2008年09月25日

父親を巡る物語〜「ぐるりのこと。」

「ぐるりのこと。」では、3様の父性が描かれる。第一にカナオ(リリー・フランキー)の自殺してしまった父である。第二に、法廷画家を始めたカナオがそこで出会うベテラン記者・安田(柄本明)である。そして、第三が、妻子をおいて遁走した(プロ野球選手でもあった)妻・翔子(木村多江)の父である。

カナオの父と安田は、それぞれ「逃げた父」、「逃げない父」と言い換えることが出来るかも知れない。カナオが、(亡くしてしまった)我が子に素直な愛情を示せなかったのも、カレーの会における(珍しく感情を露わにした)憤りも、この「逃げた父」の影響だ。
それに引きかえ、安田は逃げない。むしろ、こだわり続ける。安田は子供を交通事故で亡くしており、それが未だに彼の行動あるいは生活の(ある意味)足枷ともなっている。彼は、問い続ける(そして、とらわれ続ける)。「逃げない」とは、つまりそういうことでもある。

翔子の父もまた「逃げた父」である。しかし、後に明らかになるように、それは彼自身の身勝手による出奔というよりも、妻(倍賞美津子)の心的逃走の隠れ蓑としての距離的擬似逃走であった。
彼は、翔子に付き合って、名古屋にいる義父に会いに行く。そして、画用紙にその似顔絵を描く。法廷画家である彼は、日常的に人の顔あるいはその表情を描くことを生業としているわけだが、プライベートにおいては、おそらく彼自身が何らかのシンパシーを強く感じたもの(人)しか描いてはいないはずである。子供、義父、そして翔子・・・。
つまり、翔子の父は、カナオにとってある種触媒のような存在となったのである。

いずれにせよ、このようにして「逃げた父」の中にある事情を理解してしまった彼は、自らの父をも(単純に)ただ憎み拒否し続けるということが出来なくなってしまった。
「ぐるりのこと。」は翔子の心の旅を太い縦糸にしてはいるけれど、実はカナオの父探しの物語でもあったのだ、と思う。
再びカレンダーに×印をつけ始めたこの夫婦に子供が授かるのか(カナオ自身が父親になる機会が訪れるのかどうか)は判らないけれど・・・。
posted by og5 at 21:29| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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