2006年03月20日

楽しいバス通学

小学校3年の頃からバス通学をしていた。いわゆる学区外児童である。僕は登校拒否気味の子供であったから、決してその小学校が好きだったわけではないのだが、引っ越し先の小学校でまた一からやり直さなくてはならない恐怖よりはまだましだった。僕が学校を大好きだと思うようになるのは、もっと後になってからのことである。

一家が引っ越したのは、親戚の畑の一角を無理矢理整地した公道に面していない砂地だった。おそらく父の仕事の失敗のせいで手放さなくてはならなくなった前の家から新居に越す前に、僕達は数ヵ月の間普通の家の二階を間借りしそこに一家七人で寝起きしていたから、今にして思えば狭くて雑な造りであったとはいえ、その当初はこの新しい我が家は僕にとってとても嬉しくまた誇らしいものだった。
この家の間取りは、僕と両親のための四畳半と二人の姉のための(やはり)四畳半、そして祖父母が眠る床の間のある六畳間の他には、元々は仕切るはずだったのがそれではあまりにも狭くて使い物にならないことに完成間近になってやっと気付いて結局その仕切り戸を取っ払うことにした居間と台所がどっちつかずにつながっている板の間があるだけであった。居間の天井には大工の足跡がくっきりとついていて、それは今でもまだちゃんと残っている。父は、嘘か本当か判らないが、この家は俺が設計したのだ、といつも自慢げに話していた。
僕は、そんな家からバスに乗って小学校に通った。

バス通学は楽しかった。
まず、定期を持っているということが嬉しかった。
もちろん、定期を買うのも僕自身である。営業所の窓口で申し込み用紙に必要事項を書き込んで渡す。それと引き替えに、市のマークがあしらわれた特殊な紙に有効期限日がスタンプで押された真新しい定期券を僕は受け取るのである。こんなことをやってる小学生は他にはいないのだと思うと、僕の心は高揚した。

当時のバスはまだワンマンではなくて、車掌が必ず乗っていたものである。その頃、車掌は女性の職業だった。いつも同じ路線に乗っていれば馴染みの車掌も出来る。もちろん、僕が勝手に馴染んでいるだけなのであるが、大きながま口様の革の鞄から、切符やハサミを取り出しててきぱきと仕事をする彼女達の中の数名に、僕は多分ほのかな憧れを抱いていた。
バス中央の乗車口後方にはパイプで区切られた車掌専用の一角があって、そのすぐ後ろの席が僕の特等席だった。座席とブースを隔てるパイプがちょうど車掌のお尻の部分に当たって、彼女達がそこに寄りかかると、僕の目の前には素敵な大人の世界が広がるのであった。
運転席のすぐ後ろも僕のお気に入りの場所であった。昔のバスは、二人一組あるいは一人掛けの前向きの座席ではなく、長椅子が窓に沿って全てバス中央に向き合う形で設置されていた。そして、運転席の脇には鉄人28号の胴体のようなタンクがあって、「ここに足を載せないで下さい」と赤のペンキで注意書きがしてあった。僕はあれを最高にカッコイイと思っていたのである。
僕は自分の小学校の最寄の停留所が近付くと、サッと手を挙げて車掌に意を告げる。
「次降ります!」
僕はバスが大好きだった。

ところで、いつぐらいからバスはワンマンバスに変わってしまったのだろう。確かその前に若い男が車掌だった時代もあったように思うが、女性との混在だったかも知れない。いずれにせよ、時代はいつの間にかワンマンの時代となり、車掌の甘い声は録音テープと運転手のだみ声に変わった。整理券はしょっちゅう詰まって出なくなった。運転手はイラつき機械をバンバン叩いた。テープと実際の停留所がずれて訳が判らなくなったり、そのテープ自体が絡まったり伸びたりして間の抜けた声を発した後とうとう切れてしまい、運転手はついには全てを自分一人で賄わなければならなくなったのだ。
自動ドアを開け、客を乗せ、整理券が出ないことをわび、ドアを閉め、運転し、次の停留所を告げ、料金表示の切り替えをし、客の両替に対応し、対向車線の仲間に片手を挙げて挨拶し、鳴るブザーに「次停まります」といい、停車し、自動ドアを開け、料金を確認し、また次の停留所に向かう。
何だか気の毒で、それにコミュニケーションの手段はボタンを押して鳴らすブザーになってしまったので、僕達はもう意気揚々と手を挙げて「次降ります!」と宣言することは出来なくなってしまった。
そして、その頃にはもう僕は、地元の中学校に余所者として進学していたのである。

バス・ストップ/女の意地バス・ストップ/女の意地
平浩二 千家和也 葵まさひこ

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posted by og5 at 23:03| 秋田 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 記憶 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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