2007年03月29日

威風堂々

神保美喜
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2007年03月25日

モンブランでひと滑り

今日の「ちびまる子ちゃん」の一話目は、花輪君が外国に行ってしまうと勘違いしたまる子達が引き起こすあれやこれやのドタバタがテーマであったが、それが本当の勘違いだったと一同一安心して花輪家に集まったところで、ヒデじいが色んなケーキの載ったトレイを持って現れるというシーンがあった。
妻が「あ、モンブラン」と言う。なるほど、チーズ・ケーキっぽい真ん丸いホールのケーキの後ろには、渦巻状のデコレーションをグルグルと頭に載せた小さなピースが綺麗に並んでいる。
確かに、モンブランである。

僕はモンブランが嫌いだ。
栗の味がそんなに好きではない、とか、本当に美味しいと思うモンブランを今まで食べたことがない、とか、そんな理由ではない。
正直に告白すれば、モンブランは、昔、僕の憧れのケーキだった。そして、それは、決して叶えられることのない憧れだった。

実は、この小洒落たおフランス産ケーキの天辺に載っているとぐろ状のものを、僕はずっとラーメンだと思っていたのである。
そして、それに憧れていたのである。
笑わば笑え、だ。
はっきり言って馬鹿である。
だいたい、ケーキの上に何故ラーメンが載っていると思うのか。
載っているわけがない。
仮に載っていたとして、何故それを食べたいと思ったのか。
美味しいわけがないではないか(多分)。

ちなみに、あのとぐろ状のものが黄色いのは、日本だけの特殊事情なのだという。
何と、本家は日本である、という説もあるらしい。
この辺も、ラーメンと同じである。
タグ:モンブラン
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2007年03月22日

消してしまったもの、失われたものと「天使の詩」

亡くなった娘のパソコンを大型家電店に修理に出したところ、店側のミスによりハードディスクに入っていた大切なデータが消えてしまい精神的苦痛を受けたとして、秋田市の夫婦が500万円の慰謝料を求めて秋田地裁に訴訟を起こしたのだそうである。
消えてしまったデータとは、2004年に20歳で亡くなった娘が、通っていたデザイン専門学校で制作した考案デザインや、その他プライベートな日記やメール記録などで、夫婦は「長女をしのぶことができる貴重なデータだった」と主張しているという。

僕にはこの夫婦と家電店の具体的なやり取りなど判らないし、どのように決着すべきなのかも言う立場ではない。ただ「失われてしまった思い出」ということから、昔観たある映画のことを思い出したのである。
その映画は「天使の詩」というイタリア映画で、僕はそれを中学生の頃に(確か)読売ホールで観たのであった。
もちろん、「天使の詩」において失われるものは、パソコンのデータではない。
幼い兄弟と父親は、亡くなった母の、そして妻の声を失うのである。

<フィレンツェ駐在の英国領事が、妻を失った。彼は幼い二人の息子のうち、しっかり者の兄にだけ母の死を知らせ、弟には黙っていることを約束させる。しかし兄の方は、父親の考えている以上に、母の死にショックを受けていた……。父と子のすれ違いから起こる悲劇を描いたドラマ>

Yahoo!映画の解説を引用すればそういうことなのだが、僕にとって最も強烈な印象となって残っているのは、やはり彼等が母の声を失ってしまうシーンである。

父親は、母親の声が吹き込まれたテープを兄弟がこっそりと聴いているのを知って激怒する。それは、禁じられた遊びであった。もしかしたら父は、兄に自分の補助者たることを望んでいたのかも知れない。
しかし、兄弟にとって、美しい母、優しい母は、そのテープレコーダーを介してのみ、直接的に触れられる存在であった。だから、禁じられても禁じられても、彼等はテープレコーダーをクルクルと回す。
ある日、彼等は誤って録音スイッチを押してしまう。そして、母の声を、永遠に失ってしまうのだ。

映画「天使の詩」においては、かけがえのないものを消してしまう者と失う者が同一であり、その残酷さが堪らなく胸に迫る。
あれは幼い弟の失敗だったろうか。
兄はそれをかばい、ますます父との溝を深くして行った、と僕は記憶しているのだが、あまり定かではない。

天使の詩天使の詩
ルイジ・コメンチーニ アンソニー・クエイル ステファノ・コラグランデ

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タグ:天使の詩
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2007年03月19日

初恋の丘

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由紀さおり 山上路夫 渋谷毅

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初恋の人はいったい誰だったのか、と何度考えただろう。中学生の頃、僕はもうぼんやりとそんなことを考えていた。高校の頃も、そして卒業して田舎の郵便局に勤め始めた頃も、僕はやはり時にそんなことを考えては、無駄に時を過ごしていた。

こんなことを思い出したのは、昨日ある人の夢を見たからである。
「初恋の人」は、夢の中で、僕と並んで何故か漫画を描いていた。彼女の描く物語とその画があまりにも素晴らしくて、僕は嫉妬している。でも、その嫉妬は半分尊敬の入り混じった複雑なもので、僕は夢の中でも彼女には好きだとなかなか言えずに、関係のないどうでもいいことばかり言っているのであった。

彼女は、僕の中学の頃の同級生である。彼女は、僕の「初恋の人」ではあるが、しかし本当の意味の初恋の人ではない。僕は、中学になるまでにも随分いろんな人を好きになって、そしてまた何度目かのある春にその人を好きになったのだ。
人は、多分「初恋の人」を作り上げるのである。その人その人の長い、あるいは短い時間の中で巡り合った何人かの人の中から、一番自分に相応しい、言ってみれば自分が求める物語に最もぴったりと隙間なく当て嵌まる相手を選りすぐって、そして思い出にするのだ。

「初恋の丘」というのは、由紀さおりの1971年のあまりヒットしなかったシングルである。大ヒット曲「夜明けのスキャット」が1969年、「手紙」「生きがい」が1970年の作で、吉田拓郎が作った「ルーム・ライト」をはじめ一風変わった由紀さおり独自の歌謡曲の世界が展開されるまでにはまだ2年ばかりを要する。
この曲の歌詞は北山修が書いている。
幼稚だった僕は、あまりリアルではなく深くもない北山修の歌詞に居心地のよさを感じていたのだが、今では同じその歌詞に普遍を感じている。

いつからあの人が僕の「初恋の人」として確定したのだろうか、と思う。
その後のいくつかの恋が、それまでとそんなに違っていたとも思わない。
だが、何かが過去になったのだ。
そして、僕は多分、それを正式な思い出として位置付けたのである。

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由紀さおり 山上路夫 いずみたく

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2007年03月16日

きゅるきゅるは何処に行った

広くなった狭い家で
僕は迷子になる
右側に連続4回
寝返りだって打てる

きゅるきゅるは何処に行った
きゅるきゅるは何処に行った
きゅるきゅるは何処に行った

シンというこわい音を
僕は聞いている
意味もなく冷蔵庫のドア
開けたり閉めたりする

きゅるきゅるは何処に行った
きゅるきゅるは何処に行った
きゅるきゅるは何処に行った

何度も探したのに
見つからなかったのに

きゅるきゅるはここにあった
きゅるきゅるはここにあった
きゅるきゅるはここにあった

−RUBBER SOLE「きゅるきゅるは何処に行った」(予定)−
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2007年03月15日

赤塚不二夫のノドチンコ

今まであまり気にしたことなどなかったのだが、一旦気になり出すともう放っておくことが出来ない。「赤塚不二夫のノドチンコ」のことである。
いや、アレがノドチンコなのかさえ、そもそも明確ではない。ただ、僕がそうだろうと(ずっと)思っていただけである。
注意して見ると、表紙などのカラーの画でも、アレは下あご(下唇?)から直接ニョキッと生えていて、色も肌色をしている。
アレはいったい何なのだ?

バカボンのパパにはある。バカボンにもある。チビ太にもあるしイヤミにもある。ココロのボスにもあって、何とウナギイヌにまであるアレは、舌か? いや、舌は舌で、例えば辛いものを飲まされて「ハヒ〜ッ!」などと叫ぶ時に、ちゃんとはっきりそれと判るフォルムで描かれているから、多分舌ではないのだろう。
では、やっぱりノドチンコだ。
しかし、何故ノドチンコが下あごから直接生えているのか。
ギャグ漫画であるから、デフォルメされているのは判る。特に、赤塚不二夫のことである。だが、それにしても、ノドチンコを下あごにつながっているようにデフォルメしなければならないどんな理由が、赤塚不二夫にあったというのだろうか。

どんなに考えても謎は解明されない。
しかし、ひとつだけ判ったことがあって、それは「アレのない赤塚不二夫のキャラクターを想像してみる」という試みから僕が得た「事実」であった。
アレのないバカボンのパパはバカボンのパパではない。アレのないバカボンはバカボンではない。アレのないチビ太はチビ太ではないし、アレのないイヤミもイヤミではないのである。
何だか判らないが、ただただ純粋にアレは必要なものなのだ。

アレって、もしかしたら「アイデンティティ」なのかも知れない。

※アレ  ↓
おそ松くん VOL.2おそ松くん VOL.2
赤塚不二夫 井上遥 松本梨香

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2007年03月13日

「透明人間」に関する映画〜「パフューム」

何となくお洒落な映画だと思って観たのであった。「パフューム−ある人殺しの物語−」のことである。
パフューム=香水、だからお洒落、というどうにもならない短絡的で紋切り型の発想が情けないが、こんな陳腐な想像力によって、僕は「ある人殺しの物語」というサブタイトルすらどっかにやってしまっていたのである。
映画が始まって驚いた。何しろ舞台が18世紀のパリなのだ。おまけに、魚屋の娘がいきなり子供を産み落としてナイフでへその緒を切る。全然お洒落じゃない!

例えば、寓話なら寓話として多少のことなら笑って、あるいは余裕で観ていられるわけである。しかし、それが寓話なのか本気(リアル)なのか判然としないまま物語の中に入ってしまうと、とにかく居心地が悪い。
何だかんだ言って、僕が完全にこのへんてこりんな映画に安心して身を委ねることが出来たのは、やっとクライマックス(僕はあの処刑場のシーンのことを言っている)になってからのことだった。
つまり、僕はものすごく損をしたのである。

きっとこれから観る人の興を大いにそいでしまうから、あまり詳しく内容を言うことは出来ないが、とにかく処刑場のシーンには大笑いだった。いや、実際は、人目を気にして声を出して笑うことなど出来なかったのだが、腹の中では大いに笑った。
囚われの調香師ジャン=バティスト・グルヌイユ(ベン・ウィショー)が、何とも頼りなげに十字架の台の上に立ち、おずおずとハンカチを取り出し、そしてやがてそれを打ち振り群集を陶酔と狂熱に駆り立てて行く様、幸福に酔い痴れるとはこれ程かっこ悪いことなのかと思わず目を背けたくなる間抜け面の老若男女、ジャン=バティストの中途半端なパフォーマンス、特に手を「ジャジャーン!」と二段変速で広げる何ともしまらない所作には、本当に腰が砕けてしまった。

一人も鼻の悪い奴はいなかったのか、とか確かに突っ込みどころがないわけではないのだが、これだけは絶対言えないあの「驚愕の結末」を観るだけでも、お金を払う価値が充分ある、と僕は思う。
自らの「セント=匂い」を持たない男は、奇跡の調香で「無実=イノセント」を手に入れたが、結局はその香水によって「無」に帰してしまう。風に舞うハンカチに群がる崇拝者達を見る彼の虚ろな目は、おそらく既に自分の人生の結末を映していたに違いない。
「パフューム−ある人殺しの物語−」は、実に奇妙な、「透明人間」に関する映画である。

香水―ある人殺しの物語香水―ある人殺しの物語
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2007年03月12日

カサブランカ

膜がかかったようで
何も見えない
百合の白い影が
風に揺れて

君は空に流れて行く
君は空に流れて行く
美しい世界に
僕は今いる

道に迷いながら
辿り着いたよ
指もあごの線も
忘れかけて

僕は日々に流れて行く
僕は日々に流れて行く
美しい世界に
君は今いる

−RUBBER SOLE「カサブランカ」(予定)−
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2007年03月11日

歌の上手い人

今月の初めのことであるが、テレビで「お笑い芸人歌がうまい王座決定戦スペシャル」を観た。みんなで「上手い上手い」と褒め称えているが絶対に上手いとは思えない神無月がタカアンドトシを破って決勝に進んだ時点で風呂に入ってしまったので最後までは観ていないが、どうやらますだおかだが優勝したらしい。
それにしても、本当に歌が上手いと僕が思った人は、みんな途中で消えてしまった。そもそもそんな人は数えるくらいしかいなかった。
スピードワゴン小沢、村上ショージ、タカアンドトシのタカくらいだろうか。

小沢はとにかく声がいい。あんな声に生まれたら、もう一生は決まったようなものだとさえ思う。素人の歌う「雨上がりの夜空に」をこんなに安心して聴いていられるのは、奇跡的なのではないだろうか。
村上ショージは、以外にもまともであった。変に上手く歌おうという気がないのがいい。おそらく、ただ「ちゃんと」歌っているだけなのである。
タカは、細かいテクニックなど度外視して、ひたすら声を張り上げる。でも、その声がびっくりするほど魅力的なので、抗えないのである。グリークラブがロックを歌ってるみたいだと言われたシアター・オブ・ヘイトのボーカルをちょっと思い出した(ただし、後半息切れし過ぎ)。

神無月もそうだが、今回は出ていなかった友近なども、必要以上に歌が上手いことになってしまっていると思う。確かに、歌に強弱をつけたり、それらしい顔をしたりするのは上手いと思うのだが、絶対に外れてはいけないところで案外ぞんざいに音を外すのだ。
昔、近田春夫が「考えるヒット」の中で、小沢健二とユーミンは一般的にはあんまり歌が上手くないということになっているが、肝心なところでこの二人が音を外すのを一度も聴いたことがない、というようなことを書いていたはずだ。ニュアンスは違うかも知れないが、「音」というのは、ただ単に「音程」のことを指しているのではないだろう。
神無月や友近は、きっとただのカラオケ上手なのである。

テレビを見ていると、歌を聴かなくても、ああこの人はきっと音痴だろうな、と判る人がいる。例えば、菊川玲。何だか鞴(ふいご)の按配がおかしい、という気がする。
まあ、あまり人のことは言えないわけであるが・・・。

シングル・コレクションシングル・コレクション
シアター・オブ・ヘイト

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冷酷に

冷血冷血
トルーマン カポーティ Truman Capote 佐々田 雅子

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カポーティの「冷血」を読んだのは、まだ20代になったばかりの頃であった。出世作「遠い声 遠い部屋」を読み、その頃僕が読んでいたどちらかと言えばストイックな、あるいはシンプルな文体のアメリカ文学とはかなり趣の異なる緻密で格調の高い表現に驚かされ、この「衝撃のノンフィクション・ノベル」(当時の解説より)にも次いで手を伸ばしたのである。
「冷血」は、若い僕にも「衝撃」だったのだろう。500ページを超えるこの小説を、僕は一気に読んでしまった。だが、当時の僕の印象は、「衝撃」よりもとにかく「面白い!」であり、こういった手法による小説がそれまでになかったということや、この後カポーティは満足に創作活動を行うことが出来なくなってしまったといったことは、あくまでも周辺情報でしかなかった。そういうことを抜きにしても、「冷血」は小説として聳え立っていた。

ところで、当時から僕には、何故カポーティはあれ程までにペリーに感情移入したのだろうか、という疑問があった。映画「カポーティ」によって、僕は改めてその疑問を突き付けられたのだが、同時にやっと自分の間違いに気付くことが出来た。

カンザス州のある農村で、農場主一家4人が惨殺される。ある日新聞記事でこの事件を知ったカポーティは、異常とも思える熱心さで事件を追い始める。現場へ飛び、ありとあらゆる関係者へのインタビューを重ね、それらを膨大なノートとして積み重ねていった。その調査に3年、更にそれを一冊の小説にまとめ上げるのに更に3年を要している。そして、その間、彼が最も執着した対象が、犯人の一人ペリーなのであった。頻繁に訪れ、差し入れをし、長時間に亘りペリーが収監されている独房の中で語り合い、弁護士さえ紹介した。

この執着を、僕は、文字通りカポーティのペリーに対する感情移入だと思い込んでいた。かなり地味な映画「カポーティ」を観て、僕がやっと理解したのは、結局カポーティは、(極論すれば)新しい小説の表現形式を完成させるという正にそのことだけに感情移入していたのではないか、少なくともそう徹しようとしていたのではないか、ということである。
ペリーの育った家庭環境に自分と似通った点があるとか、ペリーには思いのほか文学的性質が備わっているとかいった(映画の中でも示されていた)事柄は、云わば全てカポーティが自分の欲する「事実」を手に入れるための手段に過ぎなかった。ペリー自身が、既に道具の一つでしかなかったのである。

タイトルの「冷血」が、二人の殺人犯とその所業を言い表したものでないことは、もはや明白である。
「冷血」というタイトルこそは「刻印」であろう。作中に「わたし」を存在させることを拒否し、収集し尽くした「事実」を再構築した彼は、タイトルにだけは自分自身の成した仕事を、そして一人称たる「わたし」を刻み込んだのだ。
結局は「冷血」に徹することが出来なかったにしても。

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冷血冷血
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2007年03月06日

何故、「土居珈琲」の小冊子を読んで泣いたのか

妻がネット経由で土居珈琲というところからコーヒーを取り寄せたら、「間違いだらけのコーヒー選び(副題:誰も教えなかった五つのポイント)」という小冊子がついて来た。
コーヒーは大変に美味しかった。そして、僕はこの小冊子を読んで不覚にも涙を流してしまった。
何故だろう。

この冊子には、「はじめに」と「おわりに」を別にすると五つの章がある。それが別に副題にある「五つのポイント」に該当するわけではなく、「知らずにムダ金をつかっていた方へ」と題された第一章では情報(鑑定のポイントを知ること)の大切さを説き、「コーヒーの常識のうそ」と題された第二章では巷でよく言われているものの実は間違っているコーヒーの「常識のうそ」をいくつか指摘している。
読み返してみたが、ここまでは特に何か胸に迫るものがあるというわけでもない。
そして、副題の「五つのポイント」を具体的に列記した第四章「あなたが探しているこだわりのコーヒーを見つける方法」と、購買者の感想を紹介する第五章「コーヒーの探しかたを知って楽しんでいる方の生の声」も、やはり同様であった。
そう、この冊子の肝は、第三章「食卓の貧乏くささを断固拒否する。」にこそあったのだ。

他のタイトルがそれぞれの付けられた各章の内容をある程度穏当に表わしているのに比べ、第三章の「食卓の貧乏くささを断固拒否する。」だけは、見て判るとおりその表現に異様に力が入っている。これでは「宣言」である。タイトルなのに最後には何故か「。」まで付いてしまっているし、選ばれた言葉も明らかに(他に比べて)強い。
ではその内容はと云えば、自分が何故このようなコーヒー販売の手法を取るに到ったのか、そのためにどのような苦労をして来たのか、だがそれがやっと報われた時どんなに嬉しかったか、と何ひとつとしておかしなことなど書かれていないのだが、やはり何かが違うのである。
疾走している。前のめりである。ナマの気持ちが活字からはみ出している。
これだ。この章のこの熱い気持ちの奔流が、僕の胸を打ったのである。

土居さんも、書いていて本当に燃えたのだと思う。だって、この第三章の余波で、次の第四章だけ何故か「第4章」と数字の表記が違ってしまっているから。
個人的には、第二章で見せる「重要なことなので2回書いておく」と言って、本当にそのまま同じ文章を二回繰り返すという荒業も大好きである。

こんなところにも心を打つ文章というものは存在した。もしかしたら、新聞の折込広告やエアコンの取扱説明書でも、人を感動させることは可能なのかも知れない。
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2007年03月05日

気の早い花曇りの日に

今朝はまるで春の花曇りのようなお天気で、こんな日には何となく小学校の入学式のような憂鬱な気分になる。僕の頭の中には、初めて一人きりで座った木の椅子の感触と、やはり木製の机の上にしょうもなく置かれた真新しいノートや教科書、そして薄暗い教室を覆った妙にそわそわした空気がぼんやりと思い浮かんでいる。
それは、嫌なようでもあり同時にまた嬉しいようでもある、甘えに満ちた感覚である。「期待」という不安に満ちた、中途半端で拠り所のない、春という季節に独特の感覚である。

天気は気の早い花曇りから雨催いに変わり、そして本当の雨となった。
子供の頃、僕は雨降りが嫌いだったろうか、それとも好きだったのだろうか、と考えてみるがよく思い出せない。どんな傘を持っていたのだったか、と考えても、やはり思い出せなかった。
ピカピカの一年生などという言葉がCMで流行る十何年も前の一年生は、やはりピカピカの服を着て、ピカピカの靴をはき、雨の日にはピカピカの傘とレインコートを着ていたのだろうが、そういったこと一切を忘れてしまっているというのも、不思議と言えば不思議である。

今年は、庭のフキノトウがもう芽を出している。妻は今朝ウグイスの声を聞いたという。
ほらほら、と呼ばれたが、僕が耳を澄ますと声はしなくなった。諦めた僕が何かし始めると妻がまた手招きする。無音。その繰り返し。
まるでドリフのコントみたいだな、と思い、慌しい中、一人でちょっと笑った。
タグ:花曇り
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2007年03月03日

「クリムト」の夜

klimt.jpgいつもながら何の予備知識もなく観たので、最初はお堅い芸術映画なのかなと思っていた。
そしたらまずサロンの場面で、会話に合っているようで全く合っていないグルグル回転するカメラ・ワークに面食らった。いや、はっきり言って腹が立ったのだ。
しかし、僕はいつしか「クリムト」に夢中になっていた。
でも、「いつしか」って、一体いつからだろう。

パリ万博でクリムトはレアと出会う。そして、文化省書記官と名乗る男と出会う。多分、僕はこの書記官をクライブ・バーカーの初期短編集に出て来るような現実的な悪魔だと認識し、(偽者か本物かはともかく、とにかく最初の)レアがクリムトにキスした瞬間「馬の臭いがする」と言ったことに衝撃を受けたのだ。
そして、書記官に語りかけるクリムトに誰かが「独り言を言っているのか」と訝しげな目を向けたその時、僕は最初のガッツ・ポーズを取ったのだ。

誤解をおそれずに言えば、これは古い映画である。だって、誰が今時こんなおかしな映画を撮ろうとするだろうか(いや、誰かが撮ったからこそ公開されているわけだが)。いやいや、僕が言おうとしているのは、そんなことではなく、つまり、これは近頃珍しい真っ当な「映画芸術」だということなのである。
馬鹿にしているのでも、批判しようとしているのでもない。実に大したもんだ。ただただそう思っているのである。

「クリムト」の夜、僕はある妄想に取り憑かれた。それは「幻の蟹」という妄想で、極々簡単に言うと次のようなものである。
いもしない蟹が見えると言い張る男がいる。他の誰にも見えないのに、彼は一匹の蟹が今そこを這い回っていた、と頑なに主張するのである。ところで、この世界には、彼のようにいもしない蟹が見えるという人間が一体何人いるのだろうか。彼等はそれぞれにそれぞれの幻の蟹を見ては大騒ぎを演じる。だが、もしここに蟹ではなく「人々の妄想」が見える人間がいるとしたらどうだろう。彼あるいは彼女には、それこそ全ての「蟹」が見えるのだ。何万何十万という数の「蟹」が、彼あるいは彼女の日常生活の中を蠢く。蠢き続ける。しかも、それは彼等には結局何の関わりもない、所詮は他人の蟹なのだ。

偽りのレア、本物のレア、第3のレア、クリムトのダブル、クリムトのダブルを殴るクリムト、だが雪の中に倒れている本物のクリムト、カフェにいるシーレ、だがカフェの外にいるはずの本当のシーレ、ミディの夢の教授、太っちょモーツァルトの奏でる音楽の変遷とベールの向こうの変わる顔、夜毎訪問する男達、あるいは夜毎に馬車を駆る女、もう夜も更けたのか、それとも手遅れなのか、顕微鏡の中に見える(決して僕達には見えない)模様、鏡、魅力的過ぎるヒゲの女達、そしてドアをバターン! 飛び散る金粉、フラワーズ・・・。
ああ、もう一回観たい!

「クリムト」の夜は、このように更けて行った。

クリムト デラックス版クリムト デラックス版
ジョン・マルコヴィッチ ラウル・ルイス ヴェロニカ・フェレ

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ガムランに癒される

青銅のシンフォニー~バリ島のガムラン青銅のシンフォニー~バリ島のガムラン
民族音楽

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ずっと風邪をひいていた。
珍しく熱も上がったので、木曜の午後、休みを貰って家で寝ていた。
ふと、以前同じように熱を上げた時、ガムランを聴きながら寝たら不思議に身体が休まったことを思い出し、しばらく聴くこともなかったCDを3枚引っ張り出して来てプレイヤーにセットした。
夕方目覚めると部屋は既に薄暗くなっており、CDの曲も全て終わっていたが、僕は、眠りの中でガムランを聴きながら涙を流していた自分を思い出し、少しだけ軽くなった気持ちと体重を意識した。

普段から、音楽を聴いて泣くということが全くないわけではない。しかし、それが無意識の裡に起こったとなると、やはり珍しいことだと言わざるを得ない。
「泣く」すなわち「心を動かされること」と捉えがちだが、実はそれだけではないのではないだろうか。例えば、冷蔵庫の製氷皿洗浄機能のように、あるいはコンピュータのウィルスチェックソフトのように、人間にもその手のスイッチ(仕組み)があり、汚れた水や危険なファイルをひょいと隔離して処理するがごとく、涙を目から出すことによって身内の澱のようなものも一緒に外に押し流してしまう「機能」があるような、そんな気がするのだ。

僕は、ヒーリング・ミュージックは嫌いである。
が、ガムランはただガムランであり、今もまだ鼻の詰まった僕の頭の周りでグルグルと回っている。
タグ:ガムラン
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思い出にするタイミング

五代目 三遊亭圓楽 特選落語集 DVD-BOX五代目 三遊亭圓楽 特選落語集 DVD-BOX
三遊亭圓楽(五代目)

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三遊亭円楽が先月末、記者会見を開き引退を表明した。25日、国立演芸場で行われた「国立名人会」で「芝浜」を演じたものの、本人曰く「ろれつが回らなくて、声の大小、抑揚がうまくいかず、噺のニュアンスが伝わらない」とのことで、今回の高座には最初からその出来如何では、との決意で臨んでいたのだという。
本人が決意した引退である。頑固そうな人だから、きっと誰が何と言おうと翻意などしないのだろうが、Asahi.comが伝えた東西落語界の大御所二人のコメントは、面白いくらいにその肌触りが異なっていた。

その一人は、「笑点」の司会を当の円楽から引き継いだ桂歌丸であり、当然と言えば当然なのだが、「まだ我々のお手本でいてもらわなくちゃならない人なんだ。引退なんてとんでもない。もったいない。宝物を捨てるようなもんだ」と引退に異を唱え、「きっちりとしゃべりたいという美学もいいが、完全主義も時と場合によります。失敗しても次にうまくできればいいんだ。『ろれつが回らないのが情けない』って言うけれど、治ると思えば治るんだ。今度会ったら、怒ってやりますよ」とまで言っている。
もう一人は、上方落語協会長の桂三枝で、「さみしい思いがする」けれど「円楽師匠は若いときからかっこいい落語家だった。芸人は死ぬまで現役というイメージがあるなかで、引き際の潔さを教えてくれた気がする」と語り、「今後は演者としてでなく、指導者として我々にアドバイスをしてください。お疲れ様でした」と結ぶのである(この段、「」内は全てAsahi.comからの引用)。

僕は、この二人のコメントを読み比べた時、以前テレビで観たある追悼番組をとっさに思い出していた。
それは、1993年、ハナ肇が肝臓癌で亡くなったのを受け急遽組まれた特別番組で、クレージーキャッツの面々や、渡辺プロダクションに所属する芸能人などが多数出席していた。
植木等も谷啓も、当然ながら悲痛な面持ちである。コメントを求められても、みな一様に言葉少なで、痛々しい感じがブラウン管のこちら側にまで伝わって来た。
井上順も、その場所にいた。そして、井上順だけが、その悲しみの輪の中で異質だった。
というのは、彼だけが、既に「思い出」を語っていたからである。他の関係者達がまだ「驚いている」あるいは「気持ちの整理がつかない」状態なのに、彼だけが、「よき思い出」、「過去のこと」としてハナ肇を、時に微笑みを交えながら懐かしんでいたのだ。
ハナ肇の死は井上順自身にとってもショッキングな出来事で、そのための動揺があのように発現してしまったのかも知れない、と今では思う(というよりも、思うことも出来る)が、それにしても僕にとって、忘れられない、異様な光景であったことには変わりがない。

円楽とのこれまでの付き合いの長さや深さ、それに芸に対する考え方の違いもあるだろう。もちろん、僕も歌丸と三枝のコメントに、優劣や好悪の差をつけようなどと考えているわけではない。
ただ、今回のことをきっかけに、思い出にするタイミングは難しい、と改めて思ったのである。

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posted by og5 at 12:27| Comment(0) | TrackBack(0) | TV・芸能人 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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