2008年07月25日

あるいは永遠に楽園を失う話〜「ミスター・ロンリー」

ミスター・ロンリーミスター・ロンリー
ディエゴ・ルナ, サマンサ・モートン, ドニ・ラヴァン, ヴェルナー・ヘルツォーク, ハーモニー・コリン

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映画「ミスター・ロンリー」は、「同じような枠組みなのに異なる結末を持つエピソード」を繰り返す。
僕はもちろん空飛ぶシスター達のことを言っている。そして、売れない物まね芸人達のユートピアのことを。
羊の群れが彼等の相似形として存在していることもまた、僕には明らかであるように思われる。
例えば、「Mister Lonely」「Beat It」「Thriller」「You Are Not Alone」と歌のタイトルで区切られた各章は、そのまま直截的に4コマ漫画の「起承転結」のようなものであろう。その「起承転結」の中で、空飛ぶシスターとマイケル・ジャクソンが、同じようでいて決して同じにはならない物語を演じるのだ。

そこにはあるパターンが存在する。まず「選ばれたひとり」がある状態に陥る。それは「奇跡」かも知れないし(公式HPの中でもこの点は何ら伏せられていないのであえて書くが)絶望による自殺かも知れない。これらを(確実に死に至るウィルスへの感染を含め)「生贄」ととらえることも可能だが、いずれにせよ、最初はとにかく「ひとり」でなければならないのだ。
そして羊は、空飛ぶシスターとマイケル・ジャクソンをひとひねりした環で結ぶ。すなわち、悲劇的な始まりで物まね芸人達と、同様に悲劇的な結末で修道女達と、それぞれ密かに手をつなぐのである。
羊によって結び付けられた両者の始まりと終わりは、全く逆の方向を示している。それはまた、幸福と哀しみが実は全く矛盾しないひとつの事柄でしかないのだという寓意でもあろうか。

ここで僕は、物まね芸人達(とりわけマイケル・ジャクソン)にとっての「始まり」が、やっと最後になって訪れることに気付く。「起承転結」の「転〜結(選ばれたひとりの死)」は実は新たな「起」の提示なのだと考えるのは、あまりにも楽観的に過ぎるだろうか。
しかし、僕は決して楽観しているのではない。新たな「起」は、混沌としている。ある意味、彼(昨日までマイケル・ジャクソンだった男)は、その時永遠に楽園を失い、同時に初めて「人間」になったのだから。

僕達は(そして彼等は)全て、粗末なブルーの衣を激しくはためかせながら永遠に堕ちて行く空飛ぶシスターではないのか。笑いながら、自転車にまたがって、誰かと手をつないで、あるいは祈りながら。
おそらく、ここには全てが晒されている。
posted by og5 at 18:01| Comment(2) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
なんつぅかぁ〜かなりヤバイ感じなんすけどぉ〜
自分的にはBEST OF やばぁ〜な感じっすねぇ〜〜  by DAIGO

ボキャ不足のDAIGO同様、私もogのように理路整然と感想できないのです。
ただ言えることはやっぱりこの監督が発するモヤモヤにいつもやられてしますのです。
楽園という虚構で生きても、現実の自分の姿で生きても確かだと実感できるものなんて何ひとつとしてないのかもしれません。ただそれが絶望ではなくて、だからこそ模索しながら生きていくんだよ。そんな感じでしょうか?
はじめの頃のシーンに老人ホーム訪問がありましたよね?エキストラにしても演技じゃないだろうの子供かえりしたような老人たちの姿に胸があつくなりました。そして楽園にむかう前、すみなれた部屋に別れを告げるシーン・・・
「さよなら、僕に世界をみせてくれた窓・・・」
決して大きいとはいえない窓から、彼がみていた世界はどんな風景を描いていたのだろうと考えています。
Posted by Fuming at 2008年07月26日 09:35
>Fuming

あの老人ホームのシーンもすごかったねえ。
tomoskaは怖い怖いと言うのですが、僕はあの空飛ぶシスター達をまた見たいです。
というか、ずっと見ていたいというくらい惹かれているのですが・・・。
Posted by og5 at 2008年07月28日 20:50
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