2007年01月31日

いっぱ

困った困った。
ウチの会社には「いっぱ」をひとからげにしたい人がウジャウジャいる。
たまにそんな言い間違いを耳にするくらいなら聞き流しもするが、今日の会議では、あの部長もこの部長も、あの課長もこの課長も、とにかくみんな「いっぱひとからげ」なのだ。

元々ひとつなのだったら、束ねる必要などないではないか。

僕はこれから、彼等を十把ひとからげにして、「いっぱひとからげ派」、略して「一派」と呼ぶことにしようと思う。
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2007年01月30日

朝の太陽の通る軌道にて幸せを感じる

僕と妻の遊び部屋兼寝室は、東西南北にほとんど真っ直ぐ四辺を向けた長方形をしている。
東と南に窓がある。廊下に出れば北側にもあるが、ドアを閉めた状態で外を見ることの出来るのは、この二辺だけである。
今朝、僕は朝陽と共に目覚めた。
僕より早く起きた妻がカーテンを開けたのか、東側の窓からオレンジ色の太陽の光が差し込んでいたのだ。
僕はものすごく幸せな気分になって、思わず窓際まで歩いて行った。そして、外を見た。
ひんやりとした床の感触、暖かい色をしていながらぴんと張り詰めた外気を感じさせる滲んだ朝の太陽。
気に病んでいた会議が今日ではなくて明日だったことに気付いた僕は、更に幸せになって階下に降りた。
僕は、自分が毎日寝起きしている部屋の窓が、太陽の通り道だということを初めて知った。
僕は、僕と妻の部屋が、前よりも数倍好きになった。
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三百六十五歩のテイク・ファイヴ

三百六十五歩のマーチ/真実一路のマーチ/ウォーキングマーチ三百六十五歩のマーチ/真実一路のマーチ/ウォーキングマーチ
水前寺清子 星野哲郎 小杉仁三

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「三百六十五歩のマーチ」という歌がある。昭和43年の水前寺清子の大ヒット曲で、次のように始まる。

「♪しあわせは歩いてこない/だから歩いてゆくんだね/一日一歩/三日で三歩/三歩進んで二歩さがる♪」

僕は、この歌の歌詞を思い出す度に、いつも、何て不合理なんだろう、と思う。

だって、3日で3歩進んでそれから2歩下がるということは、結局5日で1歩しか進んでいないということで、365日でやっと73歩、タイトル通り365歩前へ進むには、何と5年の歳月を要するということになってしまうのである(最後は2歩下がる前に「365歩」に到達する、とか、じゃあ閏年をどうするんだ、とか色々あるけど、まあこの際無視)。

怠け者の僕は、「三歩進んで二歩さがる」くらいなら、5日間の内4日寝ていてラスト1日でそっと1歩足を前に出す、あるいはゆ〜っくり5日かけて1歩分(程度)前へ進む、でいいじゃないか、と思ってしまうのだけれど、まあ、こんなことばかり考えているから、僕の体脂肪率はなかなか下がらないのかも知れないな。

※「テイク・ファイヴ」は、このアルバムで聴くことが出来ます。
Wikipediaによると、『曲名の「テイク・ファイヴ(Take Five)」は、「5拍子」と「(5分程度の)休憩をしよう」という略式英語の2つを掛けたものである。その名のとおり、リズムは4分の5拍子(4分の3拍子+4分の2拍子)、曲の長さは5分24秒である』とのこと。
        ↓
タイム・アウトタイム・アウト
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2007年01月28日

カラス、かく語りき

アブグレイブで何が起こったかより
今日の‘生ゴミの日’が大事
そりゃそうさ
鳴いていたって腹は減るもの

空を飛んで行くんだ出来れば君と
空を飛んで行くんだ出来ればみんなと

アイデンティティが何かなんて知らない
だけど僕は‘はしぶとガラス’
孤独でも
誇りを持つってそういうことだろ

空を飛んで行くんだ出来れば君と
空を飛んで行くんださもなきゃ一人で

アンバランスなのは年を取ったから
地面から離れてく競争
いつの間にか
もうつま先があんなに小さい

空を飛んで行くんだ出来れば君と
空を飛んで行くんだ出来れば一人で

アンカレッジ経由なら北極へ行けるかな
アンカレッジ経由なら北極へ行けるかな

−『RUBBER SOLE/DNA』より−
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時計じかけの温泉玉子

温泉など共同浴場で腕時計をしたまま入浴している人を見ると、ギョッとしてしまう。外し忘れではなく「防水だから平気」なのだろうが、それでもものすごく居心地が悪い。
大体、いくら防水だろうと、何故わざわざ温泉に腕時計を浸けなければならないのか。そんなに時間が気になるのか。しかし、せいぜい30分も入っていれば出るのである。それともあれは新型のペースメーカーなのだろうか。

きっと彼等は、防水時計を買ったはいいが、その機能を活用する機会がないのである。高級リゾートホテルのプールで美女に囲まれてカクテルを飲むような生活をしているわけではないから、美女とじゃれ合っているうちにプールにダイブする羽目に陥ってしまうというような気遣いもいらないし、多分、釣り人でさえない。
彼等は、せっかく買った防水腕時計を何とかしてアピールしたい。いや、せめて「実感」したい。だから、風呂もその貴重なチャンスのひとつなのである。

判った判った、防水防水、はいはい、立派立派、と言いたいのをグッと堪え、僕は湯舟に顎まで浸かる。
そんな時、「防水腕時計」男が、自慢の時計の文字盤をチラリと確認しつつ「よし!」などと呟き、やおらお湯の中から温泉玉子の入ったアミ袋を引き上げたりしたら、そりゃ笑うしかないだろうな。

時計じかけのオレンジ時計じかけのオレンジ
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僕は「バスタム」

コンプリート・シングルズコンプリート・シングルズ
ザ・ジャガーズ

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小学生の頃、グループサウンズ、いわゆるGSが大流行した。
取っ掛かりは「エレキの若大将」で、次が確かスパイダーズだったが、あれは要するに「大いなる助走」だったのだな、と今では思う。
土井まさる司会のGS番組があって、毎週欠かさず観ていた。大好きだったのは「大御所」ではなくて、ガリバーズだったりリンド&リンダーズだったり。ただ、みんなが一緒に歌えるくらい知っている歌となると、やはりタイガースやテンプターズ、そしてジャガーズの曲が大半を占めていた。

昭和42〜3年当時、僕の通っていた小学校では、ひとクラスの生徒数は大体40名くらいで、「グループ学習」というものをやっていた。
これは、6人一組で机を寄せ合って授業に取り組む学習方法で、研究発表から遠足まで、何から何までその面子で物事に当たらなければならない、ある意味理不尽な、それでいてなかなかに心和む施策であった。
僕達6人は、それぞれに、タムタム、スネアドラム、バスタム、バスドラム、ハイハットシンバル、トップシンバルと互いを呼び合っていた。
GSの思い出話をする時に、よく掃除用具の箒をエレキギターに見立てて歌ったものだなんていうエピソードが出て来るが、僕達の場合は何故か「ドラム」だったのである。

僕達は、まるで狂信者のように、左右の人差し指で木製の机のヘリを叩き、一心不乱にリズムを刻んだ。そのリズムは、タムタムの者もシンバルの者も同じで、ロックあるいはポップスというよりも、どちらかというと「ちゃんちきおけさ」であった。
それは、休み時間になると始まった。6人揃って、机をトンコトンコと叩きながら、前日覚えたばかりの新曲を歌うのである。
「♪シルクの〜/ドレスを〜/着せてあげた〜い〜♪」
僕はジャガーズの「マドモアゼル・ブルース」を好んで歌った。「熱い口づけ」という歌詞を臆面もなく歌ったので、僕は結構人気者であった。

腫れた人差し指が僕達の友情の証だった。GSブームはあっと言う間に過ぎ去ってしまったが、だから駄目だとかそれでもいいのだなんて理屈もなく、僕達にはただただあれらの歌があり、そして「そういう一年間」があったのである。

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2007年01月25日

却下されたアイディア

妻の入れるコーヒーは美味しいが、憩いのひと時の前には、まずキッチンから、突貫工事の音が聞こえて来る。
電動コーヒーミルの音はうるさい。
テレビの音など何も聞こえなくなる。
そこで僕は今日、妻にある提案をしてみた。

同じコーヒーミルを5台買ってみてはどうだろう。その5台に小分けした豆を入れて、一気に挽くのだ。そうすれば、時間も5分の1に短縮されるはずだ・・・。

妻には、即答で「却下」された。

※これは、ビージーズの傑作アルバムである。
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ビージーズ

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2007年01月24日

クエスチョンマーク

僕から生まれた大きな疑問
迷いながら流れて行く

僕から生まれた素朴な驚き
ガクッと曲がって海へと刺さる

初めての他者
無垢な罠
聖なる目覚め
そしてタブー

初めて泣いた日から
僕はずっと
放出し続けている
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2007年01月23日

立派な松の木

道を歩いていると、時々、やけに立派な松の木を見かけることがある。それは、一般の民家の庭から塀越しに道路まで伸びていることもあるし、何とか工業とか何とか商会の駐車場の片隅や倉庫脇などに、当の会社やそこの社員よりもよほど堂々と、名前のついた立札などと共に植えられていることもある。

立派な松の木の幹は太い。ごつごつと節くれ立って、まるで書道の達人が自分の太腿くらいある大筆で書初めをした時の墨字のように、力強く見事に曲がっている。
立派な松の木は、周囲に迎合するということがない。塀だって、松の木に合わせてくり抜いてある。枝の間を通る電線も、何だか申し訳がなさそうだ。

だが、立派な松の木は、あまりにも歳を取って、大物になり過ぎてしまった。そして、大物になり過ぎてしまった立派な松の木は、昔の大スターのようにふんぞり返っている。
豪華なソファには座っていないが、だから、立派な松の木には支えが必要なのだ。
僕は、そんな立派な松の木を見ると、いつでも、ダリの描いた上手過ぎる不思議な画の数々を思い出す。

立派な松の木は、ふんぞり返ってはいるが、それでも何処かちょっと可愛い。

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2007年01月22日

祖母の話

「寝小便たれ」だった僕は、ひと仕事終えてはそっと自分の布団を抜け出して、別の部屋にいる祖母の元へと忍び込んだ。母は仕事をしていたし、僕は毎日のようにやらかしていたから、当然ながら僕の不始末に母は厳しく、祖母が云わば僕の避難場所のようになっていたのであった。
僕が布団にもぐり込むと、祖母は無条件で受け入れてくれた。夜尿症の夜もそうだったが、母あるいは父に叱られて、ただ何となく甘えるために祖母の布団に忍び込むこともあった。
そんな時、祖母はよく昔話をしてくれた。
浦島太郎や桃太郎のようなオーソドックスな昔話も多かったが、時には人形浄瑠璃「傾城阿波の鳴門巡礼歌の段」というようなこともあった。
もちろん、当時の僕がそれと知って聴いていたわけではない。「ととさまの名は〜」とか、「あ〜い〜」とかいう台詞を断片的に記憶していて、後に確認したのである。

祖母の話で一番印象に残っているのは、「祭りの夜の姉弟」の話である。実に中途半端なストーリーで、その後オリジナルを発見することもなかったから、もしかしたら祖母の創作だったのかも知れない。
話の筋は単純である。

祭りの夜、貧しい姉と弟が、親から貰った十円をそれぞれ握りしめて夜店を巡る。二人は幸福である。きらびやかで雑然としたたくさんの出店、その店先に並んだ見たこともないようなピカピカした品々、そして遠くから聞こえて来る賑やかな祭りのお囃子、人々の笑い声・・・。わたあめ、射的、輪投げ、金魚すくい、べっ甲あめ、水風船。あれもしたい、これもしたい、あれも食べたい、これも食べたい。二人はグルグルグルグルと夜店を観て回った。
ところで、二人は今まで一度も金魚すくいというものをしたことがなかった。だから、とうとう一軒の店の前で立ち止まり、ギュッと握りしめていた十円玉を店番の男に渡した。ビニールを張った長方形の水槽の中では、赤やまだらや黒の金魚が裸電球の明かりを反射しながらひらひらと、あるいはスイスイと泳いでいた。最初、姉がやってみたが失敗した。次に、弟も失敗した。それで、お終いだった。
あんなに楽しみにしていた年に一度のお祭りは、二人にとってもう何の意味もないものに成り果ててしまった。二人は、手をつないでとぼとぼと、貧しい父と母の待つ貧しい家に帰った。

人形浄瑠璃もそうだが、祖母は何故こんな話を年端もいかぬ子供に聴かせたのだろう。
「ととさまの名は〜」の方は、まだ、自分が好きなものを口に出して言うのが嬉しくて、僕はただそのだしに使われていただけだったのかも知れないとも思えるが、後の金魚すくいの話の方は全くの謎である。
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2007年01月20日

食うか、食べるか

TOKIO・松岡の主演で新「美味しんぼ」がスタートするとのことで、その番組宣伝を兼ねてということだろう、「美味しんぼ塾 ラーメン道」という番組が放映された。
これは、「日本各地から招聘されたラーメン店全6店舗の店主ら」がグランプリ(日本一)を目指してその味を競い合うというもので、荒俣宏、勝俣州和、菊川怜、榊原郁恵、篠井英介、清水ミチコ、タカアンドトシ、高田延彦、優香らが審査員を務めた。

盛り上げ役のTOKIO・松岡は、とにかく「食う」のオンパレードだった。そして、それに時々合いの手のように「うめぇ」が入る。
松岡に引きずられたか、タカアンドトシも「食う」・「食った」の連発で、松岡との会話にはわざわざ「食べた」とテロップが入るのであった。
何しろ勝負の対象がラーメンである。そんなにお上品にしていなくったっていいとは思う。しかし、それにしても、せめて「食べてみてどうでした」、あるいは「こんな美味しいラーメン今まで食べたことがないです」とどうして言えないのだろう、と僕は思ったのである。

ところで、実際によかったしまた面白いと思っているにも関わらず、僕が映画「花よりもなほ」を今ひとつ好きになり切れないでいるのは、案外あの映画が、宮沢りえに「クソ」という台詞を言わせているからかも知れないな、と今何となく思った。
TOKIO・松岡の「食う」を野放しにしておくのと、宮沢りえに「クソ」と言わせてしまうこととは、まあ全然別のことではあるだろうけれども。
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ラジオ体操占い

僕の会社では、始業時間になると、全員揃ってラジオ体操を始める。課長席の脇にCDプレイヤーがあって、そのスピーカーから流れる「ラジオ体操第1」のメロディー及び掛け声に合わせ、ゾロゾロと、ノロノロと、あるいはキビキビと、朝一番のお勤めをするわけだ。
見ていると、色んな人がいる。軍人のように、不必要なくらいきっちり取り組んでいる者があるかと思うと、動きと音楽がずれっ放しなのに一向に気にも留めず、隣同士延々と駄弁を繰り広げているような輩もいる。

ところで、世間には筆跡占いというものがあって、テレビで、芸能人に文字を書かせ、それを鑑定して、ああでもないこうでもないとやっている。筆遣いには、その人の性格や運勢が現れるということらしいのだが、同じことがラジオ体操にも言えるのではないだろうか、と昨日横曲げの運動をしていてふと思った。
筆跡占いでは、例えば、四角く角をつけるべきところを丸く書いているとか、繋げるべきところに隙間があるとか、しんにょう、払い、はね、とめなどの具合がどうなっているか等々によってその人を占うわけである。
しかし、それならば、ラジオ体操の場合も、背伸びの運動なのにもう手足の曲げ伸ばしをしているとか、絶対に人と反対の側から所作を開始するとか、決してジャンプはしないとか、手足の運動の時先走るとか、あるいは逆に一拍遅れ気味になるとか、深呼吸で腕を下ろす際必ず身体の側面にバシンと叩きつけるようにするとか、考えてみれば結構その人の性格や運勢(とまでは行かなくても勢いのようなもの)を推し量ることの出来そうな要素が満載であるような気がしたのである。

さて。

占いといえば、昔「おんな占い」っていう曲があったなあ。
「♪胸にほくろのあるひとは/好きな男にだまされる♪」という歌い出しだったっけなあ。

などとぼんやりしていたら、いつの間にかラジオ体操は終わり、フロア全体のミーティングが始まっていた。
もう仕事時間になっているのに、ムード歌謡のことなんかボケッと考えている僕のラジオ体操占いの結果が「出世の見込みなし」であることは言うまでもない。

ムードコーラス全曲集ムードコーラス全曲集
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2007年01月17日

氷の花やカーテンの葡萄畑のことなど

今日は暖かかった。しかし、朝の内は放射冷却のせいだろうか結構冷え込み、出勤時の道路は薄く凍っていた。自分自身の出勤前に妻を駅まで送ったが、車の窓にも一面にガラス細工の飾り彫りのような模様が出来ていて、爪で擦るとそこだけ白く色が変わった。

小学校低学年の頃、僕はよく家の中でぼんやりしていた。それが冬だと、やはり窓ガラスには氷の花が綺麗な模様を作っていたものだ。
最近では、家の窓ガラスにあのような模様が出来ることなど、まずないと言ってよい。当時はアルミサッシもなかったし、FF式のストーブもなかったから、家の中と外はもっと曖昧だったのだと思う。
とにかく、僕はぼんやりと冬の寒さが作った透明な花を見ていた。いくら見ていても、飽きるということはなかった。

子供の頃の部屋の中には、いつまでも見飽きないものがまだ他にもあった。
そのひとつがカーテンの模様で、その頃我が家の部屋の窓にかかっていた、安物のカーテンの葡萄のツルと房のパターンが、僕にはとても不思議に思えたものだった。
確かに同じ模様なのに、まるで物語を読むように、僕の目は縦に横にそして斜めにその柄を辿った。ひとつが次のひとつに連なって、互いに相手の一部となってまた同じ模様を繰り返す。
氷の花は、隙間風が作る内外の曖昧さの中に咲くが、カーテンの模様は水平に連なって、その境界線の曖昧さを際限なく増幅させて行く。

天井の板の木目など、多分今の子供達は知らないだろうが、あれも見飽きないもののひとつだった。
そして、これにはちょっと怖い部分もあった。
昔のことだから、雨漏りまで行かなくても、滲み出して来た湿気が元々の木目模様に悪戯をすることがよくあって、そのシミが人の顔に見えたり動物の顔に見えたり、時には名前も知らない何かに見えたりするのだ。
当然、「名前も知らない何か」が一番怖かったが、同時にそれはまた妙に懐かしい感じのするものでもあった。
だが、子供の思う懐かしさというのは、今感じる「懐かしさ」とは全く種類の違うものだった。

人間の年代にそれぞれの異なる懐かしさがあるように、季節にも四季それぞれの懐かしさというものがある。
冬には冬の、春には春の、夏には夏の、そして秋には秋の懐かしさがある。
今年は暖冬とはいえ、僕はやはり日本に生まれて来て幸せだった、と思うのだ。
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2007年01月16日

自己主張するタグ

タグというものがある。シャツの後ろ襟や裾の左側に縫い付けてある小さな布切れで、メーカーあるいはブランド名のロゴやサイズ、洗濯をする際の注意点などが記されている。
これは、確かに必要なものではあるだろう。第一、もしタグがなかったら、シャツを着る時、前後ろを判断するのにとても困ると思う。
ところが、稀にこのタグがものすごくゴワゴワしていることがあって、しかもそれは案外外国のブランドものであったりするのだ。

ゴワゴワのタグは、無神経に肌に触るし気にも障る。チカチカして苛立ちがつのり、ついつい眉間にシワを寄せてしまったりもする。
中には、肌触りが悪いだけでなく、襟口からビョンと外にはみ出すものもあって、そんなタグは、どんなに中に押し込めても、指で押さえて折れ癖をつけようと試みても無駄である。
なんとか一旦は襟の中に収めることが出来たとしても、数秒後にはまたビョンと、まるで僕自身についた注意書きででもあるかのように、必要以上に白く外に飛び出すのである。

それに比べると、日本製衣類のタグは、一般的にとても控え目であるような気がする。
間違っても、縫い目がチカチカするなどということはない。
それがたとえ東南アジアで縫製されたものであろうとも、そこには着る人に対する気遣いがにじみ出ているような、そんな気が僕にはするのである。
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2007年01月15日

マイ・ヒーロー

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山本リンダの公式HPによれば、「狙いうち」は1973年に発表されている。ちびまる子ちゃんは小学校3年生という設定で、テレビでこの歌が流れる度に一緒に歌い、踊る。僕は1956年生まれだから、この強烈な曲が大ヒットを飛ばした年には、17歳の高校2年生だったという計算になる。

何故こんなことをいちいち確認しているのかというと、昨日の「ちびまる子ちゃん」で、まる子の同級生の男子(はまじ・ブー太郎・山田)が、風呂敷をマントにしてヒーローごっこをするという話をやっていて、その時彼等が夢中になっていたヒーロー達に何だか違和感があったからである。
彼等のヒーローは、確か「スーパーマン」、「月光仮面」、そして「怪人二十面相」だった。僕にはこれが引っかかった。つまり、自分の体験と照らし合わせてみて、全く実感が湧かなかったのである。
もちろん、まる子達と僕には8歳ほどの年齢差があるから、それは当然といえば当然なのかも知れないが、僕は一旦気になるとシツコイ性格なのだ。

さて、調べてみたら、1972年に「月光仮面」がアニメでリバイバルされているのが判った。しかし、黒沢浩(キャロライン洋子の兄)・団次郎(MG5のCMで有名。本名は村田秀雄)コンビの「少年探偵団(BD7)」が 放映されるのは1975年、「スーパーマン」がクリストファー・リーヴ主演で映画化されるのはやっと1978年になってからのことである。
アニメの「月光仮面」がそんなに子供に人気があったのかどうかも疑問だが、まあそれはそれとして、少なくともまる子達には(はるか昔のテレビ番組などを別にすれば)、小説や漫画以外には「スーパーマン」や「怪人二十面相」を知り得る機会はなかったのではないか、というのが僕の結論である。
しかし、静岡では当時僕の知らないテレビ事情があったのかも知れず、僕の調べ方がずさんなだけなのかも知れないから、こればかりは一概に決め付けるわけにはいかない。

ちなみに、僕のヒーローは、何と言っても「怪傑ハリマオ」だった。だから、僕は風呂敷をマントとしてではなく、覆面(と言うか、頭巾と言うか、はたまたターバンと言うか)として頭に巻き、おもちゃのサングラスをかけて、仁丹をかじったのである(テレビドラマのスポンサーが森下仁丹だった)。
マントものとしては「七色仮面」がご贔屓。あと「忍者部隊月光」というのもあって、これにはクラス中で隊員の役を割り振り合ってごっこ遊びをした憶えがある。平らな地面を、さも崖を登っているように見立てて這い進むのが、僕達のトレンドであった。

こんな話を始めるとキリがないのである。
どんなに歳を取っても、子供の頃夢中になったヒーローは永遠だ、ということであろう。

怪傑ハリマオ 魔の城編 Disc1怪傑ハリマオ 魔の城編 Disc1
勝木敏之/町田泉/中原謙二/崎坂謙二/近藤圭子/江島慶子/大竹タモツ/牧冬吉/加藤精三 船床定男

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2007年01月13日

「かもめ食堂」の研究

かもめ食堂かもめ食堂
群ようこ 荻上直子 小林聡美

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キネマ旬報の2006邦画ベスト10を見たら、「かもめ食堂」が第9位に入っていて少し驚いた。僕の中では全く評価の対象外だったので、好みや評価というのは本当に人それぞれなのだなあ、と改めて感じた(当然「人それぞれ」の「人」の中には僕も含まれている)。

この映画については、観た直後、妻のブログ(Chicken's Everyday)に短いコメントを寄せただけであった。
その時のコメントとは、「まさこさんは、どうして、あの食堂のコーヒーを一口二口飲んだだけで、いつもきっとさっさと何か用を思いついて出て行ってしまうのだろうか。本当はまさこさんは、あそこのコーヒーをあんまり好きじゃないのじゃないだろうか」というもので、これには実は今でも確信を持っている。
暇つぶしに、もう少し掘り下げてみよう。

そもそも、サチエ(小林聡美)には、客に対して美味しいコーヒーを提供しようという気がない。「まじない」で味がよくなったら苦労はしないのだ。気持ちは味に影響するだろうから、そういう意味では全く効果なしと言い切るつもりもないのだが、それにしてももし本気で美味しいコーヒーを客に出そうと思ったら、サチエには「まじない」よりも先にまずやらなければならないことがあるはずで、それは言うまでもなく「作り置きはしない」ということである。
サチエはきっと大雑把な性格なのだと思う。彼女の作る料理もまた大雑把な味をしているはずだ。コーヒーは適当に淹れるけど、料理はきちんとプロの仕事をします、なんてことを僕は信じない。
だが、これが多分あの食堂の良さなのである。

「いい加減に生きる」と「大雑把」は明らかに意味が違っていて、サチエはもちろん後者である。彼女は日本では窮屈だったのだろう。フィンランドのかもめが太っているというのは、そういう意味である。
そしておそらく、マサコ(もたいまさこ)は几帳面な性格なのだ。親の介護をしなくてはならないという環境が、ますます彼女に几帳面であることを強いたのかも知れない。大雑把な方が介護を乗り切るには適していただろうが、彼女はそうすることが出来なかった。
だから、彼女が不味いコーヒーにも関わらず、サチエもしくは「かもめ食堂」に惹かれるのは、彼女自身が今こそ「大雑把」になってしまいたいと心の奥で強く願っているからに違いない。
「フィンランド」とは、そういう場所なのだろう。

しかし、やっぱり僕はこの映画をそんなに高く評価することが出来ない。それは、以上のような僕の勝手な想像によるテーマであれ、そうではない何か別の(本当の)テーマであれ、映画「かもめ食堂」がそれをきちんと描けていたとは僕にはどうしても思えないからである。
あるいは、僕にこの映画の素晴らしさを感じる能力が欠けているだけなのかも知れないけれど。
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2007年01月11日

ヤニ臭くない映画〜サンキュー・スモーキング

「THANK YOU FOR SMOKING」をわざわざ「サンキュー・スモーキング」とする意味及び意図はよく判らないが、映画はとても面白かった。
ダン・ヒックス&ヒズ・ホット・リックス好きの僕としては、タイトルバックを初めとするオールド・タイマーで田舎臭いジャズ・サウンドを生かした音楽のセンスにまず拍手。もちろん、タバコのパッケージ・デザインが鮮やかに展開するタイトルバック自体が素晴らしく、余計なことなど何も考えなくていいのだな、といきなりリラックスする。
笑っていいのかどうか悩まなくてはならない映画も結構多いものだが、ここまでお膳立てをして貰えれば後は何も考えずにただ流れに身をゆだねるだけである。

タバコ研究アカデミーの広報部長であるニック・ネイラーという男が主人公。この男、とにかく口が上手くて、どんなことでも自分のペースに引き込み、話をすり替え、相手を煙にまいて言い負かしてしまう、謂わばディベートの天才である。
タバコのパッケージに「ドクロ・マーク」を付けることに躍起となっている上院議員とタバコ研究アカデミーのロビイスト・ニックの対決の構図が、やがて一人の人間対「欺瞞」にすり替わって行くのだけれど、彼は正義感に燃えてその欺瞞を糾弾するわけでも、一般的な意味におけるヒーローになるわけでもない。
観ている側が、いつの間にか世の中の流れとは逆に喫煙派に感情移入するというおかしな立場に立たされてしまっているという点も含め、ここがこの映画のイヤらしくもスマートなところである。

さて、公聴会に向かうニックが自らをジェームズ・スチュアートになぞらえる場面がある。これは言わずもがな「スミス都へ行く」のことで、監督はフランク・キャプラ。1930年代のアメリカ映画だが、長時間にわたるスミスの大演説シーンが有名である。
もっとも、スミスは一身を投げ打って汚職と戦ったのだが、ニックにはそんな判り易い(言い替えれば、大衆に理解を得られ易い)「大義」もなければ姿勢もない。公聴会におけるやり取りも、人を食ったように実にあっさりとしている。
ダム建設推進派の罠で自らに汚職の嫌疑がかけられたことに失望したスミスが、「人民の人民による人民のための政治」というあの有名な言葉により迷いを吹っ切るリンカーン記念堂のシーンに到っては、何とリンカーン大統領像(アメリカ民主主義の象徴)の膝の間に、ニコチン・パッチを貼られて瀕死状態になったニックが半裸姿で横たわる、という何とも間抜けなシーンに置き換えられていて大いに笑った。
「スミス都へ行く」と本作を見比べて、民主主義の「進化」に想いを馳せるのもまた一興であろう。

ところでこの映画、全編タバコにまつわるエピソードで埋め尽くされているのにちっともヤニ臭くないなと思ったら、実際にタバコを吸うシーンがただの一度も出て来なかったような気がするのだが、僕の思い込みだろうか。

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スミス都へ行くスミス都へ行く
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posted by og5 at 11:58| Comment(3) | TrackBack(1) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年01月08日

昨日今日明日

ChristieChristie
Christie

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昨年末、長年欲しかったクリスティーの「Christie/Christie」をやっと入手した。中学生の頃買ってレコードは持っていたのだが、その後CD時代に移行するに際して売り払ってしまい、ずっと後悔していたのだ。
買い物に行く車中、このアルバムの一曲目「イエロー・リバー」を聴いて、妻がこう言った。
「これ、井上順の曲じゃないの?」
「いや、井上順の『昨日・今日・明日』は、この曲じゃなくて『オブ・ラ・ディ,オブ・ラダ』をパクッたと言われてるんだけどね」
と、出だしの部分を口ずさむ僕。
しかし、なるほど、そう言われてみれば、この3曲はとてもよく似通ったテイストを持っている。正確に言うと、「オブ・ラ・ディ,オブ・ラダ 」と「イエロー・リバー」は似ていないが、「昨日・今日・明日」がどちらにも似ているのである。

去年から読み始めて、未だ読み終えることが出来ないでいる本がある。クリフォード・チェイスの「ウィンキー」である。
帯の惹句によれば、「テディベアが無実の罪で捕まった! 人間のようにしゃべって動けるテディベアのウィンキーが、頼りない弁護士といっしょに自由を求めてたたかうことに」という話。
どうしても読み終えることが出来ないのは、結局この本が僕にとってつまらないからでしかないのだと思う。拘置所の連中の描き方が一面的で意地悪い。展開がだらだらとしている。更には(当たり前と言えば当たり前だが)、テディベアに全く感情移入することが出来ない。
作者が下手なのか、訳者が下手なのかは判らないが、僕はもうこの本におさらばしようと決心した。

読みかけの「ウィンキー」に手を伸ばすのを躊躇して、その替わりに読み始めたのが杉浦日向子の「うつくしく、やさしく、おろかなり ― 私の惚れた『江戸』」である。
こちらもまだ読了はしていないが、とても面白い。
「路上の足跡」だの「歩行者の足」だのと図解入りで江戸の人々を観察している部分が特に興味深く、「ワラジは前ハジに鼻緒がつく つまり装着時に指が外に出る」(だから指で地面をつかむようになる)などということをこの本で初めて知った。
「江戸より東のほうの女性と上方系の女性」を比較した「江戸のおんな」も大変に面白かった。
この本は、彼女が亡くなってから出版されたとのことだが、僕にはまだ彼女が生きているような気がしてしょうがない。

「ウィンキー」に見切りをつけたので、とっても気分が楽になった。
杉浦日向子が惚れた江戸を愉しんだ後は、久し振りに松本清張の短編集でも読もうか、と今僕は思っている。

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posted by og5 at 16:16| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

冬の一日

暖冬のせいか、近所の猫がうるさい。
昨日も、むっくりと肥えた馴染みの野良猫が二匹、愛の巣を求めて家の駐車場の前を悠々と横切って行くのに出くわした。
我が家のアホ猫は、最近ずっとストーブの前でいじけたようにうとうとしているが、なるほど、これではおちおち外へも出られないわけだ。
春の猫 ひねもす寝たり 寝たりかな。

昨日は、ベッドの中で白鳥の声を聞いた。
この時期にこの渡り鳥の声を聞いたという記憶がなかったので、まさか暖冬のせいで季節を間違えて、もうシベリアへの帰り支度を始めたのではないだろうな、などといらぬ心配をした。
部屋のカーテンを開けて、ベランダから外を見たが、曇り空のせいでその白い姿を確認することは出来なかった。
足の冷たさに、僕はまたすぐにベッドに戻った。

R0010324.JPG暖冬とはいえ、昨日今日はいくらか冬らしい天気である。
曇り空からいきなりバラバラと雨やあられが降って来て、突風が窓ガラスをガタピシと鳴らす。かと思えば、吹き荒れていた風が一瞬のうちにぴたりと止んで、突然青空が顔をのぞかせたりもする。
それは、僕にとって音楽のようであり、また同時にある種のコミュニケーションでもある。
電線が揺れる。ビュウッと風が吹く。雨粒がフォルテシモで顔を打つ。世界が生きている。
のらくらするのも幸せだが、思い切って外出すると、こんな風に自分が生きていることを実感することも出来る。
posted by og5 at 12:04| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

年賀状

年賀状は、年が開けてから書いている。
毎年、賀状を頂いた方だけに返事を出すから、当然新年になってしまうわけだ。
日本郵政公社では、配達の混雑緩和や取扱量の均等化などの目的もあるのだろう、「年賀状早出しキャンペーン」なるものをやっていて、だから僕はその意向に真っ向から逆らっているということになる。
と言っても、これは別にポリシーがあってそうしているというようなことではなくて、面倒なことをなるべく先延ばしにしようとする怠け者の悪あがきである。つまり、出来るだけ、出したくないのだ。

そんなぐうたらを何年も続けているせいだろうか、今年は例年になく年賀状が少なかった。
個人から僕一人を宛名として届けられたのはわずか3通だけで、その他は近所の焼肉屋から1通、自動車屋から2通、全部合計してもたったの6通であった。
いよいよ来たか、と思う。毎年、妻がデザインした葉書にちょこちょこと自筆のメッセージを添えて(一応「誠意」を装い)返信してはいたものの、そのおざなりであることは見る人が見れば丸判りなはずなのである。
年賀状なんて出来れば書きたくないという本音もあって、だから僕はそのように自ら仕向けたのだとも言えるかも知れないが、しかし、それがいざ現実となるとやはりちょっとは動揺する。

「これが望みだったんでしょ?」と妻は言う。
「ああ、年賀状なんて面倒なだけだからな」と僕は答える。
そんな僕の心を見透かすように、「でも、ちょっと寂しいんでしょ?」と妻は更に言葉をつなぐのであった。

妻も毎年年が開けてから年賀状を書くが、彼女には今年もたくさんの年賀状が届けられた。
頂いた葉書も毎年きちんと管理している。
やっていることは同じだが、そしてまた彼女にもポリシーというようなものがあるとは思えないが、僕とは多分「誠意」が違うのだろう。
posted by og5 at 08:55| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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