2008年04月20日

青春の残像

また「デス・プルーフ」のことである。
最初はノリノリの後半にばかり目が行ってしまっていたが、後に前半のセンチメンタリズムに気付かされ、その奥行きの深さに感動した、というようなことを以前書いた()。

<スタントマン・マイクの、バタフライ=アーリーンに対する残酷な指摘。まだ来ぬ恋人にメールを送るジャングル・ジュリアの純情。雨に濡れて光る脚。女の友情。女だけの週末。「その」直前、ラジオから流れる「デイヴ・ディー、ドジー・ビーキー、ミック&ティッチ(&ピート)」の曲に合わせてドラムを叩く真似をするシャナ。隣であきれたように笑っているアーリーン。
そして、結末。>

実は、僕は最近、あの前半最後のシーンを頻繁に思い出している。
そして、その度に泣きたくなる。

これもやはり自分のブログ記事からの引用になるが、「明日、君がいない」の<最後まで本当に確かな理由など一切明らかにされず文字通り血の海の中で死んでゆく「誰か」と強烈なコントラストを作って、彼等(死ななかった高校生達)の「生」が輝く。>の「輝き」とはまた違った「輝き」がここにはある()。
「明日、君がいない」のそれがあくまでも生きている者達(残された者達)の「特権」であったのに対し、「デス・プルーフ」において、それは実は、他の誰のものでもない、ジャングル・ジュリアの、アーリーンの、そして(地味な地味な)シャナの、絶対的に個人的な永遠の「宝石」なのである。

これは「青春の残像」だ。
そして、それが僕の心のドアを、まるで記憶にかけられた呪いででもあるかのように、繰り返し繰り返しノックするのだ。
posted by og5 at 16:12| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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