2008年08月30日

後ろめたいオリンピック

北京オリンピックが終了して早くも一週間が経とうとしている。
政治とスポーツは別であり区別して考えるべきだ、とか、いや近代オリンピックというものがそもそも政治と切り離すことの出来ない性質を持ったものなのだ、とか、様々な議論が戦わされたが、終わってみれば見事にチベット問題も毒ギョーザも、四川大地震さえもが綺麗さっぱり忘れ去られている(ように、少なくとも僕には見える)。

政治とスポーツを分けて考えるべきであるなら、オリンピックが無事終わった今こそ、人はチベット問題を改めて問わねばならないであろう。しかし、現実がそうなっていないことは明らかである。
そこには、2種類のグループがある。まずひとつは、元々チベットの人権問題等諸問題について深く考えてなんかいなかった人々。そしてもうひとつが、様々な政治的もしくは人道的問題の存在を認識し憂慮していながら、それでもあえて「政スポ分離」を唱えた(もしくは選択した)人々である。
前者は、その「無自覚」故に(自分達ではそれこそ全く未だ無関心であるが故に何も感じていないことをも含め、逞しくはあるが)後ろめたい存在だと定義され得るであろう。だが、後者は、その「自覚」故に、より一層後ろめたい。彼等は「楽しんでしまった」(そして、もし今何もしないなら元々政治とスポーツはオリンピックにおいて一体であったと自ら証明しているも同然なのではないか、と薄々気付き始めているはずの)人々だからである。

かの国におけるスポーツの祭典の成功は、かの国の政治(外交)の成功なのだから、人はもはやかの国を無条件では非難出来ないであろう。
「楽しんでしまった」後何もしない、とはそういうことである。
もちろん、僕もまた中途半端に「楽しんでしまった」中のひとりなのだが・・・。
posted by og5 at 14:10| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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