繰り出した「青い鳥のレストラン」で食べたスパイス料理やアラブパンも、実際大変美味しかったのだが、映画を観ていて強烈な食欲に襲われたのか、というとそうではない。
「食欲」に対する刺激も人それぞれなのだな、と思って面白かった。

さて、食べ物が重要な位置を占める映画といえば、「バベットの晩餐会」や「恋人達の食卓」がすぐに頭に浮かぶが、僕には、今まで観た映画の中で最高の食べ物映画を一本選べ、と言われたら迷わずこれだ、という一本がある。
それは、崔洋一監督の「刑務所の中」である。

「刑務所の中」は、漫画家・花輪和一が実際に有罪判決を受けて服役した際の経験をもとに描かれた同名の作品が原作であり、当たり前だがそのストーリーはちっともロマンチックではない。登場人物はほとんど囚人と看守であり、出て来る食事は要するに「クサイ飯」である。しかし、この「クサイ飯」が滅法美味しそうなのである。

日々の食生活の描き方も素晴らしいが、何と言っても圧巻はレクリエーションで野球をやっている際に語られるおせち料理のくだり(正月を前にして出所しなくてはならないため落ち込んでいる一人の囚人を肴に、殺人犯やら強盗犯やらが集まってする「ご馳走」話のシーン)である。

貸した金を取り立てに行って相手を殺してしまった男(しかも彼は全く無反省)が、大晦日から正月三が日に特別に支給される「ご馳走」の数々を次から次へと(延々と)並べ立てていく。そしてそれは、娑婆にいれば、その辺のスーパーやコンビニで誰でも簡単に手に入れることの出来る「非」高級品ばかりである。
エビフライ・チキンフライ・鮭切り身焼き・羊羹一本の半分・鯛練り・玉子焼き・ニシン昆布巻き・漬物・ヒレカツ・白米ピラフ・春雨スープ・みかん・袋菓子(えびっぷり)・もりそば・豚肉とサヤエンドーと丸もちの入った雑煮・鮭缶・身欠きにしん等々(時折入る男の解説、というか感慨がまた何ともいい味を出している)。
そして、それら正月三が日の特別料理が全て画面いっぱいにどーんと並んだ時、僕達は圧倒される。圧倒されないではいられない。
ここには「憧れ」が並んでいる。

美味しいものを食べるのは幸せである。が、何かを食べたいと切望することの方が、時にはもっと幸せである。
「刑務所の中」を観ながら、僕は幸せになって、そして腹をグーグーと鳴らしていた。
posted by og5 at 10:51| 秋田 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年06月06日

何故、綾辻行人を読まなくなったのか

綾辻行人の作品で、一番最初に読んだのは「時計館の殺人」だった。あまり日本の推理小説を読まなかったので島田荘司の「本格ミステリー宣言」も当時は知らなかったが、事件自体に興味を抱いていた島田の「三浦和義事件」を読み、次いで「占星術殺人事件」を読む流れの中で、いわゆる日本の新しい「本格」にも触れていくようになった、という経緯だったと思う。

一番最初に読んだこの「時計館の殺人」が面白かったので、僕はちょこちょこと綾辻の作品を書店で探して来ては読むようになった。「人形館の殺人」、「十角館の殺人」、「迷路館の殺人」、「霧越邸殺人事件」、「水車館の殺人」、「殺人方程式−切断された死体の問題−」、「眼球綺譚」等々。
全ての作品が大絶賛するほどに面白かったわけではないが、島田の「本格」への思いに対するシンパシーの表明という意味も、そこには多分あったのだと思う。僕はかなりの数の彼の作品を読んだ。
が、綾辻行人の作品が全く面白くなかったというわけでも、もちろんない。いや、彼の作品は面白かったのだ。だからこそ、僕は書店で彼の作品を探すという習慣を持ち続け、そして「どんどん橋、落ちた」を見つけたのだから。

綾辻行人を読まなくなったのは、この「どんどん橋、落ちた」が原因である。推理小説であるから、ここにその詳細を述べることは差し控えなければならない。「登場人物」について語ることも憚られる。だから、僕に出来ることは、ただその精神性に触れることだけである。そして、実はそれこそが、僕が綾辻行人を評価出来ない最も重要なポイントなのである。

では、ここでいう「精神性」とは何か。
何も僕は推理小説の殺人を安易だと非難しようとしているのではない。エンタテインメント性を強めるだけとしか思えないような残虐な殺人方法や死体の扱いについて、人間として問題があるのではないか、などというつもりもない。また、彼が考案したトリックが、読者との約束事を踏みにじる掟破りをしている、と批判しようとも思わない。それは、大体彼だけに限らず「本格」にはついて回るものであろう。いや、それはそもそも「本格」だけに限ったことでも、またあるまい。
では、何が問題なのか。

「どんどん橋、落ちた」に、「ぼうぼう森、燃えた」という短編が収録されている。そして、この作品の中にも当然のごとく「殺されるA」と「殺すB」が出て来るのだが、僕がどうしても許せなかったのは、作者・綾辻行人の「殺されるA」に対する無礼である。表題作にも実は同様のことを強く感じさせる雰囲気があるのだが、この「ぼうぼう森、燃えた」は最悪である。
作品中で「誰か」が死ぬことに対しては全く抵抗を感じない。量的にも、質的にも、だ(仮に平静でいられなくなったとしても、それは批判すべき理由には当たらない、と考えている)。しかし、作者に「生命」に対する畏敬の念が欠けていると思わざるを得ない時には、それがどんなに「軽い」表現でも、僕には我慢が出来ない。いや、その表現が軽ければ軽いほど、性質の悪さが顕わになってしまって堪えられない、というべきか。

綾辻行人には、「生命」に対する畏敬の念が欠けている---。
そう思わざるを得なかったのである。

我孫子武丸に「殺戮にいたる病」という作品がある。トリック(フェア・アンフェアの問題)においても、残酷であるという点においても、「どんどん橋、落ちた」の比ではない(くらいルールすれすれであり、むごたらしい)が、大好きな作品である。不思議だが、ここには「生命」への不敬を感じない。また、最近読んだ法月綸太郎の「生首に聞いてみろ」も凄惨な事件を扱っているが、ラスト数ページの表現が、作者のセンスを感じさせ、読後に何故か美しい余韻を残す。

結局のところ、僕には「本格」が理解出来ていない、ただそれだけなのかも知れないが。

4062735725どんどん橋、落ちた
綾辻 行人

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4062633760殺戮にいたる病
我孫子 武丸

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posted by og5 at 23:31| 秋田 ☀| Comment(2) | TrackBack(0) | 本・雑誌 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年06月05日

「ミリオンダラー・ベイビー」〜タイトルが持つ二つの意味

4150410828ミリオンダラー・ベイビー
F.X.トゥール

早川書房 2005-04-14
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フランキーは、ボクシングジム「HIT PIT GYM」を経営するトレーナーである。
彼は自らの仕事についてこう語る。
自分の役目は血を止めることだ。試合中にボクサーが出血した時、彼がまたリングに立ち、対戦相手に向かって行けるように、ただ血を止める。試合を続けるかどうか、続けられるかどうかを、その傷の深さによって判断するのは自分の仕事ではない、と。

クリント・イーストウッドが、制作・監督・主演、そして音楽までも務めた映画「ミリオンダラー・ベイビー」は、大きく質感の異なる二つの部分から構成されている。
ヒラリー・スワンク演じるもう若くはない女性ボクサー・マギーと知り合うものの、自分は女性ボクサーのトレーナーにはならないとずっと突っぱねていたフランキー(クリント・イーストウッド)が、やがて師弟として(相変わらずぶっきらぼうながら)彼女と心を通わせるようになり、ついにはタイトルマッチに挑戦するまでに登りつめる。これが前半。
マギーに対するフランキーのアドバイスを聞いているだけでワクワクし、そして泣きたくなる。前半は明るく、生命力にあふれ、そして楽しい。観客達の圧倒的な声援に応えてグラブをはめた両手を高く上に突き上げる彼女はまさに「ミリオンダラー・ベイビー」で、全く予備知識のなかった僕は、これをてっきり「それいけやれいけ映画」かと思ったほどである(ある種の典型的なアメリカ映画を、僕は愛を込めて「それいけやれいけ映画」と勝手に呼んでいる)。

ところが、後半、映画はその様相をガラリと変えてしまう。
後半は、暗く、重く、そして辛い。衝撃的である。「ミリオンダラー・ベイビー」というタイトルで、こんな展開が待っているなんて、あまりにも苦過ぎる、と思った。
(特にやりきれなかったのは、あの家族がやって来るシーンである。その置かれた状況よりも、ペンを口にくわえさせられたマギーを薄ら笑いを浮かべて見ている妹の存在や、それでも誇りを保とうとして、フランキーに、これは家族の問題だからあなたは出ていてくれ、と言うマギーの表情・・・)
しかし、その残酷な展開の、本当にやり切れないラストで、僕は気付かされる。実は、これこそが「ミリオンダラー・ベイビー」という題名が持つもう一つの意味だったのだ、と。
これは、素晴らしいタイトルだ。
そう、このタイトルは、二つの異なる解釈をその内側に秘めている。
前半は、観客が誰でも思うであろうそのままの意味の「ミリオンダラー・ベイビー」、しかし、後半の「ミリオンダラー・ベイビー」は、フランキーにしか判らない、フランキーのための、フランキーだけの「ミリオンダラー・ベイビー」だ。

「モ・クシュラ」。
マギーのあまりに男っぷりのいい闘い方に、フランキーが思わず試合中に呟いた言葉。その後、グリーンに美しく輝く総シルクの彼女のリングガウンの背中に刺繍され、やがて観客が彼女を声援する際に大合唱することになる言葉。
最後の最後にフランキーがマギーに明かすまで、その言葉の意味は我々にも判らなかったが、ああ、これはピュアなピュアな、切ないほど美しく、そして厳しいラブ・ストーリーだったのだ。

フランキーの仕事は、ボクサーの血を止めることである。試合を続けるべきかどうかを判断するのは彼の役割ではない。しかし、彼の決断がどうであれ、最後の最後に彼は決断した。そして、それは、二人の関係を、はからずも、トレーナーとボクサーから、何か別のものに変えた瞬間でもあったのだ。

映画が静かに終わる。黒地に白い文字でキャストやスタッフの名前が流れていく時に、この二時間を越える映画がひとつの大きな波のようになって僕を襲った。
賛否両論あるだろう。あって当然の映画だと思う。しかし、映画は法律ではない。また、教科書でもない。フランキーはそうした。僕はただそれを受け止めるだけだ。
あの、デンジャーが、今ではもうフランキーのいなくなってしまったジムにひょっこりと戻って来て、そしてスクラップに「人間は誰でも一度は負けることがある、って言ったね。でも・・・」と顔を輝かせて言ったシーンが、僕にクリント・イーストウッドの「綺麗な何か」を知らしめ、そして全てをありのままに受け止めるしかない、と気付かせたのである。
posted by og5 at 14:07| 秋田 ☁| Comment(2) | TrackBack(8) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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