2007年06月28日

ドクダミの花

ドクダミは印象が悪い。
多分、名前が悪いのだ。
濁音が二つも入っている。
しかも、「ドク」に「ダミ」だ。
「ドク」からはそのままストレートに「毒」を、「ダミ」からは赤塚不二夫の「おそ松くん」でデカパンが「ショエ〜、ダミだす」と表現する「駄目」、あるいは青空球児あたりの「ダミ声」の「ダミ」を連想する(ゲロゲーロ、ゲロゲーロ)。
デカパンは作品中でドクダミのお茶を飲ませられて、確かそのものずばり、「ドクはダミだす」と言うのであった。

ドクダミは、生命力が強い。
印象が悪いのに生命力が強いとどういうことになるかというと、つまり「邪魔で邪魔でしょうがない」ということになる。
確かに、ドクダミは勝手に庭に生える。そして、どんどん繁殖する。あたり一帯に特有の臭気が漂い、鼻がちょっと曲がる。
以前、地植えしたミントがいつの間にやらドクダミと異種結合し、何とドクダミ臭を放つようになってしまうということがあって、我が家では、これを「ドクダミント事件」と呼んでいる。

しかし、実はドクダミは「毒」ではなくて、「解毒」効果を持った薬草なのである。ベトナム国あたりでは香草として扱われているというし、日本でも天麩羅の材料として使われることもあるのだという。
薬になるのは知っていたが、まさか天麩羅の具になるとは思ってもみなかった。
知らなかったといえば、あの白い花のように見える部分も実は花ではなく、蕾を包んでいた「苞」という葉なのだそうだ(本当の花は苞に囲まれた黄色い部分とのこと。この段の情報は全てWikipediaの記事より)。

妻が、僕の作ったやきものに「ドクダミの花」を飾った。
僕には、雑草を排除するという気持ちが元々(全く)ない。
どちらかというと、花屋で売っている立派な花よりも、タンポポやヒナギク、シロツメクサなどの野草の方が好きなのである。
こうして見ると、ドクダミちゃんもなかなか可愛いではないか。

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2007年06月24日

トラの威を借る・・・

野良猫には、互いに相手を無視し合い、無用の争いを回避する習性があるという。
例えば、住宅街の家と家の間のブロック塀の上で、見知らぬノラとノラが出くわしたとする。喧嘩になるか。いつもいつもうちのアホ猫のしょうもない行動様式ばかり見ている僕は、当然大喧嘩になると予測する。しかし、予想に反して、ノラとノラは、どちらからともなく目をそらし、あらぬ方を何となく見たりして、実にあっさりと互いをやり過ごしてしまうそうなのである。

しかるに、飼い猫はどうか。
いや、うちのアホ猫はどうか。

うちのアホは臆病である。最近では外に長時間いるということもなくなってしまった。家の前の駐車場では、近所の猫達が、まるで我が家の庭ででもあるかのように、安心し切った弛緩した表情で、毛繕いをしたり、うたた寝をしたりしている。「領主」は、それをただ遠目にびくびくと眺めるだけである。
しかし、そこに僕がたまたま通りかかったとしよう。うちの猫は、急に強気になる。加勢するなどとひと言だって言ってないのに、いきなり立ち上がると、やおら闖入者を追いかけ始めたりするのである。
見ていて本当に恥ずかしくなる。呆れ果てた豹変振りだ。正に、トラの威を借るキツネとはこのことだ(猫だけど)。

ペットは飼い主に似るという。だから、多分、飼い猫が馬鹿なのは飼い主が馬鹿だからなのである。うちの猫が馬鹿だということは、つまり僕が馬鹿だということだ。
確かに、僕は、知らん振りをすればいいのにそれが出来ず、勝手に不得意分野に鼻面を突っ込んでは憤慨するということを繰り返している。気に喰わない相手のことが気になってしょうがない。わざわざ腹を立てに「癪の種」のいる「ブロック塀」に近付いたりする。
そのくせ臆病だ。被害妄想も激しいし、また嫉妬深くもある。
アホ猫と、同じではないか。

「トラの威」が現れないのは、僕にとって決して不幸なことではないのだなあ、とつくづく思う。
きっと、大変なことになりますよ。
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2007年06月22日

ヒューマンビエラ

パナソニックのプラズマテレビ「viera」のCMを見て驚いた。
画面いっぱいに神田川俊郎の顔がどアップで映し出される。いつもとは髪型が違う。長髪で、耳にアクセサリーまでぶら下げている。
しかし、長髪で耳飾りをつけているのは当たり前で、神田川だと思ったのは、実は小雪だったのである。
絶対に親戚だと思うな。
     ↓
松下電器のCMギャラリー
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風邪−床に寝る

木曜日、出勤途中で中通病院に行き、結局2時過ぎに家に帰って来た。
会社は休んだ。
診察時間よりも待ち時間の方が長かったのだが、僕は少しぐったりしており、ト一屋で買った遅い昼ご飯を食べ終わる頃には、猛烈に眠くなっていた。
二階の寝室は、いつもなら全く気にならないのに、熱気が澱んで堪え難く、僕は猫のように涼しい場所を求めて廊下に這い出した。
階段の手前、トイレのドアと一段目の手摺りの間の、縦1メートル横2メートル程の隙間に、まるで対角線のように身体を横たえて、僕は目をつむった。
後頭部の真ん中と腰と左右の踵、そして両ひじに固い床を感じる。そんなに涼しいわけではない。でも、微かに空気が動いている。閉じた目蓋に午後の光が何か像を結ぼうとしていた。
車のエンジン音。ドアの閉まる音。ざわざわと揺れる木々。子供の叫び声。遠ざかって行くサイレン。誰かの声。誰かの声。飛行機。新しい家の建つ音。また、車のエンジン。そして、ずっと聞こえている町のざわめき。
それは、僕の身体を流れる血液のように、楢山登町やその近辺を流れる、生きている人や物の発する、整合など取れていないけれど不思議に調和したひとつのサウンドだった。
時々、痛む脚や腕の位置を変えながら、僕は眠った。
固い床に背中をつけて、僕は、家全体と繋がっていた。そして、町全体と繋がっていた。
その時、僕は僕でなく、家だった。あるいは町だった。
昼にこんなに寝られるものなのかと思うくらい寝て、起きた。
僕は、ほんの少しばかり自由になっていた。
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2007年06月19日

余剰なもの、連想

家の風呂の適温お知らせアラームは、ちょっと気に障る。
「ぴー、ぴー、ぴー、ぴー、ぴー、ぴー、ぴー」と、七回に亘って鳴るのだが、いつも「まだ鳴るのかいッ」と心の中で悪態をついてしまうのだ。
思い出しながら自分でピーピー言ってみると、七回という回数がそんなに過剰であるとも思えない。三回では少な過ぎる気がするし、五回も何だか中途半端だ。
でも、気に障るのである。
長渕剛を思い出してしまうのかも知れない。

中学生の頃、好きで観ていたテレビ番組に「遠山の金さん」がある。
松方弘樹や杉良太郎ではなくて中村梅之助の金さんで、正式には「遠山の金さん捕物帳」というのがその番組名であった。
そして、この主題歌が何とも過剰だったのである。
「♪気前が良くて二枚目で ちょいとヤクザな遠山桜〜♪」という歌の、この「ざくらぁ〜」の「〜」が、僕の記憶が正しければ、実に12四分音符分延々と続くのである。
この主題歌は結構癖になった。

春から「まるまるちびまる子ちゃん」という番組をテレビでやっていて、このドラマともバラエティともつかない番組の中では、よくゲストを交えたゲーム大会が行われる。
先週も、いったい誰のための番組なのか疑問に思いながら山本リンダの「狙いうち」のメロディに乗せてウララウララとダラダラ繰り広げられるしりとり歌合戦を見ていたのだが、その繰り返しがあまりにも無意味にしつこかったので、僕はふとあることに気付いてしまったのである。
「狙いうち」ってサラリン錠のCMソングにそっくりだ。
そういえば、アニメのちびまる子ちゃんでは今、大塚製薬のオロナイン軟膏のCMを流しているのだけれど、サラリン錠もまた大塚製薬の製品(便秘薬)なのであった。

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2007年06月11日

喪失の物語〜「パリ、ジュテーム」より

「パリ、ジュテーム」の、「妻に別れを切り出そうとしたが逆に不治の病を告白されて別れられなくなってしまう男の話」を、時々思い出す。思い出して、あれが本当に5分あまり(あるいは5分足らず)の作品だったのか、と驚く。

妻に白血病であることを告白された男は、結局死に行く妻を看取ることになる。だが、彼はそうして妻に寄り添う夫を演じながら、彼女に二度目の恋をする。
大嫌いだった妻の料理と鼻歌、いらない物でも捨てられない性格、そして赤いコート。
街角で赤いコートの女を見かける度に、男はそこに妻の幻を求める。
予告編の時から強く印象に残っていた、街路沿いの鉄の格子をパランパランと右手の指先で触れながらあちら側に歩いて行く赤いコートの後ろ姿が、もう永遠に失われてしまったものであることを、僕達は知る。
これは、喪失の物語である。
そして、この喪失は、そうなるためにわざわざ追い求められた喪失なのである。

人は合理的には生きられない。
結局悲しい思いをしなくちゃならないなら、最初から会わなければよかったじゃないか、というのは「星の王子さま」のキツネの台詞だっただろうか。
男の心にぽっかりと空いた、決して二度と塞がれることのない深い穴を、いったいどう言いあらわせばいいのだろう。
そこにある種の甘美を感じると言えば、お前には人生経験が足りないのだ、と笑われるだけかも知れないが。

※これは、映画のノベライズらしいです。
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2007年06月10日

「ジブラルタ生命」の
看板を見ると
いつも心の中で
そっと
くっつけてみる

posted by og5 at 17:15| Comment(4) | TrackBack(0) | 人間けだもの | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

「頭部の兄弟」と「語り尽くせない」話

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「ブラザーズ・オブ・ザ・ヘッド」は、実にカッコよかった。70年代のパンク・ロックが好きな人には堪らない映画だろう。音楽だけではない。映像も、何と言うのだろう、とにかく「そそる」のである。
曲調がそうだ、というわけでもないのだが、僕は映画を観ながらずっとセックス・ピストルズのことを連想していた。「結合体双生児」の兄弟トムとバリーはピストルズのジョニー・ロットンとシド・ヴィシャスの結合したイメージなのだ、という逸話もあるらしく、なるほどと頷かせられる。性格とか生い立ちではなく、「商売」にされて行く過程、そのアンバランス、見ている外界の悪夢のような感覚等々が、アメリカ公演で野次られ、モノを投げつけられて、ステージ上、何も映っていない目を麻痺したように見開くロットンを、どうしようもなく僕に思い出させるのだ。
結合体双生児の物語ではあるが、これはやはり「内なる何者か」の物語であろう。バリーの頭部の腫瘍に宿る三人目の兄弟が、ザ・フーの「四重人格」を想い起こさせる。そういえば、ケン・ラッセルは、ロック・オペラ「トミー」の監督でもあった。
トムがバリーの耳元で何事か囁く時、それはおそらく、バリーの「頭部の兄弟」に対する密やかな信号となって、バリーの鼓膜から脳へとつながる微かな空気を静かに静かに震わせるのである。

「しゃべれどもしゃべれども」は、(変な言い方かもしれないが)驕り高ぶったところの全然ない映画だった。シネマパレにしては観客の年齢層も非常に高く、なるほど映画が人を選ぶのである。
下町の路地の様子が(江戸っ子なんかじゃありゃしない僕にとっても)懐かしかったし、三つ葉(国分太一)とその師匠(伊東四朗)が近所の人達と交わす挨拶の調子も実に気持ちよかった。
映画だが、これは「語り口調」がいい感じなのだ、と僕はそう思う。理屈じゃなくて、何かがじんわりと伝わる。普通の人に普通に届く映画だ。
国分太一の「火焔太鼓」がとてもよかった。僕は落語通ではないから、「ふん、あんなもの」と思う人がいても返す言葉もないが、二つ目が初めて何かを掴んだ瞬間、という意味における映画の中で表現される落語としては文句なく素晴らしかったのではないか。
この人は左利きのはずだが、右手で箸を使ってちゃんと蕎麦を食べていた。
こんなところも、僕には非常に好感が持てるのである。

昨日今日とまた2本の映画を観た。
予告編を観ると、「明日、君がいない」だの、「ボラット」だの、「リンガー!」だの、「歌謡曲だよ、人生は」だの、本当に観たいものばかりで困ってしまう。
もうすぐ夏が来るな。

※どちらの作品も、FORUS秋田8Fシネマパレにて(6月15日まで?)上映中です。

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全員元気です。

先月あたりで春の修学旅行シーズンは終わってしまったのだろうか。
そういえば、最近「修学旅行のCM」を全然見なくなったな、とふと思う。
「修学旅行のCM」というのは、「何々中学校の修学旅行団は、本日の日程を無事終了して、全員元気で宿舎に向かっております」という、云わば安否情報のようなもので、たいていはその「修学旅行団」の地元にある、何とか商店だとか、何とか美容室だとかが、スポンサーになっている。
このスポットCMは、秋田特有のものだ、と以前何かで読むか何処かで聞くかしたような気がするのだけれど、本当にそうなのかどうかは判らない。

ところで、このCMに僕はずっとある「嘘」を感じていた。これを目にすると、「それにしたって、中には具合の悪くなる生徒も、怪我をする生徒もいるだろうに・・・」とついつい思ってしまうのだ。
いつもいつも「全員元気」なわけがない。
「2組の横山君は、バスに酔って具合が悪くなり、夕食を食べることが出来ませんでした。その他の生徒は全員元気です」とか、「E組の武田君は、土産物店で万引きをして補導され、ひとり強制送還されました。その他の生徒は全員元気で宝塚歌劇を楽しんでいます」とか、実際には、常にそんな感じになってしまうはずなのである。

まあ、それでは世間が上手く回らないだろうことも理解は出来る。
「いろはに中学校の修学旅行団は、一部の生徒を除いてほぼ全員元気です」とテレビでわざわざ不安感を醸し出す必要性もないわけだし。

修学旅行生は、やっぱり常に「全員元気」でなくてはならないのである。

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タグ:修学旅行
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2007年06月05日

鼻をかむ私

アレルギー性鼻炎になったのがいつからだったのかは思い出せない。
しかし、いつからか、僕はほぼ一年中鼻をグズグズいわせるようになっており、検査の結果によれば、それは杉花粉はもちろん、ヨモギ、ブタクサ、ハウスダストから猫の抜け毛に至るまで、ほとんど余すところなくあらゆるジャンルのアレルゲンというものにのべつまくなく反応する、実に付き合いのよい大迷惑なアレルギーなのであった。

僕が鼻をかむのにハンカチを使うようになったのは、ほんの偶然からだった。
ある時、仕事中に、アレルギーのクシャミの発作が起こってどうしようもなくなった。最初は机の上に常備しているティッシュ・ペーパーの箱から、次から次へと紙を取り出しては鼻をかんでいたのだが、ついにティッシュの箱が空になった。それでもクシャミは出る。クシャミが出れば鼻水も出る。まさか手鼻をかむわけにもいかず、僕は咄嗟にポケットからハンカチを取り出して鼻と口を押さえた。

ハンカチで鼻をかむというのは、日本ではあまりポピュラーではないけれど、欧米ではごく一般的なことなのだと思う。そして、実際にハンカチで鼻をかんでみると、これが実に合理的なのだ。
まず、何度でも再使用可能であるということ。そして、鼻が赤くなるということがまずないということ。
ティッシュというものは案外ガサガサしているので、アレルギーがひどい日には、あっと言う間に鼻及び鼻の下が真っ赤っかになってしまうものだが、ハンカチで鼻をかんでいる分にはそんな心配はまず不要なのである。

今世間では「ハンカチ王子」だの「ハニカミ王子」だのと大騒ぎしているが、考えてみれば僕なんかとっくの昔に「ハンカチ王子」であると同時に「ハナカミ王子」でもあったわけである。
まあ、「王子」じゃないけどね(と、ちょっとはにかむ)。
posted by og5 at 22:19| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年06月03日

先週観た三本の映画について

先週の木曜日、急に思い立って会社を早退し、TOHOシネタウンに向かった。
「リーピング」を観るためである。「イナゴ少女」という惹句が、ずっと気になっていたのだ。
「reaping」というのは、「収穫」という意味。「報い」という意味合いもあるようだが、映画としては至極真っ当な「キリスト教の流れを汲む邪教絡みホラー」であった。
確かにイナゴの大群は画面を覆い尽くすが、そしてそれは一人の少女の強い力によって惹き起こされる事象ではあるが、別に彼女が「イナゴ少女」だというわけではなかった。
面白かったけれど、少し物足りない。
主演がヒラリー・スワンクではなく、誰かもっと全然無名の女優だったらよかったのかも知れない。

昨日は映画のはしごをした。
まず朝一番で、松本人志初監督作品の「大日本人」。
初日第1回目なので、混んでいるかな、と(混雑した映画館が不得意な僕は)ちょっと嫌な気がしていたのだが、余計な心配だった。
僕はこの映画を、ヌーベル・バーグなのではないか、と感じている。
連想したのはゴダールの「アワーミュージック」で、しかも「大日本人」からは、ちゃんと「アワー=日本人」の音楽が聴こえて来た。
この人の、いつも少しやり過ぎるサディスティックな感覚は好きになれないし、ではこれは傑作かと問われれば肯定も出来ないのであるが、北野武映画みたいだったらどうしよう、という不安が杞憂に終わったことだけは確かなのであった。

夕方からは「パリ、ジュテーム」を観た。
18人の監督が、パリの様々な街角を舞台に様々な人生を切り取ったオムニバス。
こういう映画は話によって好き嫌いのバラつきがあって難しい。僕には、クリストファー・ドイルのパートは時間の無駄としか思えなかったし、また、ガス・ヴァン・サントの作品も、画面から嫌な臭いを感じてしまって、好きになれなかった。
僕が特に好きだったのは、妻に別れを切り出そうとしたが逆に不治の病を告白されて別れられなくなってしまう男の話と、オスカー・ワイルドの墓を訪れた若いカップルの話、そして腹を刺されて死に行く男と救急隊員の女の話。
そうそう、イライジャ・ウッドの出るヴァンパイアの話もよかったし、眼鏡をかけたちんちくりんな子供が語る(ずっとパントマイムをしている)父と母の話も大好きだ。それに、もちろん、デンバーから憧れのパリにやって来た郵便配達員キャロルが語る「人生の機微」は別格・・・。
それにしても、クリストファー・ドイルの部分さえなければ、とどうしても思ってしまう僕はこだわり過ぎなのだろうか。
だから、オムニバスは(オムニバスを観るのは)難しい。
posted by og5 at 21:34| Comment(9) | TrackBack(6) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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