2008年06月15日

「心意気映画」の良作〜「ハンティング・パーティ」

ハンティング・パーティ (扶桑社ミステリー (シ24-1))ハンティング・パーティ (扶桑社ミステリー (シ24-1))
リチャード・シェパード

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「ハンティング・パーティ」のアプローチの仕方をとても好ましいと思った。
例えば、あれをシリアスにシリアスに、まるでドキュメンタリーのように作り上げることもひとつの選択肢だっただろう。また、いっそ社会情勢を単なる枠組みとして利用して、ひたすら娯楽性のみを追及することも可能であったはずだ。
しかし、「ハンティング・パーティ」はそのどちらでもない更に別の道を選んだ。その心意気は、クラッシュの「アイ・フォート・ザ・ロウ」をエンディング曲のひとつとしてチョイスしたことに端的に顕れている。公式HPの具合が何だかよくなくて確かめることも出来ないが、クラッシュではない誰かの歌うこの曲の大意を書き出せば、要するに「僕は法と戦い、そして敗れた」ということで、その心は、「LONDON CALLING/ザ・ライフ・オブ・ジョー・ストラマー」の感想にも書いたけれども、「人は負けるようには作られていない。人は殺されるかも知れない、けれど負けはしない」というヘミングウェイの言葉に集約される。
実際に命を賭してサラエボに取材した4名のジャーナリスト達が、リチャード・ギア演じるサイモンの盟友として出演しているのも、そういう意図を快く理解したからなのだろうと推察する。
彼等は、決して「勝つこと」のみにこだわっているのではない。

内容的には全然関係ないのだが、僕はついつい「相棒」のことを思い出す。水谷豊主演、和泉聖治監督の大ヒット作。全体的には悪くなかったこの映画のことを、僕はその政治的無神経さ故にどうしても好きになれなかった。
マスコミに踊らされて「善意の人」を責め立てる大衆を「相棒」は批判しているが、絶妙に焦点をずらして事実と虚構を混同するように観客を誘導し、正当に「自己責任」を求めることそれ自体をさも悪しきこと、謂れのないバッシングであるかのように印象付ける「相棒」の根底に流れる「主張」こそ、僕にとっては恐ろしい「権力」である。その「正義」が、日本映画にしては珍しいほどきちんとエンタテインメントであったこの作品を、根底から楽しめないものに貶めてしまっているのだ。
それに比して、「ハンティング・パーティ」の何と奥ゆかしいことか。
それは、彼等が決して大衆を導こうなどとしていないからだ。俺達はこのように行動するのだ、とそう言っているに過ぎない。負けるかもしれないけれど、いや、多分負けてしまうに違いないけれども自分達はこうするのだ、という宣言。
「ハンティング・パーティ」は、このように理解しなければおそらく「駄目」な映画だろう。
まあ、「駄目」でもいいのだ。それでも、全く構わない。
僕は、愛情を込めて「ハンティング・パーティ」を「心意気映画」の良作と呼ぼう。

※FORUS秋田8階シネマパレにて、6月20日(金)まで上映。
(1)13:30〜 (2)16:00〜 (3)19:00〜
posted by og5 at 19:47| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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