2006年04月09日

いちみこちゃんといもぼうや

姉が二人いる。僕は引っ込み思案だったので、幼い頃にはいつもこの二人の姉(特に下の方)の後をくっついて歩いていた。だから、遊びも男の子の遊びよりも女の子の遊びである毬つきやお手玉の方に馴染みが深い。

最近古谷三敏の「寄席芸人伝」を読み返しているのだが、あるエピソードの中に文明開化の頃の手毬唄が出て来た。こういった遊び唄というものは、地域や時代によってその内容が全く異なったりするものなのだろう。また、そもそも古谷の創作であったという可能性だってある。だからそのせいなのか、その手毬唄自体は僕には全く馴染みのないものだったのだが、何となく、自分が昔聞いた秋田の手毬唄(遊び唄)をふと思い出してしまったのである。

一つは「いちみこちゃん」。これはきっと子供の名前で、だから「いちみ子ちゃん」と書くべきなのかも知れない。二番になると「にいみこちゃん」となり、三番になると「さんみこちゃん」となった。確か「いちみこちゃん お山を越えて ハイキング♪」というような歌詞だったはずであるが、あまり自信はない。
「いちみこちゃん」というのは、一体誰なのか。何故あの頃の子供は、こんな変な名前に誰一人として疑問を抱かなかったのか。数え唄のような構成だったように思えるのだが、「よんみこちゃん」以降があったかどうかさえ実は憶えてはいないのだ。

もう一つは「いもぼうや」。これまた訳の判らない唄である。「いもぼうや 帰ろうよ もうそろそろ3時頃 お家では 母さまが おいもをふかして 待っている♪」・・・。
「いもぼうや」とは一体何者なのか。この「いもぼうや」に「もう帰ろうよ」と言っているのは「いもぼうや」の兄なのかはたまた弟なのか。でも、ああ、でも、僕はこの「いもぼうや」の顔を知っている。着ていた服も思い出した。それは首周りだけ白い毛糸で編まれたえび茶色のセーターで、そして「いもぼうや」はいつも濃紺の半ズボンをはいているのだ。
これに二番以降があったかどうかも(「いちみこちゃん」の場合と同じように)思い出すことが出来ない。僕は毬つきも下手くそで、この一番でさえまともに最後まで毬をつき切ることは出来なかったのだ。

こうして思い出しているうちに、これらの唄が果たして本当に毬つき唄だったのか、それとも実はなわとびの際に歌われる唄だったのかさえ僕の中では不確かになって来る。それ程に僕の記憶は曖昧だ。ただ、今からおよそ四十年前に、僕は「いちみこちゃん」や「いもぼうや」と確かに遊んでいたのだ。つまり、彼等はそこにいた。僕の姉と、姉の友達と、そして僕と一緒に。
一つだけ言えるのは、彼等がもうこの世にはいないということである。「いちみこちゃん」も「いもぼうや」も何処かに消えてしまった。
小学校の卒業アルバムにも載っていない。

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posted by og5 at 22:43| 秋田 ☀| Comment(1) | TrackBack(0) | 記憶 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
その歌知っています。家では「芋坊や」ではなく「猫坊や」でした。なぜ猫のお母さんがお芋を付加しているのか分かりませんでしたが、類似のわらべ歌で採譜されているもに「でこ(凸)坊や」というのがあります。後半がかなり違うのですが、曲は同じです。
古い記事なのでもうお読みにならないかもしれませんが、懐かしくて書き込みました。ちなみに青森県です。
Posted by 通りすがり at 2016年08月05日 22:09
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