2006年01月30日

小説をどう終わらせるか

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三崎 亜記

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野ブタ。をプロデュース野ブタ。をプロデュース
白岩 玄

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去年タイトルに惹かれて衝動買いした三崎亜紀の「となり町戦争」と白岩玄の「野ブタ。をプロデュース」をやっと読み終えたので、その感想を書く。

言いたいことに見合うだけの物語がない。
これが「となり町戦争」を読み終えた感想である。
何だかすかすかしている。
全てが机上の空論みたいだ。
いや、空論(空想)でもいいのだが、とにかく絶対的に物語が薄い。
そして、どうも「言いたいこと」にあたる部分の論理も破綻しているような気がする。
多分、そのせいで、主人公と「香西さん」の関係が、僕には最後まで理解出来なかったのだ。
物語の終わり方も、何ともしまりがない。
ああいう感じを、僕は、小説における許されざる「嘘」だと定義している。
実感の伴わない「戦争」を描くためにあえてあのような表現をしているのだという反論には、そんなことは物語(イメージ)の希薄さの言い訳にはなりはしないのだ、と言うしかない。

「野ブタ。をプロデュース」については、途中までは面白く読んだが、何しろ後味が悪過ぎる。
テレビドラマの方は観ていないけれど、堀北真希が「のぶた」役(テレビでは女の子の設定)だということだから、きっとあまり痛くならない学園青春ドラマになっているのだろう。
そして、もしそのとおりだとしたら、それで正解だと思う。
あそこまで意地の悪いラストにしなくても、作者の意図は充分に読者に伝わると僕は思うのである。
始まり方(というか途中経過)と終わり方で受ける印象の落差(タッチの差)があまりにも大き過ぎて、僕にはどうしても素直に楽しむことが出来なかった。

「となり町戦争」は落ちるべき場所をそもそも持っておらず、「野ブタ。をプロデュース」は落ちるべきではない場所に着地してしまったという感じがする。
先日感想を述べた桐野夏生の「グロテスク」もそうだったが、何だか最近読んだ小説はどれもこれも「どう終わらせるか」に決定的な迷いがあるような気がしてならない。
普通に小説を閉じるということは、どうやら大変に勇気のいることなのかも知れない。
posted by og5 at 22:36| 秋田 ⛄| Comment(0) | TrackBack(1) | 本・雑誌 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年01月29日

僕は給食が嫌いだった

僕は給食が嫌いだった。
小学校低学年の頃、僕が登校拒否気味の子供であったその原因のかなりの部分を「給食」が占めていたことは間違いないと思う。
もちろん、大本の原因は僕自身にあるのだが、少なくとも給食は僕にとって恰好の言い訳ではあったのだ。
そんな言い訳など、誰も聞いてくれなかったにしても、である。

僕は、とにかく家以外で食事をするということが不得意だった。
何がきっかけだったのかはもう忘れてしまったけれど、小学校に上がる前のある時以来、デパートの食堂だろうが、近所のそば屋だろうが、何か食べようとすると僕は決まって緊張してしまい、必ず吐き気に襲われるようになってしまっていたのである。
だから、40数人の他人と一緒に食事をする給食など、もってのほかだったわけだ。

加えて、僕の家にはあまりパンを食べる習慣がなかったのに、学校の給食というものが基本的にコッペパンを主食としていたということがある。
コッペパンをちぎって何とか口に入れてみるのだが、僕にはどうしてもそれを飲み込むことが出来なかった。
喉が詰まった。
しかも、それを流し込むには、脱脂粉乳かおかずの汁物を更に口に入れるしかなかったのである。

僕はしょっちゅう教室に残された。
小学校低学年の授業は昼までで終わることが多く、給食が終われば本来はすぐに帰宅出来たのである。
しかし、僕の目の前には銀色の盆に載った銀色の食器が並んでおり、それぞれにまだ冷めた給食がほとんど手付かずで残っていて、更に担任の女の先生が腕組みをして僕をじっと見ているのであった。
それがイヤで、僕は一度、残しても叱られない程度の給食を皿に残して、口の中に詰め込めるだけの給食を詰め込み、頬っぺたを膨らましたまま走って家に帰ったことがある。
そして、顔を真っ赤にして辿り着いた家の前のゴミ箱に、口の中の物を全部吐き出してしまった。
あの時、僕はパンをどうしたのだったろう。
そうだ、パンは(パンだけは)、白いハンカチに包んで家に持ち帰ることが許されていたので、もちろん僕はそうしたのである。
各家々に木で出来たごついゴミ箱がまだあり、休んだ同級生がいると、近所の子供はパンをその子の家まで届けることを教師に託された、そんな時代の話である。

給食室前のコンクリートの床は、給食を調理するための油でいつも鈍く光っており、炒めた玉葱とキャベツの匂いがした。
そこを通るだけで上履きズックの底が油じみて、その後で通った普通の廊下や階段の踊り場に汚い跡をつけた。
大嫌いだったあの匂いとちょっとねっとりした床の感触を、僕は今でも時々思い出す。
しかし、不思議なことにそれは決して嫌な思い出ではない。
理科実験室に向かう時通った中庭や、作曲家の肖像画がズラリと貼られた音楽室の壁、そして広いグランドが見晴らせる体育館のバルコニーと同じように、いやそれ以上に、今の僕には何故か懐かしく愛しい場所なのである。
posted by og5 at 23:16| 秋田 ⛄| Comment(2) | TrackBack(0) | 記憶 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年01月24日

ネバー・エンディングなものは嫌い

ライブドアの一連のニュースを見たり聞いたりしていて、とても意外に思ったことがある。
それは、ホリエモンこと堀江貴文のことを好きな人が、僕の中の常識のレベルを超えて結構いるということだ。
「逮捕されて残念」とか、「目標にしていたのに」とか、「可哀想」とか、本当だろうかと思う。
スケープ・ゴートにされただの誰かの陰謀だの言う人もいたが、やっていたことは(罪の意識のあるなしに関わらず)インチキだろう。

僕は、パチンコパチスロテレビゲームの類が不得意である。
やったことはあるが、すぐに飽きてしまうし、特にパチンコ等の場合は大当たりが出たらどうしようと気が気ではなくて楽しめない。
何が面白いのか判らない。
あれらは僕にとって、バビロンの塔のようなものだ。
終わりのないゲーム。
人生を終わりのないゲームに例える人もいるが、残念ながらと言うべきか幸いと言うべきか、人生にはちゃんと終わりがある。
ライブドアがやっていることは、結局終わりなきゲームである。
ネズミ講とどこが違うのか。

ネバー・エンディングなものは嫌いである。
夢は醒めるからいいのだ。
楽しい時はじきに終わるからいいのだ。
膨れていくしかない風船に自分がなったとしたら、僕は真っ先に針を探すだろう。
ホリエモンを好きな人は、きっとテレビゲームが大好きである(勝手に断定)。
posted by og5 at 22:40| 秋田 ☁| Comment(2) | TrackBack(0) | 雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

「グロテスク」の最後のピースが判らない

グロテスクグロテスク
桐野 夏生

文藝春秋 2003-06-27
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桐野夏生の「グロテスク」を読んだ。
彼女の作品を読むのは「OUT」以来で、この他の作品は読んでいない。
「OUT」にあまりいい印象を持てなかったので、なかなか次の作品を手に取る気になれなかったのだが、「グロテスク」のモチーフになっているいわゆる「東電OL殺人事件」自体に以前から何か心に引っかかるものを感じていたことと、本書(ハードカバー版)の帯にある惹句(週刊文春傑作ミステリーベスト10第3位、「このミステリーがすごい!」第5位、第31回泉鏡花文学賞受賞)に文字通り惹かれて、発行からかなり経っているこの本を去年の暮れに購入していたのである。

「グロテスク」は、まるでモザイク模様のように構成されている。
最終章を含め全部で八つの章があり、「わたし」、その妹のユリコ、密入国中国人チャン、殺害された(実は大会社に務める)街娼和恵によって、それぞれ語られる。
彼等の語る物語は、同じようでいて少しずつ異なり、異なるようでいて実は同じだったりする(主な語り手である「わたし」に到っては、章によって矛盾することを平気で口にしていたりする)が、その「矛盾」がやがて読む者の心に一つのぼんやりとした真実を浮かび上がらせ、読み進めるに従ってその輪郭を身も蓋もなく顕わにしていく。
僕は、この作品を読みながら、まるで完成図なしのジグソー・パズルをしているみたいに興奮していた。
これは、そういう「推理小説」だった。

しかし、最終章に到り、僕の印象はがらりと変わる。
せっかくそれまでに構築された密度の濃い魅力的な世界が、最終章によってあっけなく崩れてしまうのである。
思えば、「OUT」も途中まではすごく面白かったが、日系ブラジル人が絡んで来るあたりからラストに到るまでを、僕はがさつなアクション映画みたいだとしか思えなかった。
まるで、二人の異なる人間が一つの小説を分担して書いているみたいだ。
いや、「グロテスク」は、「OUT」よりも数段優れた作品だとは思う。
緊張感も、最後の最後まで持続される。
しかし、ジグソー・パズルの最後のピースを欠けたままにする・・・。
そんな終わり方はあり得なかったのだろうかと思わずにはいられないのである。
posted by og5 at 22:08| 秋田 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 本・雑誌 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年01月21日

プリンスとシジミの殻で驚く

今日、大型家電店(MAXデンコードー)に外付DVDを買いに行ったついでに、同店内にある書店の横を通った際、エスカレーターに面した壁一面に、新刊書やその他の話題作にまじって、ハリー・ポッター・シリーズの翻訳版第六巻の広告が貼られているのを見つけた。
そして、驚いた。
題名が、「ハリー・ポッターと謎のプリンス」になっていたからである。
テレビでも新聞でも、そしてインターネット上でも、今までこの本のタイトルは「ハリー・ポッターと混血の王子」もしくは「〜混血のプリンス」と訳されていたはずだ。
原題が「HALF BLOOD」であるから、そして内容が人間と魔法使いの間に生まれたある(あるいは複数の)人物を巡る物語なのであるからそれは当然のことで、もちろん差別を助長しようなどというつまらない魂胆も作者にはない。
個人的な感想だが、第六巻はかなり憂鬱な話であった。
「謎のプリンス」などという、どちらかといえばおとぎ話めいた表現とは全くそぐわない、と僕は思うのだが。

一昨日、前から買ってあったシジミのカップ味噌汁を飲んだ。
紙カップの中に味噌の袋とシジミの袋が入っていた。
僕はまず味噌を紙カップの中にあけ、次いで透明な袋にギュッと真空パックされた殻付きのシジミをあけようとした。
そして、驚いた。
その袋に「殻は食べられません」と書いてあったからである。
冗談かと思った。
お菓子の袋に入っている乾燥剤(シリカゲル)には前から「食べられません」の文字があったし、また、最近では錠剤やカプセルの入っている薬の銀色のパッケージにもこの手の注意書きが書かれている。
これら見慣れないものを、何か新しい食べ物や薬と勘違いして口に入れ大変なことになってしまう老人が、実際にいるのである。
だから、注意書きが必要なのだ。
しかし、「テキ」はシジミの殻である。
チェックしないで捨ててしまったが、もしかしたらあの紙カップ自体にも「食べられません」と注意書きがしてあったのではないか、と僕は今ちょっと本気で思っている。
posted by og5 at 22:16| 秋田 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年01月15日

「尾崎豊の曲です。美しいんだ・・・」と坂上弘は呟いた。

交通地獄そして卒業交通地獄そして卒業
坂上弘

Pヴァイン・レコード 2005-11-18
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先週、夕方六時過ぎに車を運転していたら、カーラジオから「〜根本敬がどうした」とか「〜幻の名盤解放歌集がどうした」と言っているのが聞こえて来た。
思わずボリュームを上げると、それは一青窈の番組で、彼女は「坂上弘」という84歳の歌手のことを話しているのであった。
以前はかなりマメにチェックしていた解放歌集だが、最近はちょっと縁遠くなってしまっており、坂上弘という人も僕は知らなかった。
しかし、一青窈に紹介されて間もなく始まった彼の「卒業」に、僕はいきなり心をわしづかみにされてしまった。

「卒業」とは、あの尾崎豊の「卒業」である。
84歳の老人が歌う「卒業」は祈りであった。
スピリチュアルな、目に見えない大きな存在との対話であった。
それは、最近の、スタイルだけのゴスペル・アカペラを追いかけたただのコーラス・グループには、絶対に真似の出来ない真の魂の叫びであった。
僕は、家に着くなりパソコンに飛びつき、Amazonで彼のCDをショッピングカートに放り込んだ。
そして、今僕の手元には、彼のCD「坂上弘/交通地獄そして卒業」がある。

ジャケットが素晴らしい。
ギラギラと輝く夜景をバックに、録音用の大きなマイクの前、鮮やかなブルーの背広をゆったりと着こなし、大きく両手を広げて立つ坂上弘は、文句なくカッコよく、そして独特の強い匂いを放っている。
ライナー漫画における根本敬の、「ツインピークス全巻の最後の最後に登場し熱唱するジミースコットと84才の少年坂上弘はほぼ同じ人である」という指摘は、正にドンピシャリとつぼを押さえていると思う。

「ラップの原点」といった評価もあるという、僕にはクラッシュの「サンディニスタ」あるいは「幻の解放歌集ビクター編・渚の歓喜(エクスタシー)」中の「変な串かつ教室/屋台のおっさん」を思い起こさせた「交通地獄」や、初老オールスターズのコーラスも美しい傑作「やまと寿歌」も素晴らしいが、やはり最高傑作は「卒業」であろう。
水晶の結晶のようなスタジオ・ヴァージョンもいいが、「尾崎豊の曲です。美しいんだ・・・」と曲紹介の後で自ら思わず呟くライヴ・ヴァージョンの熱唱は圧巻である。
魂が震えます。
本当だよ。
posted by og5 at 17:37| 秋田 🌁| Comment(0) | TrackBack(0) | 音楽 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年01月12日

新年の誓い

僕は気が短い。
すぐに腹を立てる。
英語でいうところの「ショート・テンパー」である(短い天然パーマではない。念のため)。
テレビを見ても、新聞を見ても、腹の立つことだらけだ。
アナウンサーの変な癖、発音やイントネーションの不確かさがやたら気になるし、ここ毎年の成人式の乱れようには、ついつい過激なことを考えて、ちょろっと言っては、妻にいさめられている。
まるで嫌われ者のジジイである。
最近は、市の除雪対策の遅れにも怒りが収まらない。
テレビにも、新聞にも、秋田市にも、よっぽど電話をして苦情を言ってやろうかと思う。
しかし、と僕は思いとどまる。
それをやっちゃあお仕舞いよ。
そう思っているからだ。
たぶん、一度それをやったら僕は駄目になる。
止め処がなくなってしまうに違いない。
そんな気がする。
何をやっても中途半端でだらしない僕だが、そこだけは(動物的カンで)歯止めを掛けているのである。
結果、僕のイライラは家庭内に充満することになる。
妻よ、義母よ、ごめんなさい。
今年はなるべく機嫌よく過ごすよう努力します。
posted by og5 at 00:11| 秋田 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年01月11日

新生児誘拐事件に思う

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仙台市の新生児誘拐事件は、被害に遭った赤ちゃんが無事に保護され、容疑者も速やかに逮捕されるという、最も望ましい結果となったが、この事件のニュースで映し出された容疑者宅のデコレーションを見ていて、僕は何ともいえない変な気持ちになってしまった。
それは、違和感と言ってもいいかも知れない。

何故、自宅をあのように飾り立てなければならないのだろう。
僕にはそれが理解出来ない。
クリスマスを祝うにしても(一緒に逮捕された妻はフィリピン国籍とのことだから、それはそれでありうることなのかとも思うが)何故あれが部屋の中ではいけないのか。
何故、わざわざ「外」なのか。

考えてみれば、ここ秋田でも、一般住宅だというのにそんなこれ見よがしな電飾が飾られている家を以前よりも多く見かけるようになって来ているような気がする。
それに、商店街でも、何かといえば馬鹿の一つ覚えみたいにすぐ「光の××」である。
だからこれは、今回の容疑者のみに対する違和感ではなく、実は、そのようなことが一般的になりつつある街並みへの違和感なのだと思う。
そうなのだ。
僕は、あんなものを強制的に「共有」させられたくはないのだ。

借金が6000万円なのに、何故身代金要求額が6150万円だったのだろうと、その差額の150万円に何故だかとっても引っかかっていたのだが、僕は最終的に、この差額は、借金を返済した後の「イロ」だったのではないかと考えた。
つまり、せっかくあぶく銭をせしめるのだからもうちょっと余計に欲しい。
でも、6000万円を7000万円や8000万円、まして1億円までつり上げる度胸はない。
それで、何となく150万円の上乗せ。
もちろん、150万円は新しい電飾を買うための資金である。
posted by og5 at 23:51| 秋田 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年01月10日

つげ義春の世界

紅い花紅い花
つげ 義春

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つげ義春は、あの点々を描くのがいやで水木しげるのアシスタントを辞めたという。
女性を描くのが極端に不得意な水木しげるに代わって、水木漫画の女性をある時期主に描いていたのはつげ義春であったという説もあるが、本当かどうかは判らない。

僕が初めて読んだつげ作品は、貸本屋で借りて来た月刊誌の「李さん一家」であった。
掲載誌は忘れてしまった。
ガロが貸本屋にあったとも思えないのだが、とにかく、あのラストの台詞「実はまだ二階にいるのです」は、僕の大のお気に入りになった。

つげ義春の作品には、このような「忘れられない名台詞」が数多く存在する。
「沼」の「いかようにもがけどせんなかるまいに、われの寿命じゃ」や、「もっきり屋の少女」の「「頑張れチヨジ、頑張れチヨジ」、「紅い花」の「花だ、紅い花だ」や、「ゲンセンカン主人」の(これは台詞ではないが)「ゲッゲッ、部屋で」等々。
登場人物の名前も、「コバヤシチヨジ」だの「キクチサヨコ」だの「シンデンのマサジ」だの、妙に心に残るものが多い。
ただしこれらには、彼が大好きで大きな影響を受けたという井伏鱒二に、あからさまに酷似した登場人物が描かれている作品「言葉について」等があり、どうやらその焼き直しと思しきものも多いのだが(「言葉について」の冒頭には、「メメクラゲ」誕生のエピソードを想起させる「××島」という表現も出て来る)。

井伏鱒二といえば、つげ義春には題名もそのままの「山椒魚」という作品もある。
最近、盗作が原因で発行を取りやめたり絶版にしたりといったことが、漫画に限らず度々起こっているし、いかに上手く消化されているにしても(また、この「山椒魚」に関してはその発想自体が根本的に異なるにしても)、原作者として特に井伏鱒二の名前を記しているわけでもないので、大丈夫なのだろうかなどと少し心配になったりもするが、しかし、つげ義春の「井伏」っぽい表現には、この文学者にに対する親しみと尊敬があふれている。
利用しようとか、手を抜こうとか、ばれなければいいとか、そういった卑しい気持ちは微塵も感じられない。
そこが違う、と思う。

つげ義春の漫画は、ある意味赤塚不二夫の漫画によく似ている。
ただ単にストーリーを楽しんだりギャグに吹き出したりするのではなく、作品全体が(登場人物がその中に住んでいる)ひとつの別世界を構築しており、僕達はそこに入って行くのである。
だから、一緒に生きているという感覚がとても強い。
あんな変な人々や生き物は絶対現実にはいないと思うのだが、平気な顔をしてものすごくリアルなのだ。
いろんな作家や漫画家達が、彼等のパロディを作りたくなる所以であろう。

夜ふけと梅の花・山椒魚夜ふけと梅の花・山椒魚
井伏 鱒二

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posted by og5 at 18:58| 秋田 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 本・雑誌 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年01月07日

戌年に「猫と鼠」で悩む

今年は戌年である。
そういえば「ブリキの太鼓」で有名なギュンター・グラスに、「犬の年」という長編があった。
彼には「猫と鼠」という作品もあって、いずれも読むとそのイメージの濃密さに頭がクラクラする。

ところで、(小説ではない)「猫と鼠」に関して、僕には常々不思議だなあと思っていることがある。
例えば、「トムとジェリー」。
猫のトムは、間抜けで、怠け者で、それなのに食い意地だけは張っていて、暇さえあれば鼠のジェリーを捕まえて食べようとするが、結局は失敗していつもひどい目に遭ってしまう。
鼠のジェリーは、可愛くて、機転がきいて、すばしっこくて、いつもトムの魔手からギリギリのところで逃れては、惨めなトムを見てケラケラと笑っている。
それに、ウォルト・ディズニーのミッキー・マウス。
これほど、世界中の人達に長きに渡って愛され続けているキャラクターは他にはいないだろう。
いや、人気キャラクターは他にもたくさんいるけれど、その歴史と浸透具合の深さが、やはり他を圧倒していると思うのだ。
そして、最近では、日本生命のコマーシャル。
自分達のドアの前に陣取って彼等を食べてやろうと待ち構えている猫を尻目に、別のドアから逃げ出した鼠の親子が、「(ドアが)二つあってよかったね」と言っているコマーシャルである。
つまり、これは、「皆さんを鼠に置き換えてご覧下さい」と言っているのである。

何故、みんなそんなに「鼠」が好きなのだろうか。
何故、「鼠」はいつもいい奴で、愛すべき存在として描かれるのだろうか。
だっておかしいではないか。
実際の人生で、目の前に猫と鼠がいるとして、いったいどれくらいの人間が鼠の方が可愛いと思うだろうか。
そのほとんどが、猫の方が可愛いと思うのではないか。
特に、ジェリーやミッキーを大好きな、「可愛いもの好き」な人達が、靴をはいてもいないし白い手袋をはめてもいないごく普通の鼠に飛びついて、「わあ、可愛い!」などと言っているのを想像するのは僕にはかなり難しい(「蓼食う虫も好き好き」ではあるから、鼠の方が可愛いと言う人も中にはいるだろうけれど)。

フィクションの「猫と鼠」と実世界のそれとの間には、何か目に見えない大きな「ねじれ」がある。
僕には、それが不思議で不思議でしょうがないのだ。
いったいいつから、そしてどういう経緯で、この約束事は成立したのだろう。
念のために言っておくと、ジェリーもミッキーも、そして日本生命の鼠の親子も、ハムスターやモルモットでは決してない。
「害獣・害虫」として、シロアリ・ゴキブリ・スズメバチなどと共にくくられる「駆除対象動物」である。

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posted by og5 at 11:54| 秋田 ☁| Comment(2) | TrackBack(0) | 雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年01月04日

私的な、極々私的な

一応、去年一年間の映画ベストスリーなど書いてみようと思う。

まずは、観た映画で思い出せるものを全て羅列する。
青文字が今でも面白かったと思えるもので、赤文字がその中でも特に好きなものである。

ネバーランド/父、帰る/モーターサイクル・ダイアリーズ/ベルリン・フィルと子供たち/ニュースの天才/アイ・アム・デビット/ビハインド・ザ・サン/トニー滝谷ベルヴィル・ランデブー真夜中の弥次さん喜多さんミリオン・ダラー・ベイビー/タッチ・オブ・スパイス/パッチギ!逆境ナインコーヒー&シガレッツ姑獲鳥の夏/バッド・エデュケーション/タナカヒロシのすべて/コーラス/愛の神、エロス/海を飛ぶ夢/さよなら、さよならハリウッド/ランド・オブ・ザ・デッド/妖怪大戦争/リンダ・リンダ・リンダイン・ザ・プールメゾン・ド・ヒミコ亀も空を飛ぶ/チャーリーとチョコレート工場/チーム・アメリカ:ワールド・ポリス七人の弔さよならCOLORALWAYS 三丁目の夕日運命じゃない人エイリアンVSヴァネッサ・パラディ/輝ける青春/埋もれ木/ヴィタール・・・。

これ以外にも、観たのを忘れてしまった映画も何本かあるとは思う。
しかし、ということは、少なくとも今現在は自分としてどうでもいいということだと判断して、以上からベストスリーを選ぶことにする。

第1位〜チーム・アメリカ:ワールド・ポリス
第2位〜父、帰る
第3位〜運命じゃない人

なんかとんでもないなあ。
いや、でもちゃんと選考基準はある。

まず、この三本が三本とも「映画」以外のところで感動させるということを拒否しているということである。
まあ、「拒否している」というのはこちらの勝手な思い込みで、作り手側の意思は一切考慮に入っていないわけだが、とにかく独断と偏見で僕はそう思っているわけだ。
そして、これは僕にとってとっても大事なことである。
もちろんテーマがあって、それを「映画」として見事に作り上げていてくれれば、感動したって別にいいわけであるし、「感動させる」もまた高等な技術ではあるわけである。
それに、僕は感動するのも大好きだし(とにかくすぐ泣く)。
だが、時に僕達は、そのテーマによって(言葉は悪いが騙されて)感動してしまうこともよくあるわけだ・・・。
何だかこの三本は、そういった「感動出来るもの」に比べて、よりピュアでとにかく潔いような気がするのだ。

もう一つは、この三本のような映画を僕が他で今まで観たことがないということだ。
とってもユニークだ。
例えば、「コーヒー&シガレッツ」や「輝ける青春」なども全く別の意味で他では観ることの出来ない映画ではあるわけだが、それらとは異なるもっと強く(自ら積極的に)惹かれる魅力を感じる。
まあこれは好みとしか言いようがないのかも知れないが。

また、もし、今年観た映画でも去年から上映されているものであれば選考に加えてよいとしたら、同じようなタイプとして僕は「ふたりの5つの分かれ路」を上げたかも知れない。
ベストかどうかではなく、潔さとユニークという点で同列に並べられると感じるのだ。

最後に、ベストスリーには選ばなかったが、去年観た中で僕が一番強い思い入れを持っている映画はジョージ・A・ロメロの「ランド・オブ・ザ・デッド」であることを、是非ここに記しておきたい。
いや、何となく。

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posted by og5 at 20:21| 秋田 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年01月03日

今年のお初〜「空中庭園」、そして「ふたりの5つの分かれ路」

空中庭園空中庭園
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ふたりの5つの分かれ道ふたりの5つの分かれ路

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僕は、小泉今日子が嫌いである。
あの猫をかぶったような取り澄ました話し方を耳にすると、ちゃんと歳を重ねられなかった人を、「これが素敵なんですよ」と無理強いされているようで逃げ出したくなる。
「空中庭園」の予告編においても彼女の話し方はやはり「この手」で、僕は最初この映画を観るつもりは全くなかったのだが、「これ、ホラーですよ」というある筋からの情報に惹かれて、正月休み最後の日にシネパレまで足を運んだわけである。
そして、その結果はどうだったか。
これを自分の中で位置付けるのに「ホラー」とはしないと思うけれど、小泉今日子は素晴らしかった。

小泉今日子演じる主人公の絵里子は、夫と子供二人と共に郊外の団地に住んでいる。
彼等のルールは、家族間で絶対に秘密を持たないこと。
しかし、それはいつまでも守り続けることなど到底不可能な約束だし、実際既に破綻を来たしている。
そして、絵里子自身が実は最も大きな秘密を当初から家族に隠して生きているのである。
この「理想」の家族は、彼女が自らの過去を否定し、綿密な計算のもと作り上げた「空中庭園」だったのだ。

娘のマナ(鈴木杏)がコンビニで雑誌を読んでいる絵里子を偶然見つけ、こっそり店に入って背後から肩を叩くシーンの、振り返った絵里子のその顔の強烈さ。
それは、いつでも微笑んでいる理想の母の仮面を脱いだ、本当の絵里子の顔である。
また、母親のさと子(大楠道代)とミーナ(ソニン)の誕生日のシーンも凄かった。
絵里子はさと子を憎んでいる。
そして、ミーナは息子のコウ(広田雅裕)の家庭教師であると同時に夫(板尾創路)の浮気相手でもある。
彼女は段々壊れて行く。
その壊れ方が凄い。
誰の目から見てももうそこには「理想の家族」などないのに、それでもプログラムどおりに食卓を整えたり誕生日のケーキを出したりする小泉今日子には、何か本当に鬼気迫るものがあった。

好きな人にはたまらなく、また嫌いな人にも逆の意味でたまらないであろう絵里子が雨の中真っ赤に染まりながら叫び続けるシーン(写真の中のまだ若い母に幼い絵里子がアイスクリームのヘラをそっと差し出す瞬間の何と衝撃的なことか)を、僕はこの上なく美しいと思う。
果たして、絵里子は自らを再生出来るのだろうか。
実は、彼女以外の家族はみんな最初から彼女のルールなど信じていないようだ。
だから、きっと彼女は再生出来るだろう。
きっと、「空中庭園」ではなく、自分なりの、地に足のついた、彼女自身の「居場所」を見つけ出すことが出来るだろう。
そう信じたい。

僕は、この映画は小泉今日子なくしては成立しなかっただろうとさえ思う。
何故なら、絵里子は小泉今日子自身だと、本心からそう思っているからである。


「ふたりの5つの分かれ路」は、僕にスタンリー・ドーネンの「いつも二人で」を思い起こさせた。
時間の切り取り方がとても鮮やかで、自分とは何一つ関係のない話で感情移入もしていないのに、じわじわと感動が押し寄せて来る。
それは、誰かの生き方がどうとか心の葛藤がどうとかいうこととは全く関係なく、ただ人生というものをそのままポンと目の前に出された感じで、こういうのは時間が経てば経つほど効いて来るのである。
「そのままポンと出す」というのは、もちろん言葉のアヤである。
この映画が、実際はもの凄く手の込んだ「料理」であることは言うまでもない。

※ただ一つだけ気になったこと。
この二人は、一緒にベッドに横たわる時そのたびに位置が反対になっていた。
あれには何か意味があったのだろうか(どう考えても不自然だと思うのだが)。
posted by og5 at 19:20| 秋田 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年01月02日

ゆく年くる年

おだやかな正月である。
外へは滅多に出ない寝正月が中心の僕だが、風もないこんな正月はやはり嬉しい。

大晦日から元旦にかけてはテレビばかり見ていた。
大晦日は、PRIDE男祭りをだらだらと見ていて、第一試合が始まるまで一時間もかかったのにまず驚き、いかにもすぐ目玉の試合が行われるかのように煽っておきながら、コマーシャル開けに知らんぷりで全然別の地味なカードを始めるという手口にまた驚いた。男のアナウンサーは、まるで大安売りのように「生き様、生き様」と連発してやかましかったし、女のアナウンサーはグラビアアイドル出身の小池栄子よりもカツゼツが悪かった。
ここで発見したこと。
ウッチーこと内田恭子アナウンサーはホリエモンこと堀江貴文にそっくりである。少し三白眼っぽいところとか、口元がなんかだよ〜んとしてるところとか。

次いでそのまま見ていたジャニーズのカウントダウン番組は、全部口パクだったので驚いた。この前見た時はちゃんと歌っていたと思うのだが、どうしたのだろうか。
それにしても、ジャニーズの歌はどれもこれも日本人の心の琴線に触れるようによく出来ている。
キーワードは、たぶん「哀愁」である。

元旦には、フジテレビの「爆笑ヒットパレード」を見るのが恒例。
しかし、今年は演芸が今ひとつピリッとしない。
お笑いブームについては、それはそれでいいと思うのだが、正月くらい普段見られない「ブームになっている以外」の芸人も見たいと思うのだ。
ところで、僕はレイザーラモンHGが出そうになるたびにチャンネルを日本テレビに替えていたのだが、突然笑点の山田クンが座布団を負ぶってマラソンをしている姿が映し出されてびっくりした。新聞を見ると、「円楽師匠が今日復活!」とか書いてある。笑点好きの僕としては是非ともその瞬間を見たかったが、いつになるか判らないその瞬間をずっと待っている気力も体力もなかったので、またすぐにチャンネルを「爆笑ヒットパレード」に戻してしまった。
円楽師匠は、本当に復活したのだろうか。

夜は、これまた恒例の「スターかくし芸大会」。
ウェンツ瑛士等が演じた対戦を見て妻が「何でこれが満点じゃないの?」と憤っていたので、「芸はよかったけど、『スター』ってとこで引っかかったんじゃないかなあ」ととりあえず答えておく。いや、ウェンツはカッコよかったし、彼等のユニットは前日紅白にも出ているわけだが、僕が言っているのは彼等以外の出演者のことで、この番組では、一度も顔を見たことのない「芸能人」が出演して「かくし芸」を演じることがよくあるのだ。
つまり彼等は、テレビの前の(大半の)視聴者が「かくし芸」しか見たことのない「芸能人」である。
堺正章が満点を獲得したのを見てから、無性にアイスクリームが食べたくなって近くのコンビニエンスストアに出かける。
満点だったけど帽子の芸はあまり出来がよくなかったよなあ、とか考えながら夜道を歩いていたら、あまりにも穏やかな夜で、思わずうっとりした。

今年もこんな風にだらだらと始まったから、まただらだらと一年が過ぎて行くのだろう。
それではまずいような気もするし、またそれでいいような気もする。
そうそう、今年はちゃんと「酢だこの皮」を入手することが出来た(秋田市民市場の進藤商店のオバちゃんありがとう)。
つまりは、かなり幸せということだろうか。
posted by og5 at 01:40| 秋田 ☁| Comment(1) | TrackBack(1) | 雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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