2005年12月27日

時々無性に

時々無性に聴きたくなる曲というものがある。
僕の場合最近では、森田童子の「雨のクロール」とか中島みゆきの「アザミ嬢のララバイ」とかビートルズの「アスク・ミー・ホワイ」とか。
今日はプリファブ・スプラウトの「グッバイ・ルシール・No.1」が居ても立ってもいられなくなるくらい聴きたくなって、そして今聴いている。

こうして聴きたくて聴きたくてしょうがなくなる曲というのは、いったい何なのだろう。
どんな心の仕組みからこんな気持ちが生まれるのだろう。
何か特別な思い出があるわけでもないし、また(他の曲に比べて)特に強く思い入れがあるわけでもない(確かに「好き」は「好き」なのだが)。

ただひとつ思うのは、そうした曲達は、自分の中で決して色褪せないというある一定の条件を満たしているということで、それは当時夢中になって聴いていたかどうかということとは、少し反比例しているような気もする。
ちょっと脇にあったけれど、実は深く染みていた曲。
実際は当時からど真ん中で、今でもしょっちゅう聴きたくなる曲というのも(当然)あるわけだが、そうでなくても心の奥底で実は好きだった曲というのもまた実際あるわけである。

さて、困った。
「時々無性に」などというタイトルを書いてしまったせいか、今度は石川セリの「ときどき私は」が聴きたくなってしまった。
明日は仕事納めだしまあいいか、とこれからCDを探す。

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posted by og5 at 23:13| 秋田 ☁| Comment(1) | TrackBack(1) | 音楽 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年12月26日

酢だこを求めて三千里

正月用に買うものといえば何といっても酢だこである。
我が家では、大晦日から三カ日にかけて食べるために、刺身や氷頭なますや寿司はたはたやそばやかまぼこや色んな乾物や餅や茶碗蒸し用のささみや銀杏やあれやこれやをこれでもかこれでもかとまとめて買うわけだが、自分には何故だか酢だこが一番現実離れしている、つまり正月っぽいように思えるのだ。
普段でもスーパーマーケットに行けば必ず売っているし、買おうと思えばいつでも買える。
しかし、決して正月以外には買おうとは思わない。

一昨年、リニューアルオープンした秋田市民市場に酢だこを買いに行ってとてもがっかりした記憶がある。
ある鮮魚店で酢だこを買う時に、それまで毎年していたように「皮」をおまけしてくれないかと頼むと、実に嫌な感じで断られたのだ。
オバサンは、「売り物だからおまけするわけにはいかない」と言う。
横でオジサンは、「そんなものおまけしてやればいいではないか」と言っている。
察するに、「いかに酢だこの皮といえどもただでやるわけにはいかない」というのはオバサンのその場の思いつきと思しく、樽の中の皮を見やれば、明らかに売られる状況とは言い難く、どんよりと紅い酢水の中で淀んでいるのであった。
考えてみれば、毎年おまけしてもらい、またおまけしてもらうのが当然だと思っていた自分がそもそも浅ましいのであるが、そのオバサンのオジサンとのやり取りがどうにも不愉快で、結局僕はその時その店で買うのをやめにしてしまった。
僕は、酢だこの身ではなく、皮が大好きなのである。

そんなこともあって、去年は市場ではなく、わざとらしく別の店で正月用の買い物をした。
しかし、その店にはそもそも酢だこの皮というものがなかった。
パックされた「本体」だけが並んでいて、いやまさかそんなことはないだろうと思った僕が「酢だこ(の皮)はどこですか?」と訊ねると、不機嫌な声で「そこだ!」とその「本体」のパックが並んでいる辺りを顎で示されたのである。
僕は泣く泣くその「本体」を購入した(「本体」もやはり食べたかったのだ)。

つまり、僕はここ二年余り本当に美味しい酢だこの皮を食べていない。
今年は心を入れ替え、また市場に行ってみようと思っている。
売り物なのだとしたらちゃんと買えばいいのだと素直に決心している(当たり前だ)。
酢だこの皮のない正月は淋しい。
塩ジャケの皮、鶏の皮、それにこの酢だこの皮・・・。
ああ、何で僕はこんなに何かの皮が大好きなのだろう。

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posted by og5 at 22:22| 秋田 ⛄| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年12月24日

「エイリアンVSヴァネッサ・パラディ」〜終わり馬鹿なら全て馬鹿

まず、ヴァネッサ・パラディのスキッ歯に圧倒される。
ピアノの鍵盤かと思ったほどだ。
いや、前からこの人のことを知らないわけではないのだが、「上玉」で「歌姫(ディーヴァ)」で「メスのライオン」だとしたら、あのスキッ歯と貧弱な身体ではやっぱりちょっとまずいのではないかと思ってしまうわけである。
が、しかし、映画はそんなことには全くお構いなしに強引に進んで行く。
そして実際、ヴァネッサ・パラディが突然腰を振り、何の脈略もなくいきなり歌い出せば、我々はもう日陰でも45℃のスコットレットのコン(クール)会場の中にいるのである。

干物になったばあちゃんと暮らす頭のイカレタ「この世の支配者」男、(かなり動きのぎこちない)愛犬トビーの脚のおできを押して甲高い鳴き声を上げさせコンクール優勝を狙うブロディ、メキシコから来たというふれ込みの怪しい金髪二人組み、ブルース・リーファンのスプーン演奏が得意な自動車整備工、異次元からやって来て颯爽と登場するわりにはあっけなくKOされてしまう宇宙服男等々。
あんまり馬鹿ばっかりで、エイリアンにお尻を刺され、やがて自らもエイリアン化するインチキプロデューサーがまともに見えるくらいだが、何といってもこの映画最大の大馬鹿キャラクターはエイリアンである。

このエイリアン実に凶暴な奴で、長い触手で人間を手当たり次第捕まえてはわざわざ顔をグチャグチャにして殺すし、大挙して登場する時はいつも一緒に黒い回転ノコギリみたいな意味不明な物をヒュンヒュン飛ばして人の首をちょん切りまくるしで、あたりはもう血の海、阿鼻叫喚とはこのことかというくらいの惨状がそこには繰り広げられているわけなのだが、何というのか、笑えるのである。
真っ黒く焦げたクラゲみたいな形をしていて、頭部の両脇から横に突き出た安物のクリスマスツリーに飾る安物のモール様の触角と思しき物を常にビビビビビビビと振動させながら空中に浮かんでいる様子が、本当にもう吹き出さずにはいられないほど間抜けだ。
グロでゴアなのに間抜けで(ちょっと)キュート。
ある意味、ヴァネッサ・パラディと相似形である。

そして、馬鹿だけどカッコイイのが、恋人コンチャ(ヴァネッサ・パラディ)を助けるため八面六臂の大活躍をする脱獄犯ジェームス・バタイユ(ジェイソン・フレミング)である。
エイリアンをやっつける秘策をみんなに授ける前にあっけなくのびてしまったケルゾ教授の宇宙服を身にまとい、背中のジェット噴射機のエネルギーが弱いのか地上僅か数十センチしか浮いていないけどとりあえず空を飛び、ヴァネッサ・パラディを追いかけて何とバイクのスタントテクニックで宇宙に飛び出す彼は、もしかしたら二十一世紀最後のヒーローかも知れない(ちょっと気が早い)。

これでいい年が迎えられる。
終わり馬鹿なら全て馬鹿だ。

そして、僕はゲラゲラ笑いながら思った。
こんな映画を、映画館の大きな画面で、いつでも好きな時に観たいものだ、と。
そんな世の中だったらいいのにな、と。
だって、世の中全て、難病でもうすぐ死ぬ恋人の話や世界の中心で自己中心なことを叫ぶ映画ばかりだったらつまらないではないか。
僕は、こんな「お馬鹿映画」が大好きだが、これを最上とするわけではもちろんない。
しかし、こんな映画は時に、「立派な」映画の立派さを悪ふざけでおちょくりながら、少しだけ違う方向から物を見ることも大事なのだと僕に教えてくれたりもするのだ。
映画に「二本立て」上映の時代はもう巡って来ないのだろうか。
そう考えると何だか悲しい。

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※こちらは「歌姫」のライブです。
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posted by og5 at 19:48| 秋田 | Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年12月23日

青の時間

今日は祝日なのに早起きをした。
昨夜、酒を飲んだ深夜の帰宅時に、重い雪がもうすでにかなり積もっているのを見て、明日は二人で雪掻きだねなどと妻と話していたのだが、酒が抜けて何だか妙に冴えた気分になり、よし思い切って起き上がり一人で雪掻きをしてしまおうと決心して時計を見たらまだ5時半だった。

車7台分の駐車場と通路を、果てしない気分でずっしりとした雪でいっぱいのスノーダンプを押しながら歩いていると、最初は薄暗かった空が少しずつ明るくなり始めた。
天気は悪くない。
灰色の雲の間に月が見える。
空の色がただの暗色から濃い藍色になり、そしてやがて明るい青になった。
見上げるたびに色が違う。
僕は、ズルズルと鼻水を垂らしていた。
汗が目に入って痛い。
息が切れて、何度もしゃがみ込む。
しかし、何とも言えず清清しかった。

昔ビデオで観たエリック・ロメールの「四つの冒険」という映画に、女の子二人が夜明け前の家を脱け出して、まだ暗い原っぱだったか丘だったかに身を潜め、小鳥でさえもさえずるのをやめるという本当の静寂が一瞬だけ訪れる「青の時間」を見に行くというエピソードがあった。
いつも早起きをしている人達にはとても恥ずかしくて言えないが、一時間半ほどの雪掻きでくたくたになった僕は、あの映画を思い出しながら、ものすごく満ち足りた気分になっていたのである。
posted by og5 at 23:38| 秋田 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年12月20日

今日の思いつき〜「函館の女(レクター教授バージョン)」

北島三郎の「函館の女」のメロディーで、出来れば声に出して歌ってみて下さい。

「♪ハンニバル来たぜ 函館へ〜」

結構悩み事を忘れることが出来ると思います。

※て、書いた後でもしやと思って検索してみたら、色んな人がもう同じこと言っていた。
やっぱりな。


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posted by og5 at 20:39| 秋田 ☁| Comment(2) | TrackBack(0) | 雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年12月19日

カミングアウトの功罪

今日「ヘイ!ヘイ!ヘイ!」のスペシャル番組に、ORANGE RANGEのコーナーのゲストとしてKABA.ちゃんが出ているのを見た。
KABA.ちゃん、とにかくはしゃぎまくりでオカマ全開である。
この人がいつからこのように丸出しになってしまったのかは判らないが、これで果たしていいのだろうか、というのが素直な感想であった。
カミングアウトすることが100%いいことだとは僕は実は思っていない。
「隠していた時」の方が魅力的だった人は結構いると思うし、ある意味そういう抑圧というのか鬱屈というのか、それが人前に出る人には時として必要だとさえ思うのである。
謎めいていては駄目なのだろうか。
曖昧にしていては駄目なのだろうか。
割り切れるだけが「気持ちいい」でいいのだろうか。
別に僕はKABA.ちゃんに何の思い入れもないわけだが、きっかけとして、今日何となくそんなことを考えたのである。
決して僕は同性愛者に偏見を持つ者ではない(僕はトム・ロビンソンを尊敬している)。
また、僕はカミングアウトした人の心の問題ついて語っているわけでもない(本人にしてみたら、どっちにしても「気持ちいい」方がいいに決まっている)。
ただ、「オカマ」に限らず、カミングアウトして魅力がなくなってしまうということも確かにあるのだ、と(とりあえず)個人的に確認しておきたかっただけなのである。

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この人は、自分のことを歌にして問わずにはいられなかったのだ。
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posted by og5 at 23:14| 秋田 | Comment(2) | TrackBack(0) | TV・芸能人 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年12月17日

謎の「やぎさんゆうびん」

「やぎさんゆうびん」は、まどみちお作詞・團伊玖麿作曲による大変有名な創作童謡であるが、僕はこの曲の歌詞に以前から大きな疑問を抱いていた。

黒やぎさんは、白やぎさんからのお手紙を読まずに食べてしまう。
手紙の内容が判らないので、彼は仕方なく、どんな用事だったのか訊ねる手紙を白やぎさんに送るのだが、しかし白やぎさんもまた黒やぎさんと同じように届いたお手紙を食べてしまい、その内容を確認するためにまた黒やぎさんにお手紙を送るのである。
これでは堂々巡りだ。
しかし、それはそれでいい。
僕の疑問とは、何故白やぎさんは、手紙を書いている最中に、自分の手紙を自分で食べてしまわなかったのだろうか、ということである。

友達から届いた手紙を読まずに食べてしまうくらいの馬鹿なら、自分がこれから書こうとしている便箋だって食べてしまうだろう。
いや、草ではなく紙を食べなくてはならないくらい腹が減っていたのなら、自分が持っている封筒あるいは便箋を食べた方が手っ取り早いだろう、と思うのだ。
何故相手から来た手紙でなくてはならないのか。
ああ、また今夜も眠れない。

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posted by og5 at 22:42| 秋田 ☁| Comment(2) | TrackBack(0) | 音楽 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

「SAYURI」はミンストラルショーか

映画「SAYURI」を観ることはまずないだろう。
それは、僕が仮に猫だったとして、「CATS」を観に行くことは絶対にないだろうというのと同じくらいの高確率で確かなことである。
誰も「CATS」を猫のことを描いた舞台だなどとは思わないだろうが、しかし「SAYURI」はどうだろう。
中には、これを自分達の「文化」や「精神性」について何事かを描こうとした映画であるかも知れないなどと勘違いして映画館に足を運んでしまう人もいるかも知れない。
しかし三毛よ、そこにいるのはあなたの仲間ではない。
三毛ではなく、ましてやトラでもサバでもない。
あれは猫をかぶった狐である。
僕は、長靴をはいた猫は見たいと思うが、猫をかぶった狐を見たいとは思わないのだ。
「SAYURI」がミンストラルショーなのかどうかは、結局僕には判断出来ない。
しかし、スピルバーグ達の我々に対する気遣いは、所詮猫に対するそれと同じ程度、あるいはそれ以下のものでしかないのだろうということは、何となく判るのである。

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posted by og5 at 22:13| 秋田 ☁| Comment(4) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

友情について

生まれてからまだ5年しか経っていないのに、惨めな気持ちになってもう死んでしまいたいと思っている子供がいると知ったら、誰でも側に行って何かしてあげたいと思うだろう。
でも、毎日そんな子供と一緒に一日の大半を過ごさなければならないとしたらまた話は別だ。
淋しい思いをしている老人が道路で息を切らし、もうこれ以上は一歩も先へ進むことが出来ないと喘いでいるのを見かけたら、誰でも声をかけて力になってあげたいと思うだろう。
でも、淋しいと同時に愚痴っぽくもあるそんな老人と、同じ家で毎日暮らさなければならないとしたらまた話は別だ。

僕は優しくて親切だ。
でもそれは何の役にも立たない。

それほど遠くない国で大きな津波があって、たくさんの人が死んだり死にかけたりしている時にも、僕は昨日の夜誓ったばかりなのにもうその誓いを破り、500Kcal分のお金を送ることも出来ただろうにと思いながら今日もまた食べ過ぎを後悔している。
熱い砂漠の土地では人よりも病原体の方が強くて、たくさんの子供達が一度も笑わないうちに死んでいく運命にあるのだというが、僕は彼等にワクチンを送ってまた人口を増やすことが、本当に彼等の国のためになるのだろうかなどと思いながら、もはや美味しいとも思っていない酒を一人で飲んでいる。

僕は友情について考えていたのだ。
近くの者には感じられず、遠くの者には与えられない友情について。
posted by og5 at 21:37| 秋田 ☁| Comment(2) | TrackBack(0) | 雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年12月11日

「ALWAYS 三丁目の貸本屋」

「ALWAYS 三丁目の夕日」には出て来なかったが、僕にとって昭和30年代を象徴するものは何といっても「貸本屋」である。
当時の子供の小遣いは今と違って僅かだったから、毎週読みたい週刊誌を何冊も買うなどということはあまり一般的ではなかった。
買うにしても、特にお目当ての漫画が載っている一冊を買い、後は貸本屋でフォローするのである。

週刊誌なら、少年サンデー、少年マガジン、少年キングで、ジャンプやチャンピオンはまだなかった。
当時は月刊誌もたくさんあって、少年画報、少年ブック、ぼくら、少年、まんが王、冒険王など。
月刊誌には毎号豪華付録というやつがついていて、帯どめされた別冊の漫画(薄くて小さな版の読み切り漫画などが数冊まとめられたもの)とともに大きな楽しみの一つだった。
こちらも、欲しくても気楽には購入出来なかったから、本誌の方は貸本屋で借りて、付録は付録で何十円かで売ってもらうのであった。

貸本屋には、大手出版社の週刊誌や月刊誌の他に、マイナーな出版社から独自のルートで出されている、いわゆる「貸本漫画」と呼ばれる本達も並んでいた。
これら怪しい魅力にあふれた本の数々は、並べられる場所も少年サンデーや少年マガジンとは区別されていた。
メジャーな本が店のど真ん中に据えられたベニヤ板製の(実際は少し斜度がついているのだが)平積み台に丁寧に並べられていたのに比べ、貸本漫画の方は、店の壁際にズラリと並ぶ本棚に、とにかく量が入ればいいのだといった感じでギュウギュウに詰め込まれているのだった。

ひばり書房、若木書房、日の丸文庫などという出版社名を記憶している。
漫画家では、わちさんぺい、前谷惟光、好美のぼる、K・元美津、辰巳ヨシヒロなどなど。
漫画を見て初めて「エロ」を感じたのも、「ハレンチ学園」ではなくて実は貸本漫画の時代劇であった。
(確か)ケン・月影の忍法帳もので、短い着物の裾を乱しながら妖しい術(蛸壺の術?)を使う女忍者が出て来る漫画があって、僕はそれを見た時あまりの色っぽさに眩暈がしたのだった。
時代劇はいやらしかったなあ(お蔭で、小学生なのに「毒婦」だの「てごめ」だのという言葉も覚えてしまいました)。

とにかく、僕は毎日貸本屋に通った。
そして、毎日貸本を借りた。
貸本屋の小母さんは貸し出しノートをつけていて、客はいちいち住所を申告しなくてはならなかったのだが、僕は常連だったのでフリーパスで、それがまた少し自慢でもあった。
しかし、そんな僕がただ一度だけ、もう二度と貸本なんか借りるまい、と思ったことがある。
ある年の夏休み最後の日、机の脇に積み上げられた教科書やドリルにまぎれて、夏休み前に借りてそのまま返すのを忘れてしまっていた少年ブックを見つけたのである。
あの時は本当にあせった。
血の気が引いた。
意味もなく、もう二度と悪いことはしません、と心の中で神様に誓ったほどである。
すぐに、喉元過ぎて熱さを忘れたけれど。
posted by og5 at 13:46| 秋田 ☁| Comment(3) | TrackBack(0) | 記憶 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年12月10日

あの世のジョンを「想像」してみる

一昨日はジョン・レノンの25回目の命日であった。
最初そのニュースを耳にした時、僕は確かほとんどショックを受けなかったはずである。
それは、その当時のジョン・レノンがもうすでに僕にはあまり関係のない人になってしまっていたからかも知れないし、世間があまりにも大騒ぎをするので(へそ曲がりな僕が)すっかりシラケタ気分になってしまっていたせいかも知れない。
おそらくは、その両方が混じり合って、ちっぽけな僕の精神が、あえてジョン・レノンの死という大事件を、出来るだけ知らん顔をしてやり過ごしてしまおうと考えたのだと思う。

僕は、ジョン・レノンが嫌いだったわけではない。
ビートルズの曲で何が好きかといえばそのかなりの割合を彼の作品が占めるし、ボーカリストとしても、僕はポールよりもジョンの方が好きであった。
そうなのだ、何しろあれらの曲は全て「レノン=マッカートニー」が作っていると思っていたのだから、誰の作品かなどということではなくて、実は僕は彼の歌が(理屈ではなく)何より好きだったのである。

しかし、不思議なのだ。
ビートルズが解散して、彼の歌は相変わらず、いや(場合によっては)以前にも増して魅力的だったはずなのに、それらの曲を聴いても、僕がドキドキすることはもうあまりなかった。
だから、「ジョンの魂」は買ったが「イマジン」はシングルしか買わなかった。
「シェイブド・フィッシュ」は買ったけれど、すぐに飽きてしまった。
「ハッピー・クリスマス(戦争は終わった)」や「人々に勇気を」など一連のシングルも買ったし、それらの何枚かのB面に収められていたオノ・ヨーコの変な曲も大好きだったのだが・・・。
はっきり言えるのは、いつからか僕は、彼等の「愛と平和(ラブ&ピース)」に全くうんざりしてしまっていたということだけである。

ジョン・レノンに対する僕の気持ちは複雑である。
愛しているのに、そう言いたくはないのだ。
そして、僕のそんな気持ちは、「イマジン」という曲に接した時最も大きく上下に揺れる。
まるで「イマジン」が僕を試しているかのようでさえある。
「イマジン」の歌詞は、今読むとまるでLSDでラリっているように僕には聞こえる。
何だかフワフワしていてまるで現実感がない。
あの曲は、実はビートルズ時代の「ルーシー・イン・ザ・スカイ・ウィズ・ダイヤモンド」と同じところに分類されるべき曲なのではないか、と僕は思う。

「イマジン」の中で、ジョン・レノンは「天国なんかないと思ってごらん」、あるいは「宗教なんかないと思ってごらん」と歌うが、「イマジン」を愛する人達は、ジョン自身を教祖とする宗教も、またその教義に出て来る彼(とヨーコ)のユートピアも、たぶん心から信じているのだろう。
そういうことを、もしかしたらジョンは面白がって、薄い唇と醒めた目をして、「あの世」でクスクスと笑っているかも知れない。
そう「想像」してみる。

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posted by og5 at 17:20| 秋田 ☁| Comment(0) | TrackBack(5) | 音楽 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年12月09日

「映画館がアルヴェ」なのか「映画館もアルヴェ」なのか

JR秋田駅前の拠点センター「アルヴェ」から映画館がなくなってどれくらい経つだろう(僕があそこで最後に観たのは「妖怪大戦争」だった)。
贅沢な造りの映画館だったななどと思っていれば済む僕のような無責任な観客とは違い、ビル管理をしている「秋田新都心ビル」と映画館を運営していた「M&Tピクチャーズ」との間には、深刻な裁判沙汰が起こっていたらしい。
ニュースによれば、東京地裁の決定に従い、「M&Tピクチャーズ」と(同社監査役)水野晴郎は、12月1日付で映画館の引き渡しを完了したということで、新都心ビル側はすぐにでも後継の映画館運営会社を決め、来年の三月には映画館を再生させたいと考えているのだという。
未払い賃料もかなりあったとのことだが、それがどうなったかはよく判らない。

しかし、問題は「M&Tピクチャーズ」だけにあったのではないだろう、と僕は思う。
僕があそこにあんまり頻繁に足を運ばなかったのは、結局どうしてもあそこで観たいと思う映画がほとんどかからなかったからである。
そして、あそこは、映画を観る以外には全く行く目的を見つけることの出来ない場所だったから、僕は映画館の閉館以来あそこには全く行っていないわけである。
「映画館がアルヴェ」なのか「映画館もアルヴェ」なのか、それが問題なのだ。

今度は書店も入れようとか考えているらしい。
「映画館と書店がアルヴェ」計画。
新都心ビルの人達は、それで本当に人がたくさん集まるようになると考えているのだろうか。
気の毒だが、秋田にはそういう「文化」はない。
いや、そういうものにはあまり一所懸命にならず大事にもしないという独特の「文化」がある。
僕は映画も本も好きな方なので、個人的にはそんな「文化」はちょっと困るわけだが、しかし「文化」は生き物だからとりあえずは受け入れるしかないし、僕はそれを決して恥だとは思わない。

「秋田新都心ビル」及び「JR秋田駅前の拠点センター」という名前や呼び方をまず変えたらどうだろうか。
秋田には「都心」などないし、アルヴェがあるのは駅裏であって「駅前」ではないと思うからだ(それどころか両サイド「駅裏」のようなものだ)。
中身が伴わずにお題目だけ妙に立派なのは、見栄を張っているようですごくかっこ悪い。
そもそも駅周辺への自由な自転車乗り入れを禁じた時から、あそこら辺は「賑わい」というものを自ら明確に拒否したはずなのである。
「目的」が結果と見事にリンクしている。
今の秋田駅周辺の状況には、ちっとも不思議などない。
posted by og5 at 20:10| 秋田 ☔| Comment(0) | TrackBack(1) | 雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年12月08日

横断歩道の謎

今朝、今年初めての凍った道路を歩いて会社に行った。
そして、凍ったアスファルトの上を、立ったばかりの幼児みたいにヨチヨチ歩きながら、冬になると毎年考えることをやはり考えていた。

何故、横断歩道は、あんなに滑り易い塗料でラインが引かれているのだろう。

僕の会社の構内には、「構内の白線の上は大変滑り易くなっておりますので注意して下さい」という貼り紙がしてある。
少なくとも僕の会社の総務の連中は、「アレ」が危険だということをはっきり認識しているということだ。
毎年、何人もの人が、テカテカに凍った横断歩道の白線に足を滑らせて転ぶ。
その当人、家族、友人、周りに居合わせた他人、少なくともそれらの人達は、「アレ」が危険だということを身をもって体験したり、あるいは身近に見たりしてよ〜く知っているわけだ。

何故、いつまで経っても、あの滑り易い塗料は改善されないのだろう。

僕は、結構本気で、せめて横断歩道くらいは、アスファルトを剥いでむき出しの土にすればいいのに、と思っている。
「アレ」はよくないよ。
posted by og5 at 21:20| 秋田 🌁| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年12月05日

「中国四千年」の謎

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去年も一昨年も、いやもうかなり前から、中国の歴史は「四千年」なのである。
いったいいつになったら「四千一年」はやって来るのだろう。

以前、一時間毎に長針がグルッと(瞬間的に)一回りする時計を考えて、これは面白いと一人で喜んでいたのであるが、中国には負けます。

そういえば、僕が子供の頃には確か「中国三千年の〜」と言っていたはずで、こりゃ来年あたり知らぬ間に「五千年」になってるかも知れないぞ。

※「三千年」もありました。
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※何と! 「五千年」も既に!
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posted by og5 at 22:15| 秋田 🌁| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年12月04日

座布団運びの実力〜今日の「笑点」から

先週から、どうやら大喜利の司会は歌丸師匠に固定されたらしい。
ちょっと声に生気がないように感じたのだが、気のせいだろうか。

ところで、今日は笑点を見ていて、「ああ、山田クンっていいんだなあ」としみじみと思った。
というのも、先週購入した「笑点大博覧会」のDVDを見ていて、松崎真の乱暴な立居振舞いにちょっとびっくりしたからである。
態度がぶっきらぼうなのはともかく、座布団の置き方がひどくぞんざいなのだ。
回答者達も、座布団の枚数が段々増えるに従って、崩れそうな座布団の上で目立たないように身をよじったりしている。
いずれにしても、町の安食堂の使えないバイト女店員がラーメンの器をドンとテーブルの上に置きその衝撃でラーメンの汁がテーブルの上にびしゃびしゃとこぼれてしまったのに謝りもせずに知らぬ顔で奥に引っ込みテレビの続きをまた見始める、という感じの松崎真は、やはりおめでたい感じがしなければならない笑点には合わないのである。
そして、それに引きかえ、さすがは山田隆夫だ、と。

「笑点大博覧会」を見ていて、笑点のテーマ曲が中村八大作曲だということにもびっくりしたが、山田クンが座布団運びを始めてから既に20年以上の年月が経過しているという事実には、びっくりを通り越してあ然としてしまった。
そうか、もうそんなに経つのか。
ちびっ子大喜利のご褒美で、ずうとるびとしてレコーディングさせてもらった「透明人間」を作詞・作曲した頃には、まだ自分がじきに松崎真の後釜に座ることになるなどとは思ってもいなかっただろうなあと思う。
もう結構いい年だろうに、彼が未だに「山田クン」とクンづけで呼ばれていることを考えると、ここもまた見事な虚構の世界なのだなあ、とつくづく思うのである。
posted by og5 at 19:13| 秋田 ⛄| Comment(0) | TrackBack(1) | TV・芸能人 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

「恋のバカンス」到着!

竹中直人の「恋のバカンス」DVD BOXがamazonから届いた。
まだ見ていないが、特典のオリジナルストラップがあまりにも強烈だったので、とりあえず画像だけでもと思い記事を書いてみました。

ナンの携帯ストラップです。
    ↓
R0010217.JPG
posted by og5 at 13:47| 秋田 ⛄| Comment(4) | TrackBack(0) | TV・芸能人 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ああ、「不滅の男 エンケン対日本武道館」が観たい!

「運命じゃない人」を観に行った時、シネパレで、今後の上映の候補となっている何本かの映画のチラシを見せてもらった中に、遠藤賢司の「不滅の男 エンケン対日本武道館」があった。
昨日そんなことをふと思い出して、久し振りにエンケンの「東京ワッショイ」を聴いたのだが、これが実によかった。
その素晴らしさを再認識させられた。

「東京ワッショイ」は、パンク、ニューウェイブの大きなうねりに全世界が呑み込まれていた1978年に発表された。
四人囃子、プラスティックスの佐久間正英がシンセサイザーアレンジを担当しているせいか、それともそんな音が欲しくてエンケン自ら彼に白羽の矢を立てたものかは判らないが、そのサウンドは早くもテクノに片脚を突っ込んでいる。
「東京ワッショイ」、「哀愁の東京タワー」、「天国への音楽」、「ほんとだよ」と名曲ぞろいの本作で、やはり僕が一番好きなのは「不滅の男」である。

「不滅の男」でエンケンは、「♪そう俺は本当に 馬鹿野郎だ だから わかるかい 天才なんだ」と歌う(「天才」の部分だけに入る男声コーラスが何とも言えない「バカボン感覚」をかもし出していてGOOD)。
この名曲で自ら宣言しているように、エンケンは本当に天才でかつ不滅の男であった。
フォークブームの最中、1969年にデビューし、数年後には「カレーライス」のヒットを飛ばすが、彼はいつでも異端だった。
フォーク、ハードフォーク、ロック(パンク、テクノ)といつも時代の先端にいながら、いつも聴く者にある違和感を覚えさせずにはおかない彼は、つまり、いつもただしっかりと「エンケン」であったということなのだと思う。
時代の先端に常にピタッとはまっている人間など信用出来ない。

「不滅の男 エンケン対日本武道館」は、何と、彼が日本武道館で「無観客」ライブを行った際の記録映画なのだそうだ。
題名の「対」は、驚くなかれ、そのまんまの意味なのだ。
まさに対決。
まさに天才。
こんな「馬鹿野郎」は見たことがない。

※ビートたけしのレコード第一作は、確かエンケン作だったはずだが、どうしても曲名が思い出せない。当時深夜放送で人気絶頂のたけしをしても全然売れなかったという、セックスピストルズがテクノをやっているような変な曲だったと思うのだが・・・。
これが「東京ワッショイ」(ジャケットは横尾忠則)。
    ↓

B00005F7ZV東京ワッショイ
遠藤賢司

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posted by og5 at 13:25| 秋田 ⛄| Comment(9) | TrackBack(3) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年12月03日

「ALWAYS 三丁目の夕日」〜間違いに気付いていない美しい時代

4840114366「ALWAYS 三丁目の夕日」夕日町オフィシャルガイド
2005『ALWAYS 三丁目の夕日』製作委員会

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そうか、CGや特撮を使ってこういう映画を作ることだって出来るわけだ。
考えてみれば、かつて大林宣彦だって、一連のジュブナイル映画で数々の実験を試みていたではないか・・・。

子供達がゴム巻き飛行機を飛ばした瞬間から、僕はもうこの映画のとりこだった。
そして、魔法のように飛ぶ飛行機に導かれて、ごくごく自然にこの映画の時代と町並を知る。
僕は東京生まれではないから、この映画の景色が必ずしも自分自身のノスタルジックな感情と合致するわけではない。
また、あれはあくまでも再現された擬似的な景色なのであるから、「本物」とはやはりどこか微妙に違ってはいるのだろう、とも思う。
しかし、僕はいつの間にか、自分自身がかつて幼い頃「夕日町三丁目」で過ごしたことがあるような気になってしまっていた。
あの町はたぶん、具体的な「場所」などではなく、「昭和」という時代を(その時代に含まれる場所や人や出来事や記憶など全てをひっくるめて)具現化した生き物みたいな「モノ」なのである。

この映画には、主人公がいない。
主な登場人物はいるけれど、決して特別な誰か一人のための物語ではない。
人々は(当時の市民としての)ごく普通の生活を送っており、ずば抜けた才能を持った者も、飛び抜けたカリスマ性を持った者も出ては来ない。
あえて言えば、あの町に住む人々(画面には映らない人達を含め)全員が主人公なのである。
ユーモラスなエピソードやしんみりした出来事、そして悲しい運命の巡り合わせが語られ、僕達は時に笑い、時にボロボロと涙を流す。
その時、この主人公のいない映画においては、僕達はもはや映画を観ているのではない。
あの町に住んでいるのだ。
そして、感情移入する。
何に?
自分自身の「美しかった昭和」に。

昭和は美しい。
昭和の人達の心も美しい。
それは半分本当で半分嘘である。
あの時代にも残忍な事件はあったし、今以上にひどい不正や不幸もあった。
しかし、僕だってやっぱり昭和はいい時代だったと思う。
昭和は、僕達がまだ自分達が犯している間違いに気付いていない時代であった。

ピエール瀧演ずる氷屋が、捨てられた旧式冷蔵庫を憮然と見ているシーンがある。
映画には出て来ないが、テレビの中の力道山に熱狂する人達を醒めた目で見る紙芝居屋だっていたはずだ。
だが、力道山に声援を送る彼等は、僕にはただただまぶしい。
あのギラギラした目、あの興奮、あの一体感。
もう気付いているのに何もしようとしない僕には、まだ気付いていないキラキラ光っている彼等に言えることなど何もない。
僕達は大事な物を失ってしまったのではない。
自ら捨てたのだ。
今の僕達は、僕達が望んだ世界に住んでいる。

僕がこの映画を観て、本当に心から泣けて、そして身にしみたのは、故郷に帰る堀北真希(六子)の汽車に併走しながら、三輪自動車の荷台から手を振って叫ぶ薬師丸ひろ子(トモエ)と小清水一揮(一平)の「よいお年を!」という言葉である。
こんなに美しい言葉が、まだ僕達にはあるのだ。

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posted by og5 at 17:47| 秋田 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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