2007年04月25日

「ホット・ウォーター事件」顛末記

昨日今日と珍しくバリバリと仕事をした。次から次へとやって来る課題を、例えがちょっと変だけど「ちぎっては投げ、ちぎっては投げ」という感じ。
春の椿事か、4月革命か。
いや、実は僕には思い当たることがひとつあって、9割方間違いなく原因は「それ」なのである。

昨日の朝、出勤前のひと時のことであった。
いつもと同じように、全ての身支度を終えた僕は居間のソファに腰かけていた。目の前のテレビ画面にはいつもと同じワイドショー番組、いつもと同じ司会者の挨拶、いつもと同じ火曜日のコメンテーター。
彼等は、エリツィン元大統領の死を報じていた。
僕は、ソ連を崩壊させたのはゴルバチョフじゃなかったっけ、などと考えながら、これまたいつものように大き目の茶碗に口をつけてネスカフェをごくりと飲んだ。
なんだか変な味がした。舌がピリピリする。
僕は、咄嗟に、身体に異常が起こっているのかも知れない、と動揺した。
もうひと口、飲んでみる。
やはりおかしい。
濃く入れ過ぎたのか。いや、それにしてもこの刺激は苦味ではない。
僕は、隣に座っている義母にひとり言のように言った。
「コーヒーの味が、何か変だ・・・」
義母は、「そう?」とか何とか言い、酔っ払ったエリツィンが滅茶苦茶に踊るのをそのまま見続けていたが、間もなく思い出したようにポツリと呟いた。
「そう言えば、ポットに唐辛子が入ってたけど、あなた知ってる?」
僕は最初彼女が何を言っているのか理解出来なかったが、すぐにすっくと立ち上がり、台所まで歩いて行って、湯沸かしポットの中をのぞき込んだ。
そこには、確かに真っ赤な唐辛子が、ちょっとふやけてぷかぷかと浮かんでいるのであった。

義母は別にボケたわけではない。唐辛子があまりにも堂々と浮かんでいたので、妻(つまり義母にとっては娘)が何か考えがあってそうしているのかと思ったのである。そしてまた、その娘(つまり僕にとっての妻)は、いかにも時にそんなことをやらかすタイプなのである。

湯沸かしポットのちょうど斜め上あたりには、紐でくくった唐辛子が吊るしてある。真相は、何かの拍子にその中の一本がぽとりと落ちて、開いたポットの口の中に入ってしまった、ということであるらしい。
お陰でその午前いっぱい、僕の胃はカッカと燃えていた。
そして、カプサイシンは、丸二日間にわたって、僕を仕事人間に見せかけることに成功したのである。

※因みに妻はやかんで沸かしたお湯しか飲まない。

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2007年04月22日

今この世で一番コワイ男がいる漫画〜「カバチタレ!」

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最近ずっと「カバチタレ!」を読むのに夢中になっていた。むさぼるように読んでいたと言ってもいい。
最初、講談社漫画文庫シリーズの第2巻までを買って、云わば試し読みをしたのだが、たちまちぐいぐい引き込まれて読了し、その日のうちに本屋に続きを買いに行ったほどであった(もちろん、今では、発売されている単行本は全て読んでしまった)。

「カバチタレ!」は、原作を田島隆、作画を東風孝広がそれぞれ担当し、週間モーニングに2005年まで連載されていた。東風がアシスタントをしていた青木雄二が監修を務めているが、描かれている世界の空気感も絵柄も実によく似ている(彼等の描く漫画内世界の在り様が、僕にはあの「嗚呼!!花の応援団」のどおくまんを連想させるのだが、その関わりについては定かではない)。
とにかくすごい画である。まさかそんなこともないだろうが、定規を使っていないのではないかと思わせるくらいのフリーハンド感溢れるタッチ。そして広島弁丸出しの登場人物と下世話かつリアル過ぎるストーリー展開。「カバチタレ!」というタイトル自体が広島弁で「屁理屈屋」という意味で、大体が行政書士事務所に持ち込まれる「ひどい奴等にひどいことをされて困り果てているみじめな人達の悲惨な相談」がテーマなので、どうしたって上品になどなりようがないのである。

この漫画の主人公は、田村勝弘という青年であり、横暴な社長とのトラブルを解決して貰ったことがきっかけで、彼自らがその行政書士事務所で補助者として働くことになる、というのが物語の発端なのだが、その時彼を救い、当然後には彼のボスとなる行政書士事務所の所長・大野勇という男のキャラクターがとにかく渋い。
今この世で一番カッコいいと思う。そしてまた、今この世で一番コワイとも思う。
単純にデフォルメされた線と点だけのあんな目が、あれほどの凄味を持って読む者に迫って来るのは、本来の意味における「漫画の力」がこの作品にあるからに違いない。
また、「カバチタレ!」に登場する会社や喫茶店の名前が僕は大好きである。あまり大きな声で言えないようなものも多いけれど(だからあえてここには書かないけれど)、最高のセンスだ。

いよいよ行政書士資格を取った田村が、悩みながらも一人前の「カバチタレ」を目指す続編「特上カバチ カバチタレ!2」では、今、何と、田村が大野と対決するエピソードが展開中である。僕は週刊誌を読まないので、もう既に出ているはずの結果については判らない。
だから、ずっと手に汗を握ったままで、非常に困っている。

※最新刊第8巻は、一応明日(4月23日)発売予定となっているが、AMAZONでは未だ「予約受付中」状態。

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2007年04月21日

爽やかな青春映画〜「デート・ウィズ・ドリュー」

ブライアン・ハーズリンガーという若者が、クイズ番組で得た1,100ドルの賞金を元手に、「E.T.」の子役で最近では「チャーリーズ・エンジェル/フルスロットル」などでも有名なドリュー・バリモアとデートするためあの手この手でアタックする、というのが、ドキュメンタリー映画「デート・ウィズ・ドリュー」のあらましである。
ホントにこれだけ。
ここには、入り組んだプロットも、作品に深みを与えるようなエピソードも、一切ない。
ブライアンは仕事にあぶれており、当然ながら金にもゆとりがないから、撮影用のカメラも試用品で、「30日以内に目的(デート)を達成することが出来るかどうか」というこの映画の一応のサスペンスも、何のことはない、そのカメラの試用期間が30日間だということに由来しているのであった。

端的に言えば、さえない映画である。ゴージャスなことなど何ひとつ起こらない。だが、この貧弱な映画には、観る者の心を揺さぶる何かがある。
実は、「デート・ウィズ・ドリュー」は、「ロッキー」なのである。
「ロッキー」というのも不思議な映画で、完璧なフィクションでありながら、同時にまたシルヴェスター・スタローンという無名の若者の宣戦布告であり、かつ(無理矢理にこじつけて言えば)ドキュメンタリーでもあったのだ、と感じている。
もちろん、両者から受ける印象は全く異なる。深刻度と感動の種類も違う。
しかし、どうしても僕は、「ロッキー」からも「デート・ウィズ・ドリュー」からも、同じく起案した若者の人生の一部が滲み出る「私小説」の匂いを感じてしまうのである。

彼のチャーミングな笑顔、素直な性格、(男女を問わぬ)温かい友人関係に、何故だか心和んでいる自分を見つけてちょっと驚く。「宣戦布告」ではなくて「運だめし」なのも彼にはぴったりだ。
「デート・ウィズ・ドリュー」に続編は(まして「ファイナル」は)あり得ないだろうけれど、ひねくれ者でも思わず爽やかに涙腺を弛めてしまう、今時珍しいこんな青春映画を、是非たくさんの人に観て欲しいと思うのだ。

※秋田FORUS8階シネマパレにて、4月27日(金)まで上映(26日は、夜の部がないそうです)。
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2007年04月17日

チーム・アメリカ!? いや、BECK!

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暗転したステージでいきなり始まったのは、何とパペット・ショーだった。
「チーム・アメリカ!?」
「いや、BECK(のはず)だ!」
4月14日土曜日、ZEPP仙台、BECKのコンサートは、そのように幕を開けた。

舞台中央には「人形劇」用の舞台内舞台がしつらえてある。そして、それがそのままプロジェクターで背後の大きな画面に映し出される。
ロック・コンサートなどで、実際の演奏をそのままプロジェクターで映し出す、というのはよくある「手」である。大きな会場では、ほとんど豆粒にしか見えないスターを何とかして身近に感じられるように、という配慮もあるであろう。また、画像処理に凝って、アーティスティックな表現を目指す、という場合もあるであろう。
しかし、このBECKのコンサートにおけるプロジェクターの意味は何なのか。

演奏しているのは人形か? それとも人間か?
僕には段々判らなくなる。
というか、そもそも明らかに最初は、人形が演奏するオープニング・ナンバーに導かれるように人間が登場したのである。
そしてスクリーンの人形と人間とはやがてシンクロし始める。
今は確かに人間が演奏している。しかし、いつの間にか、僕はスクリーンに映し出されている人形を人間だと思い込んでしまっているのだ。

ここにあるのは、表面的には「笑い」であり「ユーモア」である。BECK並びにバンドのメンバーと全く同じファッションに身を包んだ人形は、確かに可愛い。実にしっかりと「演奏」もしている。立ち位置も換え、楽器も持ち替える。
だが、人形がついには「PUPPET CAM」を手に、実際に演奏している人間を追うに至って(そしてその画像がプロジェクターに映し出されるに至って)、僕の哄笑は約1/2ほど驚愕の叫びに変わる。
もはやこの人形には生命が宿っている。

「ユーモア」が「ナンセンス」に取って代わられ、玉ねぎの皮のように(あるいはマトリョーシカのように)際限なく脱ぎ捨てられて行く真実が僕に眩暈を起こさせる。
このショーは結構グロテスクだ。大笑い出来るし、演奏もカッコイイが、同時にまた、不条理劇のように観る者を不安に陥れる何かを隠し持っている。
まるで、マルクス兄弟の鏡のシークエンスである。
ああ、面白くて堪らない。

我輩はカモである我輩はカモである
グルーチョ・マルクス レオ・マッケリー ハーポ・マルクス

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2007年04月09日

おんぼろピアノ

NHKの「みんなのうた」に、「おんぼろピアノ」という曲があった。確か、「♪おんぼろぼろぼろぼろん おんぼろピアノ むかしシューベルトが ひいていたという♪」というような歌詞だった。
僕はこの歌が大好きだった。そして、この歌のメロディーを思い出す時、僕は何故か決まって冬の夜を頭に思い浮かべるのであった。

僕の家にも「おんぼろピアノ」がある。調律してももはや音が整わず、共鳴する和音の響きも、何となく場末の映画館のスピーカーから流れて来る幕間の音楽みたいに聞こえる。
僕の家、と言ったが、僕は妻の実家に住んでおり、だからこの「おんぼろピアノ」も、実際は妻の家のものである。
アップライトの蓋や天板の上には、壊れたメトロノームや楽譜、読みかけのまま忘れ去られた文庫本などが積み重ねられており、黒く鈍く光って、静かに居間の隅に佇んでいる。

さて僕は、自分が自分の趣味のためだけに小屋の改築や陶芸用設備の購入などを大金使って行っているのがちょっと後ろめたく、家族にも何とかしてお金を使って貰いたいものだ、とこの頃ずっと思っていた。そして、すぐに思いついたのがこのピアノの買い替えであった。
僕は、しょっちゅう、中古でいいからピアノを買え、買え、と妻にうるさく言っていたのだが、妻はあまり乗り気ではなかったから、先週の土曜日、僕の退職記念ということで妻と義母からごちそうになったイタリアン・レストラン「エッフェルーチェ」のテーブルを挟んで、僕はそのアイディアをついに義母にも提案してみたのであった。

義母の返事はシンプルであった。
あのピアノには思い出がある、と彼女は言った。
それは、僕が予想もしていない言葉であった。
しかし、それはまた同時に、僕が当然予想すべき答えでもあった。

僕はもうピアノの買い替えを口に出すことはないだろう。
僕は、あの「おんぼろピアノ」が、正しい音階やきれいに澄んだ音色と引き替えに、ある一家に与え続けて来た豊かな音楽というものに、その時やっと気付いたのである。
posted by og5 at 22:21| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年04月08日

いつもまず謝る人

第一印象が悪いと後で得だ、とよく言う。
強面の人がちょっと誰かに優しくしてやったりすると、あの人案外優しいのね、と評判がグンと上がったり、いかにものっそりした感じの奴が、実はすごく足が速くて、その一点のみなのに何故か急にカッコよく見え出したりする、というあれだ。
確かにそういうことはあるだろう。多分、落差がキーポイントなのである。
僕などは結構外面がいいから、後で内面を知られたりすると、これと全く逆パターンの落差が生じて大変具合の悪いことになったりする。

さて、僕には最近すごく腹の立つことがあった。ある生活用品(と言うか機械)を点検に出したら、前よりも悪くなって返って来たのである。当然クレームをつけたのだが、その時、僕は、謝られれば謝られるほどにますます腹の立って行く自分を発見していた。
そして、その理由は、相手がいつもまず謝る人だったからなのである。
その担当者は、普段から、何も悪くないのにまず「あ、申し訳ありません」と言う人であった。とにかく謝る。頻繁に謝る。暇さえあれば謝る。多分これはもはや言葉の癖のようになってしまっていて、本人も意識していないのかも知れないが、本当に無意味に「申し訳ありません」が多いのである。

今回も彼は謝った。しかし、僕の気分はどんどん悪くなって行った。僕には、彼が謝っているとは思えなかった。だって普段と同じだったから。彼にとって「申し訳ありません」が謝罪の言葉ではないことを、僕はよく知っていたから。
もし彼が普段横柄な態度を取る人間だったらどうだっただろうか。ひと言「申し訳ありません」と言うだけで、僕には充分過ぎるほどの謝罪と聞こえたかも知れない。いや、もしかしたら絶句だけで、僕の気は済んだかも知れないのだ。
まあ、僕はそんなに優しくないし、普段から横柄な態度だったらそもそもその会社を使わないとも思うのだが、のべつ幕なしに謝るのは考えものだ、という話である。
posted by og5 at 19:04| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

音楽は、時に自分で選択するもの

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「音楽は、時に自分で選択するものだ」などと言ったら、そんなこと当然ではないか、と笑われるであろうか。
確かに、人がCDショップで何枚かのCDをレジ・カウンターに差し出す時、それは彼あるいは彼女が選択したものであることに間違いはない。ラジオから、テレビから、誰かの曲が流れて来た時、それが気に入らなければ、人はチャンネルを替えてしまうことが出来る。また、同じように、気に入った曲が現れるまで、チャンネルを切り替え続けることも可能なわけであり、この場合もやはり音楽は(間違いなく)彼あるいは彼女に選択されているのである。
しかし、それは僕が今言おうとしている「選択」ではない。

僕が初めてキンクスの曲を耳にしたのは、みのもんたがDJを務めていた「オールジャパンPOP20」という番組だった。曲は「ローラ」である。
「ローラ」は、キンクスにとって「ユー・リアリー・ガット・ミー」以来の大ヒット曲ということになっているが、当時の僕が受けた印象はごく地味なものでしかなかった。ランクも確か20何位かそこらで、その頃の他のヒット曲とは明らかに異質なサウンドと相俟って、僕の食指は全く動かなかった。
そしてその数年後、僕が初めて買ったキンクスのレコードは「プリザベイション<第1幕>・<第2幕>」であった。このおそろしく聴きづらい壮大な失敗作を、僕は必死になって聴いた。「耳にした瞬間から虜になった」からではない。取っつきにくさを克服するために、そしてこれを何とかして好きになるために、必死になって聴いたのである。

初めてクラッシュの「白い暴動」を聴いた時も、それは僕には異質なものであった。遊びに来た友達に聴かせたら、「パンクって、歌下手くそなんだな」と言われた。
その友達と僕は、同級生だった中学の頃、一緒にフォークソングを作って歌っていた。正直に言えば、ジョー・ストラマーの歌は、僕にとってもやはり「下手くそ」だったのであり、決して親しみ易いと言えるような代物ではなかった。しかし、この時も僕は「白い暴動」を必死になって聴き続けた。

どうして僕は「「プリザベイション<第1幕>・<第2幕>」を、そして「白い暴動」を、あんなにむきになって、繰り返し繰り返し、意地になって聴いたのだろう。
僕は、それが僕の「選択」だったからなのだと思う。「好きだった」のではない。「好きになるべきだ」、と自分で決意したのだ。
「音楽は、時に自分で選択するものだ」とは、そういう意味である。
そして、残念ながら、僕は今そういう音楽を持てないでいる。

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2007年04月01日

時計じかけのうぐいす

今朝は統一地方選の選挙カーの音で目を覚ました。
そう言えば、昨日「ファースト・ディセント」の上映開始をワクワクしながら待っている最中にも、無遠慮にがなり立てる候補者の声に嫌な気分にさせられたな、と思い出した。
4月8日まで、これがずっと続くわけである。

そもそも、いわゆる地方選挙に、選挙カーを使ってがなりたてる選挙運動など必要なのだろうか、と思う。確かに、市長選あるいは県知事選などではそれにも一定の意味はあるだろう。これからこの人は我が故郷をいったいどのように舵取りして行こうとしているのか、あるいは、市政県政に山積された数々の課題をどのように位置づけ、そして解決して行こうと考えているのか、いや、そもそもやる気はあるのか、それらを成し遂げるだけの実力を備えているのか、等々。

しかし、県会議員(もしくは市会議員)である。失礼ながら、良かろうが悪かろうがタカが知れている。それに、一週間ばかりの選挙運動で、しかもその中のさらに限られた選挙カーによる内容もよく聞き取れないようなアピールで、その人のいったい何が判るというのだろうか。
投票には行く。投票には行くが、しかし、首長選以外の地方選挙における街頭選挙活動など、全くのナンセンスである、とやはり思うのだ。

まだ寝ぼけたままの僕の耳に、うぐいすの鳴き声が飛び込んで来た。
遠くでは選挙カーの「よろしくお願いします」、窓の外では「ホーホケキョ」。
妻が、「うぐいす嬢にうぐいすか・・・」と朝一番からちょっと上手いことを言った。
posted by og5 at 19:37| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

猫ワクチンと新生活と電気窯

毎年この季節になると、猫にワクチン注射を打って貰うために動物病院まで行く。5種混合で6千円もする注射だ。しかし、元々体の弱い捨て猫だった「きゃんこ」には、出来るだけ長生きして欲しいと思っているから、これだけはかかさず毎年きちんと受けさせている。
ほんの子猫だった顔の潰れた名無しと暮らし始めて、早17年である。

さて、昨日は僕一人で「きゃんこ」を病院に連れて行ったのだが、その途中で何台も引っ越し用のトラックを見た。道の片側に大きな車体を寄せて、銀色に光る後部のトビラを大きく観音開きにしている。カンガルーやペリカンやクロネコや0123が、たくさんの新しい生活を、それぞれの場所へと運び去って行く。
そうか、そういう季節なのである。

そう言えば、僕にとっても妻にとっても昨日は特別な日だった。
僕は会社を退職した。すぐにまた同系列の地域会社に再雇用されるというシステムではあるけれど、退職は退職である。
妻は5年間勤めた職場から異動となった。運転免許を持っていない妻を、その片道20分程の距離にある場所まで僕はよく送り迎えしたものだ。今思えばあれもまたひとつの楽しみだったのであり、僕はその楽しみをもはや失ってしまったのである(やれやれ)。

そして、午後には、大きなトラックが我が家に「電気窯」を届けにやって来た。

改造した物置小屋の約半分を、僕は陶芸用の作業スペースとした。玉座に座った「電気窯」も、満足そうに作業台や電動ろくろを眺めている。
「きゃんこ」は、予防注射の精神的ダメージからか、益々いじけたようにストーブの前で不貞寝をし続けている。
生まれてから今まで絶対に見たことなどないに違いない陶芸用「電気窯」を見て、このアホ猫はいったいどんな顔をするのであろうか。
posted by og5 at 16:15| Comment(8) | TrackBack(0) | 雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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