2008年08月04日

「これでいいのだ!」と言うキム・ギドクの「ブレス」

ハンソン刑務所に収監されている死刑囚チャン・ジンは、何度も何度も自殺を繰り返す。それをニュースで知ったヨンは、何故か強烈なシンパシーに囚われ、身内でもないのに足繁く刑務所を訪ねる。
しかし、彼女は本来であればチャンに面会する権利など持たない「赤の他人」でしかない。昔の恋人だと偽るが、誰もそれを本気で信じたわけではない。
では、何故に彼女はチャンに面会することが出来たのか。

ハンソン刑務所には、謎の「保安課長」が登場する。「保安課長」は、何の権利もないヨンを刑務所内に招き入れる。面会室における破天荒な行動を、ほぼことごとく黙認する。しかし、「ちょうどよい塩梅で」面会終了のブザーを鳴らす。時にはヨンと一緒に歌を口ずさみ、踊っていることさえある。自由に監視カメラ(視点)を切り替え、それは時に刑務所の外で雪遊びに興ずる父と子にまでズーム・インする。これは正に「監督」という存在そのものではないのか。

これらから察せられるように、ハンソン刑務所がもしキム・ギドクの内面だとすれば、ヨンは何か。夫の浮気に結婚生活あるいは人生の意味すら見失っってしまった彼女を自らの内面(ハンソン刑務所)に受け入れるということはいかなることなのか。
ヨンは、自分の人生を再現する。歌と壁紙で春夏秋と、絵が好きだったこと、臨死体験、夫との出逢いを振り返る。実はこれは復活の儀式であり、だからこそ冬には舞台装置たる壁紙が存在しない。冬は現在だからだ。そして、冬の歌は、刑務所からどんどん遠ざかって行く時に、夫との二重唱で共有されるのだ。

では、残されたキム・ギドクはどうするのだ。
チャン・ジンはもはやひとりの人格ではないだろう。妻と二人の子供を自ら殺害した男は、キム・ギドク自身だ。だが、同時に、そのチャンにストーカー的恋慕の情を寄せる若い囚人もまたキム・ギドク自身である。牢獄の壁に女の裸体を彫る男も、僕には未だ理解は出来ないがもうひとりの髭の男も、間違いなくキム・ギドクその人なのである。

キム・ギドクは今牢獄にいる。少なくとも、牢獄に例えられる何かを、キム・ギドクは今身内に抱え込んでいる。しかし、その牢獄を、ただ自身の再生のために利用しただけにしか見えないヨンを(そして実際その通りなのだが、その身勝手な女ヨンを)、この映画監督は心から愛しているように見える。
春の歌が「ボン・ボン・ボン・ボン〜」と歌い出されることに、僕は今運命を感じている。
そうだ。今確信したけれど、この映画は本当に「これでいいのだ!」と言っているのだ。
ラベル:キム・ギドク
posted by og5 at 21:12| Comment(1) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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Posted by きよみ at 2008年08月04日 22:04
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