2007年09月24日

第2のビートルズ

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ザ・ビートルズ

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「第2のビートルズ」という言い方があった。
今でもあるのかどうかは知らない。音楽雑誌を全く読まなくなってしまったからだ。
50年代がプレスリーの時代だったのに対し、60年代をビートルズの時代だという。異論もあろうが、まあ、そういうことになっている。
では、70年代は、というのが「第2のビートルズ」のそもそもの語源である。
バッド・フィンガー、デビッド・ボウイ、ベイ・シティ・ローラーズ、僕の記憶が正しければアバまでもが確かそう呼ばれていた。

結局、「第2のビートルズ」は現れなかった。
それは、当然の話である。
候補として名の上がったアーティストやミュージシャンに魅力が足りなかったとか、力不足だったとか、そんなことではない(いや、実際の話は置いておいて)。彼等に何かが足りなければ「第2〜」に成り得ないのと同じように、仮にビートルズ以上の才能と運に恵まれていたとしたら、それはそれでまた彼らを誰も「第2の〜」とは呼べないのである。
つまり、元々「第2の〜」には意味がないのだ。

しかし、それでも人は、ひと頃「第2のビートルズ」にこだわった。あるいは今でも求めている人はいるのかも知れない。何故だろう。
これは僕の想像だが、それは彼等が抱く欠落感のせいではないだろうか。
今現在、生まれて初めての音楽無我夢中期を送っている少年少女は、間違っても「第2の」何かなど求めたりしないだろう。彼等には多分何もかにもが「第1の」何かであろう。
「第2の」何かを求めるのは、僕達が「第1の」何かを知っており、そこから素晴らしく充実した何物かを受けとったが、しかし今は既にそれを失ってしまったからなのではないか。

音楽ではないが、僕はこのことからウディ・アレンの「アニー・ホール」の1シーンを思い出す。
それは、アニーを失った後の主人公が、ロブスターを茹でている際、ふざけても何の反応も示さない新しい恋人について、何かが違う、と愚痴るシーンであった。
もう詳しくは憶えていないが、それは、やっぱり彼女でなければならないというある「感じ」について語った言葉で、つまり彼にとってアニーは「第1の」ではなく、ただひとりの特別な女性だったのであり、「第2の」アニーなどそもそもこの世に存在しないということなのである。
それでも、人は多分求め続けるのであるけれど。
アニー・ホールアニー・ホール
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posted by og5 at 16:32| Comment(0) | TrackBack(0) | 音楽 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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