2006年03月26日

可哀想な犬

野良犬は可哀想である。
犬は愛情に飢えている。一人では生きていけない。そんな犬が飼い主を持たず、町をさ迷い歩いているなど、あまりにも憐れで正視に堪えない。
確かに、今では野良犬を見かけることなど滅多になくなってしまった。今たまに見かける野良犬は、首輪をつけリードを引き摺っていたりする。だから、あれは本当は野良犬ではなくて、迷い犬と呼ぶべきなのかも知れない。そして、迷い犬は野良犬よりもっと可哀想である。
野良犬は、もしかしたら生まれた時から野良犬だったかも知れない。しかし、迷い犬は確実に人の愛情を知っている。迷い犬は、失ってしまった愛の心地良さを知っている。耳の後ろを撫でる飼い主の手の撫で癖を知っている。迷い犬は、失ってしまった犬なのだ。

飼い犬もまた可哀想である。
愛されたことのない飼い犬が犬小屋から顔を出し、虚ろな目で青く晴れた空をぼんやりと見ている。散歩になど、もうどれくらい連れて行ってもらってないだろう。彼は飼われた当初から愛されていなかったかも知れないし、またかつては愛されていたが飽きられてしまっただけなのかも知れない。人間の何分の一しか生きられないというのに、何と遠い記憶だろう。
彼等には、少なくとも生だけは保証されている。だが、人にとって愛のない食事が餌であるならば、犬にとって愛のない餌は一体何だろう。愛されたことのない飼い犬は、この世に名前さえない悲しいモノを食べている。

犬は可哀想である。
そして、それは実は、ご主人様に深く愛されている飼い犬にしてもまた同様だ。
人に飼われ、その愛情を一身に集めている犬は、まるで麻薬中毒患者のようではないか。彼等は、愛を下さい愛を下さいと上目遣いに訴えかける。ハアハアと荒い息をして、涎の垂れる口からピンクの舌をダラリとぶら下げて、何でもしますから、お願いですから愛を下さいと恨めしそうに哀願する。
何故そんなに卑屈に愛を求めるのか。
彼等が哀しいのは、多分、愛を求めてやまないからである。愛を求めそれを手中に収めてももっと欲しい。また欲しい。手が届かないとなれば尚更だ。
橋の上から、川面に映る自らの姿を見て、その口にくわえた肉欲しさにワンと吠えて元も子も失くしてしまう。
それが、犬なのだ。

※ああ、可哀想で可哀想で堪らない。
      ↓
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posted by og5 at 12:40| 秋田 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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