2005年11月28日

一日遅れの「笑点」便り

すっかり(勝手に)恒例になってしまっているので、やはり昨日のうちにアップしてしまいたかったのだが、妻のパソコンが(おそらく)雷のせいで入院する羽目になってしまったため、1台のパソコンの共有と相成り、「笑点ブログ < 仕事の書類作成」ということで、ちょっと遠慮したのである。

ところで、今日の内容は実は昨日の笑点がメインではない。
何と、買ってしまったのである、「笑点 大博覧会 DVD BOX」を。
まだ第一巻の途中までしか見ていないが、みんな若いぞ。
歌丸も「青年」だし、円楽もまだ自分のことを「星の王子様」だの「ラベンダーマン」だの言っているのである。
しかも驚くべきことに、当時から木久ちゃんは「馬鹿」キャラだ。
惜しむらくは談志の頃のVTRが残っていないということで、三波伸介司会の浅草寺における大喜利からの「記録」なのである。
今見るとどうもやはり三波伸介は大袈裟で臭みがあり、座布団運びの松崎真とともに「浮いて」いるのだが、まあしょうがない。
今は亡き小円遊と歌丸の罵り合いが見られるだけでも「御の字」である。
少しずつ見て、折々感想など述べていきたいと思っている。

さて、昨日の笑点についても(いくらなんでも)少しだけ。
昨日の笑点は、司会がまた歌丸に戻っていた。
たい平が司会をしないだろうことは予測していたが、もしかしたら冗談で山田クンが司会をやるのではないかと(ちょっとだけ)思っていたのである。
が、まあまた順繰りになるのが妥当な線というものではあろう。
(DVDが気になってどうも身が入らない)

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posted by og5 at 21:41| 秋田 🌁| Comment(2) | TrackBack(0) | TV・芸能人 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

掌の上でころがされる愉しみ〜「運命じゃない人」

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中村靖日 内田けんじ 霧島れいか

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とにかく面白い映画だ、というのが「運命じゃない人」を観た僕の感想である。
では、何が面白かったのか。
まず何といっても脚本が面白い。いや、面白いというよりも素晴らしい。素晴らし過ぎる。
ウォン・カーワイや北野武のように脚本にあまり重きを置かない監督もいて、それはそれで否定はしないし実際とても感動したり好きだったりするそういう人達の映画もあるけれど、しっかりとした脚本を基に作られた映画はやっぱり素晴らしい、と思う。
脚本なしでいい映画を作るのは大変だが、いい脚本からつまらない映画を作るのはもっと大変かも知れない(などと言ったら、すぐに実例とともに強く反論されそうで怖いが、まあ勘弁して下さい)。

この脚本の素晴らしさが端的に表れているのは、何と言っても「ちゃんと判る」という点である。あっちからこっちから、とにかく複雑に入り組んだ話で、それがジグソーパズルのように一分の隙もなく組み合わせられているのに、観ているとそれが何の不自然さもなくすんなりと頭の中に入って来る、いや、頭の中に入って来るというよりも、何も考えずにただ「乗っている状態になってしまって」いるのである。
話が入り組んでいるだけではない。この映画においては「時」もまた実に大胆に切断され、かつまた結び付けられているが、しかし、それもコミで、僕達観客が混乱することは最後まで一度もないのだ。
僕は以前、大林宣彦の映画をタイムマシンに例えたこたがあるけれど、「運命じゃない人」はそのハイパーバージョンである。

次に、僕はこの映画の役者達が大好きである。
宮田役の中村靖日も、神田役の山中聡も、そして桑田真紀役の霧島れいかも、一見地味で魅力に乏しいように思えるのだが、しかし彼らでなければならない特別な魅力に、すぐに僕は強く惹きつけられてしまっていた。
宮田と真紀のレストランの外での会話や、その後自転車を押しながら宮田のマンションに向かう途中のあれやこれやには、本当に笑わせられた。
また、神田のやたらしゃべり続ける声の何とも言えない心地よさは、いったい何なのだろう。
この人達は、低予算映画のやむを得ない選択などでは決してなく、内田けんじ監督の探り出した見事な金鉱である、と僕はそう思う(浅井役の山下規介と、あと便利屋山ちゃんも最高であった)。

さて、この映画の予告編をシネパレで何度も何度も見ていた僕には、本編を観終わった時にあるひとつの「納得のいかないこと」があった。
予告編にはこうナレーションが入る。
「その日、僕の家の扉は三回開いた」・・・。
しかし、「絶対もっと開け閉めしてるって!」と僕は思ったのだ。
そこで、僕はパンフレットに載っていたタイムテーブルを調べ、その結果、出入りの多くは「翌日」になってからのことであり、一日目は(映画上は)実は「二回」しかドアが開かれていないことが判明した。
それにしても、それでは今度は逆に一回足りないではないか、となおも僕は思ったのだが・・・。
・・・ああ、そうか、宮田はあの朝出勤しているわけか・・・。
予告編のナレーション自体がフェイクなのであった。

この映画の魅力を一言で言えば、「掌の上でころがされる愉しみ」であろうか。

※12月2日(金)まで、秋田FORUSの8Fシネパレで上映してます。とにかく面白いから!
posted by og5 at 21:12| 秋田 🌁| Comment(2) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年11月27日

潔癖症時代の謎

電車のつり革につかまるのはイヤだとか、会社の(人と共有の)電話には出られないとか、いわゆる「潔癖症」が当たり前の世の中である。
実は僕も神経質な方なので、あまり親しくない人と鍋物をつついたりするのは出来ることなら御免こうむりたいし、会社でも無神経に机に腰掛けている人を見るとすごく腹が立つ(上司のデスクに平気で大きなお尻を乗っけていたので、僕は「さよなら、さよならハリウッド」のウディ・アレンの元妻をどうしても美人とは思えなかった)のだが、そんな僕でさえ驚くほどに、ふと気がつけば、世間は何でもかんでもが「抗菌仕様」になってしまっている。

さて、そんな僕が、今どうにも不思議でならないと思っているのが、コンビニなどで売られているペットボトルや缶コーヒー・缶ジュースの類である。
つまり、購入者が直接口をつけるあれら容器の口の部分が、どこのどんな人間がどんな汚い手で触っているかも知れないというむき出しの状況になっていることに、よく世の潔癖な人達が平気なものだと思うのである。
僕自身は、まあそんなことまで気になんかしていられないだろうと思うのだが、何しろ世は「潔癖症時代」、これはまさしく「潔癖症時代の謎」である。

昔は、駄菓子屋のバアさんが、直接自分の息を吹き入れて紙袋を膨らまし、そこに素手でカリントウなどを放り込んで売っていたものだった。
「舐めるクジ」というものもあって、今考えるとあれもかなり不潔である。
しかし、ジュースの缶には専用の缶切りが付いていて、それが透明なキャップに覆われて保護されていた。
購入者は、そのオウムのクチバシのような缶切りで、缶の口の対角線上二箇所に穴を開け、ゴクゴクとジュースを飲むのであった(穴を一箇所しか開けないと中身が出て来ない)。
もしかしたら、あの透明な保護キャップは、清潔を保つためではなく、「オウムのクチバシ」が落ちないようにするために付けられていただけなのかも知れないが・・・。

いずれにしても、これはプルトップというものが発明される前の昭和(「ALWAYS 三丁目の夕日」の時代)の話だ。
あの頃もきっと潔癖症の人はいたのだろうが、今よりもずっとゆるい潔癖症だったような気がする。
あるいは、すっかり市民権を得てしまった「潔癖症」という言葉が、僕達を必要以上に潔癖症に駆り立てているのだ。
「トラウマ」という言葉のように。

※青草亭楽屋帳さんのブログに、「昔の缶ジュース。」という記事がありました。
posted by og5 at 14:48| 秋田 ☔| Comment(0) | TrackBack(1) | 雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

見事なお伽話〜「さよならCOLOR」

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僕には、この「さよならCOLOR」の主人公である佐々木正平が、とても実在する人物だとは思えなかった。
いや、これはフィクションなのだからもちろんそれは当然なのだが、僕には、それにしても彼が必要以上に「人工的な」人物に思えてならなかったのである。

彼は医者である。医者で独身、そして地元にいるのに家族も昔からの友人も(多分)いない。彼は高校時代「ササキン」と呼ばれており、授業中なのに好きな同級生・原田知世の横顔を見るために屋上から身を乗り出して落下しそうになったり、またある時は彼女の後をつけ、家の前まで来た途端急に腹具合が悪くなり、たまたま出て来た彼女の母親に頼み込んで(なんと)トイレを借りたりする。彼には高校時代もやはり友達はいないし、同窓会のシーンを見ていると、それどころか彼自身が全く存在していなかったかのようでさえある。
彼は一途に原田知世のことだけを想い続けている。高校の時、彼は原田知世に愛を告白したことがあり、その方法も驚くほどロマンチックかつ大胆であった。しかし、現在の彼は病院内で看護婦のお尻を触る(というか握る)ことで有名である。彼には、酔いつぶれては枕を並べて一緒に寝たり相撲を取ったりする飲み屋の女将の友達がいるし、ひょんなことから知り合った援交女子高生のガールフレンドもいる。とにかく、女には何故かもてる。
彼は、いったいどこでレッスンを受けたのか、とても上手にバレエを踊ることが出来る。そして、アストラッド・ジルベルトのレコードを持っている・・・。

映画を観終わってからというもの、これらの(おそらく)分裂した性格がいったいどこから来ているのだろうかというのが、この映画に対する僕の最大の疑問であった。
そして、「この映画の竹中直人はチャップリンなのだ」というのが、その答えである。

ひと頃、僕はチャップリンが大嫌いだった。
その理由は、「だって、可哀想なふりをしていながら、実際には彼に出来ないことは何もないではないか!」であった。
チャップリンは浮浪者であるが、女にはモテモテだし喧嘩をしても結構強い。
しかも、彼の映画の中には、決まって彼の芸の見せ場があって、観客はその見事さに思わず拍手喝采をせざるを得ない仕組みになっている。特にダンスを踊ったり、アクロバティックな動きを何気なくやって見せたりするシーンなどイヤミなくらいだ。
そう、チャップリンも「さよならCOLOR」の竹中直人も、実は何でも出来る「エリート」なのである。

チャップリンが自らの映画の中で万能なのは、その映画の中で彼が自らの芸を見せなければならないからだろう。だが、文字通り万能では観客は感情移入出来ないから、(多分)彼は浮浪者なのである。
浮浪者のチャップリンは、一人淋しそうに行方も知れず去って行くが、竹中直人はその見事な芸を我々観客にちょっと照れ臭そうに(しかしたっぷりと)披露した後、病に倒れ一人死んで行く。佐々木正平が浮浪者では、「今」の観客には本当に「冗談」になってしまうから、彼は「今」のリアルな「運命の前の弱者」である「病に侵され死に行く者」である必要があったのだ、と僕は思う。
そして、僕達の前には、彼の一途な想い、人を愛し想い続けることの美しさだけが残される。

もし彼(佐々木正平)が、リアルな人物として描かれていたとしたらどうだっただろうか。
もしそうであったならば、この映画は僕達にただ気持ちの悪いストーカー的印象しか残さなかったかも知れない。
竹中直人が屋上で、あるいは部屋の中で踊るあの美しいシーンも、もっと違和感を伴って見えてしまっていただろうし、僕に強く「市民ケーン」の「ローズバッド(バラの蕾)」を連想させる「八つ手の葉っぱ」のエピソードも、もっとグロテスクになっていたに違いない。
これは、ものすごく意識的に構築された、見事と言うしかないお伽話(映画)なのである。

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posted by og5 at 13:24| 秋田 ☔| Comment(7) | TrackBack(2) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年11月26日

大相撲の夜

一度だけ両国国技館の升席に座って、大相撲を観戦したことがある。
父の喜寿のお祝いに、生まれて初めて二人だけで東京へ行ったのである。

升席は、思ったよりもずっと狭いものであった。
座布団が4枚並べられていて、身一つであればまあそこにちょこんと収まってしまえばそれでいいのではあるが、何しろこちらは両手に抱えきれないくらいの荷物(弁当やらお土産やらおまけに靴やら)を持っているし、しかもそれは我々親子だけの特殊事情ではなく、そこにいるほぼ全員がそんな状態なのであるから、どうしたって最寄の通路は大きな袋やカバンや靴であふれ返り、ちょっとトイレまで行くのさえままならないという状態なのであった。
僕は狭いところが嫌いなので少々うんざりしたが、僕の前に座って食い入るように大好きな相撲を観ている父は、感激しているのかさっきからずっと涙を流している。
僕は、若い頃には大嫌いだった父への生まれて初めての親孝行がもたらしたその思ってもみなかった光景に、自分自身でも感極まって嗚咽しそうになっていた。
ああ、連れて来てよかった、とそう思った。

その日は、初場所の14日目であった。
番狂わせもなく、国技館に座布団が舞うようなこともなかった。
僕達はほろ酔い気分で国技館を後にし、この旅行の段取りを全て付けてくれた妻が予約した美味しいと評判のふぐ料理店でふぐを食べた。
これもまた、生まれて初めてのことであった。

昨日、九州場所の取り組みで、琴欧州が朝青龍を寄り倒して破った瞬間、数え切れないほどの座布団が宙を舞った。
いったいいつから大相撲の観客はこんなに行儀が悪くなったのだろう、と思った。
昔はこんなに簡単には座布団など投げなかったのではないか。
少なくとも、余程の番狂わせでもない限り、そんな光景は茶の間には流れなかったような気がするのだが・・・。
ただ、もしもあの時、父と観たのが千秋楽の優勝がかかった大一番で、その結果に興奮した観客が総立ちで座布団飛ばしをしていたら父はどう思っただろうか、とふと考えたのである。
父は、自分のことはさておいて、行儀の悪いことが案外嫌いなのである。

さて、あの夜、父はふぐを食べながら「この世で一番うまい魚はアンコウだ」と感想を述べた。
また、初めて升席で観る大相撲に感激して(あるいは息子の親孝行に感激して)流していたと思った涙は、ただ単に歳を取ったせいで時々起こる「涙目」であったと後に判明した。
大笑いした。
posted by og5 at 18:00| 秋田 ☔| Comment(2) | TrackBack(0) | 記憶 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年11月23日

Qちゃんの復活

20日の東京国際女子マラソンで、シドニー五輪金メダリスト高橋尚子が優勝した。
本番前に脚の故障も伝えられていたし、レースから遠ざかっていたので不安視する声も多かったのだが、見事な復活を遂げたというしかない、天晴れな走りであった。

実は、この人に限らず、僕はみんながちやほやする人が不得意である。
何でみんなこの人を好きなんだろう、などといらないことまで考えたりする。
高橋尚子もそういう対象の一人で、でも僕は今回のマラソンをきっかけにその答えを見つけた。
要するに、僕は高橋尚子が嫌いなのではなくて、高橋尚子を好きだと言っている人達が嫌いなだけだったのである。

Qちゃん、Qちゃんとやかましい、と思っていたのだ。
僕にとってQちゃんは「オバケのQ太郎」だけだ、などと意固地になっていたのだ。
何で尚子なのにQちゃんなんだよ、なんて・・・。

高橋尚子がQちゃんと呼ばれるようになった理由は、単なる噂だろうと思われるものも含めていくつか聞いたことがある。
口が大きいからとか、もの凄い大食漢だからとか、いろいろ・・・。
でも、僕が「ああ、これしかない!」と納得したのは、確か2ちゃんねるの掲示板で見た次のような説であった。

曰く、高橋尚子の「尚」の字を拡大してよく見てみよ。



なるほど、Qちゃんである。
posted by og5 at 00:02| 秋田 ☔| Comment(0) | TrackBack(1) | 雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年11月20日

待ってました、木久蔵師匠!

シリーズ「今日の笑点」もいよいよクライマックス(笑)。
今日の大喜利は、いよいよ林家木久蔵の司会である。
問題も、1問目が「木久蔵ラーメンの売り上げを増やすには?」で、2問目が「『おい、木久蔵!』と呼んで木久ちゃんが返事をしたら一言」、3問目が「各自『♪イヤ〜ン、馬鹿〜ン、フフ〜ン』と歌ってからそこに更に一言」で、正に林家木久蔵デーであった。

笑ったのが、一問目を出題しようとした時。
木久蔵師匠、いきなりみんなに「この漢字何て読むの?」と訊いたのである。
たい平が、木久蔵が司会をやっていると客席からのいつもの突っ込み(「へえ〜」とか「や〜ねえ」とか答を先に言ってしまう例のやつ)が出来ないだろうと気を使って、わざわざ話を振っていたのも微笑ましい。
ぬるいと言えばぬるいが、笑点はそれでいいのである。

木久蔵に「(落語芸術協会)副会長」と呼ばれた小遊三が、「便所でお尻を拭く会長」といちいち話を下品にしていたのが可笑しかった。
以前も書いたが、この人は何故下ネタを言ってもイヤらしくならないのだろう。
やっぱり不思議である。
posted by og5 at 20:05| 秋田 ☁| Comment(0) | TrackBack(3) | TV・芸能人 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

これは、映画だ!〜「七人の弔」

ダンカンの第一回監督作品「七人の弔」を観た。
「恥ずかしいよ! もう勘弁してくれ!」というような稚拙なシーンも多々あったが、いい映画だった。
「いい映画」というと語弊があるかも知れないが、僕には面白かったし好きだった。

とにかく、話が面白いのである。
細かいところには無理もあるけれど、気持ちよく騙されるのも映画を観る醍醐味のひとつだろうと思う。
例えば、何か国際的策謀が企てられているという設定で2時間ハラハラドキドキさせてもらえたら、結局最後までそれが何なのかさっぱり判らなくても一向に構わないわけだ。

脚本・演出もよかった。
温水洋一演じるどうしようもない父とその息子の描き方とか、同じくその温水のエピソードのひとつ、サラ金ティッシュの使い方とかを見ると、とにかくこの人は親分・北野武とはかなり異なる映画への愛着を持っている人なんだなあ、という気がする。
特に、「最後の晩餐」におけるこの親子のエピソードは、映画全体に何とも言えない素晴らしい深みを与えることになったと僕は思っているのだが・・・。

褒め言葉として、日本映画を観ているのではなくて、何か欧米の昔の映画を観ているような、そんな肌触りだった。
生意気なことを言うようだが、「七人の弔」は、きちんと「映画」だったのである。

※ダンカンの真面目な顔が、時々、「お笑いウルトラクイズ」の罰ゲームでいじめられて泣きそうになっている顔とダブって見えて困ってしまった。
この人の目は、何故かいつも、しばらく瞬きをしていない人の目のように濡れていて、そして赤い。

■DVDが出ていないのである。
しょうがないので、ほかの「ダンカン」を紹介します。
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posted by og5 at 16:04| 秋田 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年11月19日

ジジイ、怒る〜旅番組編

今朝、二日酔いの頭をグルグルしながら居間に入ると、テレビでよくある旅番組を放送していた。
「よくある旅番組」とは、つまり、男女二人組みが国内の温泉地を訪れ、名所を巡り、温泉につかり、有名旅館の豪華な夕食に舌鼓を打ち、それが夫婦だったら自分達の人生を振り返り、俳優と駆け出し女優だったら芸に生きる心構えをレクチャーし、最後ナレーションがなんかちょっといいことを言い、「来てよかったね」「ホントそうだね」などと感想を述べ合う、そんな番組のことである。

そして、今日もまた僕はそれを見ながらムカムカと腹を立てていた。
この手の旅番組を見るといつも腹が立つ。
理由は明白だ。
彼等が、平気な顔をして湯船にタオルを入れるからである。
もう、当然のように、きれいな温泉のお湯に、男も女も身体にタオルをグルグル巻いて入っている。
いや、それどころか身体をタオルで擦っている奴さえいる。
これは撮影のためやむを得ずしているのです、だってタオルを巻かないといろいろ差し障りのある男のモノや女のモノが画面に映ってしまうし・・・、というエクスキューズもない。
だから僕は、こんな番組の中でナレーターや出演者達がどんな立派なことを言っても、ちゃんちゃら可笑しいと鼻で笑っているのである。
「そんな偉そうなこと言いたかったら、まず腰に巻いたタオルを取ってからにしな!」と僕は言いたいのだ。

何だか、自分が本当にジジイになってしまったような気がして、ちょっと哀しい。
posted by og5 at 19:49| 秋田 ☁| Comment(2) | TrackBack(0) | TV・芸能人 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ハリー・ポッターと・・・

今、「HARRY POTTER and the Half-Blood Prince」を読んでいる。
やっと3分の2くらいまで読み終わったが、結構地味な話である(今のところ)。
前作からは、英語バージョンをそのまま読んでいて、翻訳本で読んだ旧作も、「炎のゴブレット」以外はもう全部英語版で読んでしまったが、秘技「SKIPの術」を用いているのでまあ何とかなっているという感じだ。

さて、ハリー・ポッターに関連して、最近自分の中で密かに楽しんでいることがある。
それは、このシリーズの題名が必ず「ハリー・ポッターと何々」になっているのを真似て、勝手に新作を作ってしまうというもので、何故か自分では結構気に入っているのである。
例えば、「ハリー・ポッターと青菜の炒め」とか、「ハリー・ポッターと魅惑の歌声」とか。
「ハリー・ポッターと磯辺の生き物達」というのも、何となくいい。
「ハリー・ポッターと世界の中心で愛を叫ぶ」・・・もう「と」の意味が変わってるし。

馬鹿馬鹿しいが、エンドレスで楽しめる。
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posted by og5 at 19:10| 秋田 ☁| Comment(0) | TrackBack(1) | 本・雑誌 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年11月17日

信じ難いアリの事件

ついひと月ほど前、特別養護老人ホームで認知症の女性入所者が野良猫に足指を食べられたというニュースを見て、そんな馬鹿なと施設や警察の対応に呆れたばかりだったのに、今度はそれよりも更にショッキングな、しかもどうやら信じ難いとは言い難い(回りくどいが、つまり信じるしかなさそうな)事件がインドで起こった。

ロイター通信によれば、「インド東部の国営病院で糖尿病の治療を受けていた女性が、片目をアリに食われていたことが分かった」というのである。
この女性はアリにたかられた痛みに大声を上げたらしいのだが、看護士達は「感染症により痛みを感じるのは通常のこと」と取り合わなかったという(「私の担当ではない」と言って対応を拒んだ、という説もあり)。
患者の家族がかけつけて左目の包帯をはずしてみたら、何とそこにはポッカリと穴が開いていて、大量のアリがルイス・ブニュエルの映画のように這い回っていたと・・・。

日本に生まれて来て本当によかった、と僕は思う。
というのも、側にいた看護士が「私の担当ではない」と言ってこの女性患者をまるで相手にしなかったというのが、ものすごくリアルに響くからである。
糖尿病患者がアリにたかられるというのも、病院の談話によれば実はそんなに珍しいことではないという。
何だか、モノクロでしか状況を想像することが出来ない。
posted by og5 at 23:04| 秋田 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年11月16日

自動筆記?

今日、仕事中あんまり眠くて、締め切りが近付いている文書の下書きをしながら一瞬気を失ってしまった。
「一瞬」が何度か断続的に続いたのだろう、はっと気付くと、ノートには訳の判らないヨレヨレの文字が書きなぐられており、その初めの一行を一分近くかかってやっと解読した。

「シンボルの操作とうつ状態」

これは、自動筆記であろうか。
未だに意味が判らないので、半分可笑しくて半分気持ち悪いのである。
出来れば、「宇宙の人」は僕を勝手に使わないで欲しい。
posted by og5 at 19:00| 秋田 ☔| Comment(2) | TrackBack(0) | 雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年11月14日

雷鳴って初ハタハタ

大事なことを書き忘れていた。
昨日、我が家では、今シーズン初の秋田産ハタハタを食べたのであった。
船川漁港産、まるごと市場で100グラム250円也。
一家三人なので一人2匹として6匹購入。
軽く塩をして焼いて頂いた。

身は、白く、柔らかく、ほろりとして、何とも言えないほのかな甘みがある。
ブリコもまだバリバリではなく、噛むと独特の歯ごたえが歯茎に気持ちいい。
そして何と言っても白子。
昔まだハタハタが高級品でなかった頃には、我が家(僕の実家の方)では一箱何十円で買ったハタハタを塩漬けにして冬の間の保存食としていたものだが、その時白子だけは別に取り分けまとめて醤油で味付けしてご飯のおかずにしたものだった。
僕はブリコよりも断然白子が好きである。
ダダミも好きだがハタハタの白子も大好きだ。

ところで、一家三人で食した初ハタハタは、きっちりオス三匹メス三匹であった。
たくさん箱に入っているのを、「6匹!」と言って購入したのだが、魚屋の兄ちゃん、ちゃんと選ってくれていたのである。
さり気なくプロでカッコイイ。
posted by og5 at 22:13| 秋田 ☔| Comment(3) | TrackBack(0) | 雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年11月13日

「笑点」、今日は好楽が司会

演芸コーナーに出ていた江戸家小猫は、父親と、また父親と一緒に出演していた時とほとんど同じネタであった。
どうにかした方がいいのではないだろうか。
いや、物真似自体が素晴らしければ「偉大なるマンネリ」で一向に構わないのだが、「鈴虫」は何だか息が苦しかったし、「さかりのついた猫」も全然似ていなかったし(家のネコも寝ていてピクリともしなかった)。
大丈夫だろうか。

さて、大喜利について。
司会は冴えなかったが、みんなのチームワークはますます良くなっていた。
来週は木久蔵が司会である。
これは見逃せない。

posted by og5 at 20:11| 秋田 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | TV・芸能人 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

「動物」と「命」について

昨日、ビートたけしや爆笑問題が出演する「日本の教育を考える」という謳い文句の番組を見ていたら、小学生にクラス全員で豚を飼育させ、大きくなった時点でその(愛称まで付けられている)豚を食肉加工工場に送るか否か考えさせる、「命の学習」という何ともヘビーな施策を紹介していた。
僕は、基本的に、食べるためなら動物は殺してもいいと考えている。
だって、殺さざるを得ないではないか。
だから、番組の中で当の子供自身が言っていたが、「名前」をつけたらいけないのである。
食べるために殺すのを「残酷」だなんて言うのは卑怯である。

小学校などで飼育している小動物(ニワトリやウサギ)を、夜間あるいは無人の休日に何者かが惨殺するという事件がよく起こる。
もちろん犯人は許せないと思うし、何かもっとひどいことにつながる恐ろしさを強く感じるので、社会はこの時点で全力をあげた強力な捜査もしくは予防措置を講じるべきだと思うのだが、一方で「それら動物を可愛がっていた子供達の心の傷」をことさら強調することにも違和感を覚える。
それというのも、小学校などで行われている情操教育の一環としての小動物飼育は、実は土日には餌もやらず、誰も(教師でさえ)様子を見に行くこともないというのが大多数の実情である、というニュースを一ヵ月くらい前に読んだからである。
なんだか、いびつで大きな輪がグルグルと回っているような感じだ。

最近、戦国時代の敵味方がよろい兜をつけたまま一緒にメリーゴーラウンドに乗ってはしゃいでいるというバージョンに変わったが、あるパチンコメーカーのコマーシャルに、アフリカの大草原でライオンとシマウマがうっとりとして抱き合っているというのがあった。
僕はあれが大嫌いであった。
あんなことをしていたら、ライオンもシマウマも生きては行けないだろう。
あんなことが「平和」ではないだろう、と思う。
シマウマは草を食む。
ライオンはシマウマを襲う。
そういうことが営々と続いて行く。
それが「平和」ではないのか?





posted by og5 at 19:59| 秋田 ☔| Comment(3) | TrackBack(0) | 雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

味の素、って。

今日テレビで、チャーハンを作ってるところに赤と白のパンダが闖入して調味料をふりかける、という味の素のコマーシャルを見た。
マヨネーズとかパックになった食品のではなくて、「味の素」そのもののコマーシャル。
「まだ味の素ってあるんだ」が正直な感想であった。
というか、「まだ味の素を使う人がいるんだ」かも知れない。

巷には化学調味料入りの食品があふれているのだから、せめて本当の材料から作る料理には味の素なんか入れない方がいいのではないか、と僕は思うのである。
僕はグルメではないので、インスタントラーメンとか冷凍食品の類も大好きで、多分意地悪をされて「これ、どっちが化学調味料入りだと思う?」とか食べ比べクイズなんか出されたらあっさり(いちころで)お里が知れてしまうかも知れないのだが・・・。

「味の素」、「ハイミー」、「いの一番」、「フレーブ」。
何故か「高度経済成長」という言葉を思い浮かべてしまう。
「現代っ子だい ボンネルだい」とか(若い人には全然判らないと思うが)。

もういいのではないだろうか。
「おふくろの味」と称して化学調味料の「かつお出汁」では、樹木希林としてもやっぱりまずいだろう、と思うのである。

posted by og5 at 18:59| 秋田 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | TV・芸能人 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年11月10日

お賽銭と供え物

兵庫県で、賽銭箱から「2円」盗んだ無職の男が逮捕されたそうである。
なんでもこれが最初ではないらしく、警察が「逃亡の恐れがある」と判断してのことらしい。
「のどが渇きジュースが飲みたかった。百円玉だと思ったら1円玉だった」と供述しているとか。
寺の住職は、額は「2円」と少ないが「仏様にお供えされた人の気持ちを踏みにじる行為だ」とか言っているそうだが、賽銭を入れた人はその時点でもう「済んで」いるのではないのだろうか。

昔、「乞食」と呼ばれる人達が家々を回って物乞いをする姿が普通に見られた僕の子供の頃には、賽銭箱はやはり彼等のヨスガであっただろう。
また、お墓に供えられた果物や饅頭なども大事な食料であったに違いない。
いつからか多くの寺では、供え物は持ち帰って下さい、などと言うようになった。
きっと、カラスが食い散らかしたりして大変だとか、そうでなくても腐って始末に手がかかるとか、そんな理由なのだと思うが、それならいっそお賽銭も持ち帰るようにしたらどうだろうか。
賽銭泥棒がそわそわして困るとか、何に使おうか世俗の悩みが発生して大変だとか、理由ならいくらでもありそうだ。

もちろん冗談ですけどね。
posted by og5 at 20:25| 秋田 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年11月06日

日記のようなもの

一昨日昨日と陶芸をしに行き、今日もちょっと乾燥の調整をしに「あっけら館」まで行った。
実は先月末本焼きがあったのだが、今回は釉薬のかけ方がまずく碌な出来じゃなかったので少し落ち込んでいたのであった。
が、落ち込んでいても誰も慰めてはくれない。
また作るしかないのである。

本田美奈子が亡くなった、というニュースを見た。
彼女に特に思い入れがあったわけではないが、今日は心の中で何度か「マリリ〜ン」と呟いた。
ミュージカルで活躍していた彼女が、まだデビューしたての頃のあの曲を好きだったかどうかは判らないが、でも今夜は日本中で(多くの人の心の中で)この曲のこのフレーズが流れているに違いない。

迷える子羊とか羊のように従順にとかよく言うが、強い羊や悪いことを考えている羊だってきっといるはずだ、と思う。
それは決して悪いことじゃない。

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posted by og5 at 22:57| 秋田 🌁| Comment(5) | TrackBack(0) | 雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

シリーズ「今日の笑点」

勝手にシリーズにしているのであるが。

今日の大喜利の司会は三遊亭小遊三であった。
一番笑ったのは何といっても「あぶないデカ」というお題の時。
たい平が、「張り込み中、犬の交尾を見て涎を垂らしている小遊三刑事」と(いうような答え)を言うと、小遊三がすかさず「俺なら見てないで自分でやるよ」と返した時だった。
「交尾はいけないよ、交尾は」と歌丸だか楽太郎だかから声がかかり、一同吹き出すのを堪えるのに必死。
思わず歌丸が、「円楽さんがテレビでこれ見ていたら何て言うか・・・」と情けなさそうに呟いた時には、もう腹が痛くて笑いを堪えることが出来なかった。
小遊三は、きっと今の大喜利メンバーの中で最も多く下ネタを言う人である。
が、彼の下ネタは一度もイヤらしく聞こえたことがない。
円楽師匠も、彼の下品な答には変に目くじら立てることもなく、ワッハッハと大笑いしているのが常であった。
不思議であり、また同時に得な(おそらく持って生まれた)特質である、と思う。
個人的には、小遊三が「イボンヌ」と言うのが大好きである。

posted by og5 at 22:39| 秋田 🌁| Comment(0) | TrackBack(0) | TV・芸能人 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

最近読んだ漫画の感想などA〜「PLUTO」「おそ松くんO」

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最近読んだ漫画本(@から続く)

「PLUTO」浦沢直樹・手塚治虫(小学館ビッグコミックス)
手塚治虫の「鉄腕アトム」に「地上最大のロボット」という物語があり、これは浦沢直樹によるその再漫画化である。
主人公はアトムではなくゲジヒトというドイツのロボット刑事、しかもアトムはあの誰もが知っているキャラクターではなく、まんま「人間の子供」の恰好をして登場する。
まだ第二巻までしか出ていなくて、物語の構成や進め方も最初から「壮大」になることを前提として作られているようなので、今のところまだ断定的な感想を述べることは僕には出来ない。
が、一つだけ少し気になっていることがあって、それは、浦沢直樹は機械を描くのが苦手なのかも知れない、ということである。
例えば、第一巻で、何者かに殺害されたベルナルド・ランケという人物の頭部に大き目の折り畳み式デスクランプが、「角」に見立てて突き立てられているシーンが出て来るのだが、僕にはどうしてもそれが「木製」に見えるのだ。
まあ、それほど熱心な手塚治虫ファンではなく、「鉄腕アトム」で唯一憶えているのが「イワンの馬鹿」という僕が勝手に思うことである。

「おそ松くんO」赤塚不二夫(竹書房文庫)
以前刊行された全集が中途半端に終わってしまっていたので、とても腹を立てていたのである。
今回はどうやら最後まで行きそうだが、前回の続きではなく、また第一巻から別物としての出し直しである。
まあ、出してくれるだけでも有難いと思わなくてはならないのかも知れないが。
この巻には大好きな「江戸工城の忠臣蔵だ」が収録されている。
六つ子の復讐を恐れ逃げ出したイヤミの布団のおねしょを発見して、「きんちょうのあまりもらしたんだな!!」「まだあったかいぞ」という台詞(というかシーン)が特に好きでずっと憶えていた。
あと「イヤミ左膳だ よらば斬るざんす」の巻で、デカパン道場の家宝「名刀 親ネコ子ネコ」(親子が離れるとニャーニャー鳴く。また、鞘から抜いた時にもギャオーンとすごい鳴き声を出す!)をイヤミが持って行こうとした時、デカパンが「シェー それだけはゆるしてちょ!!」と言うと、イヤミが「ミーの口まねするとひどいざんすよ」と応えるシーンなど最高である。
posted by og5 at 14:17| 秋田 🌁| Comment(0) | TrackBack(1) | 本・雑誌 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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