2008年06月22日

つぐなえないことを描く〜「つぐない」

映画「つぐない」オリジナル・サウンドトラック映画「つぐない」オリジナル・サウンドトラック
ジャン=イヴ・ティボーデ イギリス室内管弦楽団

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映画「つぐない」の原題は「atonement」である。これを英和辞典で引くと「償い;(キリスト教の)贖罪」と出て来るから、何となくそのまんまズバリの邦題であるような気もするのだが、あのキーラ・ナイトレイを前面に押し出したポスター、平仮名表記された文字から受けるイメージが、実際に映画を観て丸一日経った今思っている自分自身の印象と全く相容れないのもまた事実なのである。
更に「贖罪」をgooの国語辞典で調べれば、「(1)金品を出したり、善行を積んだりして、犯した罪をつぐなうこと。また、刑罰を免れること。(2)キリスト教で、人々の罪をあがない、人類を救うために、イエス-キリストが十字架にかかったとする教義。和解。」とある。
そこで僕は考える。映画「つぐない」はそのような映画ではないだろう、と。「つぐない」は、むしろ償っても償い切れないこと、償い切れないことそのものを描いた映画であるだろう、と思うのである。
償うことを描くのか、償おうとする人を描くのか、あるいはどのようにしても償えないことを描くのか。目に見えることは、もしかしたら同じかも知れない。しかし、その「意味」はあまりにも違う。

ブライオニーの、本来は美徳であるはずの潔癖さと幼いジェラシーが痛々しい。物語の後半に突然挿入される彼女とロビーの水辺のシーンは、そしてそこでブライオニーからロビーに告げられる「あなたは命の恩人です」というひと言は、もう決してやり直すことの出来ない決定的な過ちを、改めて観る者に意識させずにはおかない。
また、18歳のブライオニーが訪れたセシーリアとロビーのアパート。そこで彼女に求められる「何故」はあまりにも辛い。
おそらく初めて恋心を抱いた人と、美しい姉と、その両者に対して一時に背負わなければならなくなってしまった罪を、ブライオニーは一生かかえて生きるのだ。彼女はどうにかしてその罪を償おうとする。しかし、それは決して償い切れるものではない。
金品を出したり、善行を積んだりしても、その罪は消えない。刑罰は最初から彼女の身に降りかかってはいない。そして、それこそが彼女への罰というもので、「和解」は決して訪れないのだ。

「第二章」とでも言うべき第二次世界大戦のシーンが僕は好きである。やっとの想いで辿り着いたダンケルクの海岸で、僕の目はロビーの目になる。
ああ、そう言えば同じように、僕の目はブライオニーの目となってロビーとセシーリアを追いかけていたのではなかったか。
タイプライターの音、自在に操られる時と意識。
「つぐない」という「意味」以上に、実はこの映画には映画的魅力が溢れている。
ラベル:つぐない
posted by og5 at 22:13| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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