2007年08月23日

「『朝青龍問題』問題」を考える

マトリョーシカというロシアの入れ子人形がある。
民族衣装を着た女の子の木製人形を胴の部分で二つに割ると、また中に同じような人形が入っていて、それがどんどん繰り返されて人形が次第に小さくなって行く、という仕掛けだ。
ロンドンへの新婚旅行の途中、トランジットで立ち寄ったモスクワ空港で、買おうとしたがあまりにも高価で諦めたという記憶がある。

さて、「『朝青龍問題』問題」である。
何故「朝青龍問題」ではなく、「『朝青龍問題』問題」かと言うと、これが実はマトリョーシカのように入れ子になっているのではないか、と思うからである。
横綱にあるまじき行為があったので処分を受けた。本来はそれだけの話だ。
(多分、一部の人達を除き)誰も記者会見など求めていないし、今更親方の指示に従うことを以て反省していると見做すなどという者もいないし、医者が誰でなければならないとこだわっている者もいないのである。
みんなでわざと事を複雑にしようとしているとしか思えない。
まるで、カフカの小説である。

「大相撲マトリョーシカ」では、北の湖理事長を二つに割ると高砂親方が入っていて、高砂親方を二つに割ると朝青龍が入っている。朝青龍を二つに割ると、いったい何が出て来るのか。
内館牧子が出て来たら、それはそれで結構(ヴィジュアル的に)面白い、と思う。

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2007年08月17日

悲しみの宇宙飛行士

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もう半年以上も前のニュースなのに、何故か心を離れない。
スペース・シャトルにも搭乗したことのある女性宇宙飛行士が、勝手に恋敵と思い込んだ相手を襲い、誘拐未遂罪(後には第一級殺人未遂罪)で起訴されたという、あの事件である。

米航空宇宙局の女性宇宙飛行士だったリサ・ノワクは、スペース・シャトルの男性操縦士に恋をするが、彼と空軍基地に勤務する女性士官が恋愛関係にあると勝手に思い込んで、車で乗り付けたフロリダ州中部の空港で待ち伏せし、逃げる相手女性にスプレーを噴射した。
自宅から1500キロも離れた空港に車で向かった彼女は、時間のロスをふせぐためか、何とオムツまで着用しており、逮捕時、かつらやトレンチコートで変装していた彼女の車の中からは、空気銃、ハンマー、そしてナイフなどの凶器まで見つかったという。
彼女は現役宇宙飛行士であり、そして3児の母でもあった。

僕は、このニュースを一篇の悲しい詩のようだ、と思う。
特に、彼女が2005年、NASAのインタビューに応え、宇宙飛行士を目指した動機について、「5歳のときに見た(アポロ11号の)月面着陸に感動したから」と語っていた、というエピソードを知ってから、ますますその想いを強くした。
もちろん、罪は罪である。何の落ち度もない相手に危害を加えようとした被告は、厳しく(そして正しく)裁かれなければならない。
だが、人間は法だけでは割り切れない、不可思議としか言いようがない「心」というものを持っている。
この事件は、僕のそのしょうもない「心」の琴線に何故か触れるのである。

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2007年07月30日

パブロフの猿

妻には内緒だけれど、僕は出っ歯の女の人を見ると、ついつい「ああ、美人だなあ」と思ってしまう。これは間違いなくマザー・コンプレックスのひとつの顕現で、僕の母親がやはり少し出っ歯だったのである。
ミス・ワールド・グランプリに輝いたアメリカお墨付きの美女を、誰もがため息ついて見とれるなんて幻想で、人にはそれぞれのタイプってものがあるのだ。

また、僕は妻と知り合ってからというもの、学術的に妻と同じような「目(もく)」に分類されると思われるタイプの女性を見ると、理由もないのに勝手に好感を抱いてしまう、という癖(へき)を身に着けてしまった。
ちなみに、妻は出っ歯ではない。
人にはそれぞれのタイプってものがあり、しかもそれはひとつとは限らないということだ。

「パブロフの犬」は唾液の分泌量の実験であったが、「時計じかけのオレンジ」で主人公アレックス(マルカム・マクダウェル)が彼の大好きなベートーヴェンをBGMに拷問を受けて残虐性を封じ込められる、というシーンにもそれはつながるだろう。
「洗脳」から醒めること、すなわち残虐性を取り戻すことが、アレックスにとっての人間性回復であったが、僕達はこのパラドックスをどう捉えればいいのだろう。

恋愛感情における思い込み(好み)は、「洗脳」ではなく「刷り込み」というべきかも知れない。
卵から孵った雛が、「最初に目にした動くもの」を母親だと思い込むことを「インプリンティング=刷り込み」と呼ぶが、僕はこれは恋愛にも当てはまるのではないか、と思っている。
恋愛の「刷り込み」の便利なところは、「洗脳」や雛の「刷り込み」とは違い、「綴じ込み」が可能なことである。
まあ、時々ページがばらけて、訳が判らなくなってしまうことがありますけどね。

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2007年07月29日

洗面台でつかまえて

数年前買い換えた我が家の洗面台には、排水口部分に「ヘアーキャッチャー」という仕組みがついている。洗顔・洗髪時などに落ちた髪の毛をそこで受け止め、排水溝に流れ込むのを未然に防止しているのである。
これがなければどうなるのか。抜けた髪の毛で排水溝が詰まり下水が逆流するのか。と、問われても明確な返答は出来ない。
多分、大丈夫である。
大丈夫ではあるが、垂れ流しにするよりは多少は環境にいい、くらいの「気分」はする。

ところで、僕はここ1週間の間に3回ばかりこの「ヘアーキャッチャー」の始末をした。
髪の毛とはいえ、一箇所に集まれば当然徐々に水の流れを遮るようになるから、ある周期で掃除をしてやらなければならない。歯磨きの後など、「ヘアーキャッチャー」のせいで流れない水の澱みを見ていると、かなり苛立つ。
そんなに面倒な作業ではないから、さっさとしてしまえばいいのに、とも思うのだが、たいていすぐには掃除をしない。ごまかして済むならその方がいい、と何故か思ってしまう。
そんな僕が、1週間の間に3回も掃除をした。そして僕はそれを不合理だと思っている。

僕は別に「掃除をした」ということ自体に不合理を感じているわけではない。気付いた誰かがやればいいことであり、僕が「次にしよう」と思った直後に、妻あるいは義母が掃除をやってくれているということも数え切れないほどあるだろう。
僕に納得がいかないのは、「ヘアーキャッチャー」には僕の毛がほとんど引っかかっていない、という事実なのだ。
僕の抜け毛は細く短い。間違いなく、それは「ヘアーキャッチャー」のプラスティック製フィルターの規格を外れている。

僕の頭をあまり相手にしていない洗面台の掃除を立て続けにやらなくてはならなかった・・・。
僕は、そのことに、「叶えられない愛」みたいなちょっとやるせない不合理を感じているのである。
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2007年07月20日

愛しのアレルゲン

水曜日、仕事帰りにかかりつけの医者に寄った。
アレルギー性鼻炎の薬がなくなったのと、前回受けていたアレルゲンの再検査結果を確認するためである。
結果は、スギ花粉以外に陽性反応を示すアレルゲンはなかった、という実に意外なものであった。

僕は、年がら年中鼻をグズグズいわせている。目も痒い。かなりの頻度でそれは痛みに変わる。
これまで僕は、スギ花粉のアレルギーだという人達を心密かに羨ましいと思っていた。どんなにひどくてもそれが季節限定ならいいじゃないか、と・・・。
何故なら僕は、以前通っていた耳鼻咽喉科で、スギ花粉はもちろん、イネ科の植物、雑草、ハウスダスト等々、ほとんどあらゆる種類のアレルゲンに反応する鼻粘膜の保持者だと宣告されていたのである。
意外な結果、というのはそういう意味だ。

医師の説明では、この異なる結果は検査方法の違いによるものではないか、ということであった。
今回は採取した血液によって行われるアトピー鑑別試験(ファディアトープ)という検査だったが、20年近く前に僕が受けたのは、腕に何種類かのアレルゲンを植え付けて反応をチェックする、という方法だった。しかし、これだと、検査に使用する針や薬品自体に抗体が反応してしまう場合があり、正確な結果を得られないことも多い、というのである。

もちろん、今回も全てのアレルゲンをチェック出来たわけではない。
判りきったことだ、と動物の上皮・皮屑については、対象絞り込みの段階で外してしまった。
僕は猫を飼っており、たとえそれがアレルゲンだと判明したところで対応のしようがないので、最初から番外としたのである。
しかし、ではスギ花粉シーズン以外の長い長い期間、僕はいったい何に反応して、ああも苦しまなければならないというのか。

全てはこいつのせいだったのである。
     ↓
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2007年07月19日

エゴバッグ対レジ袋、レフレジレイター組 第一回戦

どこぞのブランドがエコバッグを売り出したら客が殺到してしまい世界中でとんでもない大騒ぎになっている、というニュースを見た。
罵り合ったり、押し合いへし合いしたり、買ったバッグを何倍もの値段でオークションに出したり。誰かが、これじゃ「エコバッグ」じゃなくて「エゴバッグ」だ、なんて皮肉を言っていたけれど、あまりにその通りで笑うに笑えなかった。

確かに、レジ袋有料化や、買い物袋持参の客にはスタンプ・カードを発行していっぱいになったら商品割引、なんてことをあちこちでやるようになったのは実感していて、ゴミ袋に便利なんだよなあ、などと一向にレジ袋を貰うことを止めようとしない自分に若干の後ろめたさ感じている今日この頃ではあるのだ。
しかし、では日頃のゴミは何に入れて収集日を待てばいいのだろう、などと考える。また、レジ袋を作ってる工場の人はそれじゃあ困るだろうに、などといらないお節介、というか屁理屈をこね回したりする。
僕は、今のところ、世間の「反レジ袋」運動に少しばかり乗り遅れている。

僕は鍵っ子の小学生だったので、夕ご飯のおかずの買い物などもよくした(毎日ほとんど鯖)。竹だかビニールだかで編んだ買い物カゴひとつ持って、僕は毎日のように近所の八百屋や魚屋にでかけた。
そのカゴは、そんなに大きなものではなかった。だから一度に買える食材の量も知れているのだが、それでも困ったという記憶が僕にはない。
しかし、今の世の中ではあのカゴは通用しないだろう。普段、毎土曜日、買い物に出かける度に、レジ袋大を二つも三つもぶら下げて帰宅する僕は、極々自然にそう思う。

多分、毎日その日分の食材だけを買うのであれば、「カゴ」でもいいのである。
しかし、今では何処の家にも立派な冷蔵庫があり、みんな必死でその大容量の体積を埋めようと(だいたい一週間に一度きりの割合で)競争している。
まず、冷蔵庫にモノを詰め込む生活を改めなければ、レジ袋を必要としない生活など無理なのではないか。これは、得意の屁理屈でも何でもなく、僕の本心でありまたおそらくは正論でもある。
エコバッグもいいけれど、冷蔵庫の便利さを殺す覚悟が、果たして僕達にはあるのだろうか。

※全く関係ないのだが、記事タイトルにアルバム名を拝借したので・・・。
          ↓
ローラ対パワーマン、マネーゴーランド組 第一回戦ローラ対パワーマン、マネーゴーランド組 第一回戦
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2007年07月18日

パジャマラマ

中学生くらいの頃、テレビでこっそり観る「プレイガール」だの「37階の男」だのいう番組では、女の人はよくネグリジェというものを着ていたものである。
しかし、今時ネグリジェを着ている人なんてこの世にいるのだろうか。
「おネグリ」は、もはや絶対的に時代遅れである。
多分。

パジャマを着て一日中過ごしていたい、と思う。
日曜日、昼近くなってからベッドを脱け出し、着替えもせず、そのままパジャマ姿で「笑点」が始まるまでのんべんだらりと世間から離れていられたらどんなにか幸せであろう。
実際それに近い休日を過ごすこともあるし、その気になればおそらく僕には毎週でもそのように時間を浪費することが可能なのだ。
多くの日曜日、それでも僕がそのように時を過ごさないのは、やはり何かもったいないような、そんな気がしてしまうからなのだが、これは貧乏性というよりは神様に対するアリバイ工作のようなものであろう、と思っている。

そういえば、ブームタウン・ラッツのキーボード奏者は、パジャマ姿がトレード・マークだった。
彼は多分、朝起きてパジャマから着替え、ステージに立つ際またパジャマに着替え、ステージを終えてからパジャマを脱いで帰宅し、寝るに際してまた再びパジャマを着るという生活を、何年か(実にご苦労なことに)ほとんど毎日のように繰り返していたのである。
想像するだけで不眠症になりそうではないか。

今ではもう全く使われることもなくなってしまったけれど、人から着ているものを褒められた時謙遜して言う言葉に「ほんの寝巻きです」というのがあった。
「素敵なパジャマですね」と褒められた時、ではどう言えばいいのだろう。

今ふと思ったのだが、ネグリジェはクラゲに似ている。
渥美マリからの連想かも知れない。
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2007年07月13日

コラ、ハタケヤマ

道を歩いていたら、今まで経験したことのない強い口調で突然呼び止められてびっくりした。が、実はそれは勘違いで、僕のすぐ斜め後ろを歩いている彼は、別に僕を呼び止めたわけではなかった。
「コラ、ハタケヤマ!」と彼は声を荒げている。
携帯で誰かと言い争いをしているのか、と僕は思った。相手は多分「ハタケヤマ」なのだが、僕がそっと、何気ない風を装って後ろを振り返ると、彼の手はビニールの透明傘とコンビニのポリ袋で両方ともふさがっていた。
「ハンズフリー」という言葉が一瞬脳裏をよぎったけれど、僕はそれを即座に自分の心の中のゴミ箱に放り込んだ。
彼は、歩きながら、ずっと一人で誰かと話している、ただそれだけなのであった。

喧嘩の相手は、今や明白に「ハタケヤマ」である。それも、今ここにはいない「ハタケヤマ」だ。しかし、彼にはもちろん「ハタケヤマ」が見えている。
どうやら「ハタケヤマ」は時折反論さえしているらしい。
すると彼は、また急に興奮し始める。
せっかく少し冷静になりかけていた彼に、この期に及んで「ハタケヤマ」はいったい何を言ってしまったのだろう。
いや、そもそも「ハタケヤマ」は何をしでかしたのか。
男なのか、女なのか。
若いのか、あるいはある程度の年配者なのか。
口ぶりからすると、「ハタケヤマ」はその若い彼の更に後輩であるのかも知れない。しかし、時々「イイトシヲシテ」とか、「シメシガツカナイ」とか、変にハードルの高いことを言われたりもしている。

しばらく僕と一緒に歩いた後で、僕の家に向かうT字路を右には曲がらずに、彼は「ハタケヤマ」と一緒に、相変わらず「コラ、ハタケヤマ」などと言いながら真っ直ぐ向こうに歩いて行ってしまった。
話は堂々巡りをしているらしい。
「ハタケヤマ」もいい加減謝ってしまえばいいのに、と僕はついつい呟いた。
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2007年07月04日

待合室

病院の待合室は面白い。
色んな人がいる。

じっと見ていると、医者にも、技師にも、看護師にも、結構変わった人は多いが、何と言っても一番面白いのは患者、あるいはその家族である。
いったい何処でこんな服を買って来たのだろう、と思わずにはいられないような服装をした人達がたくさんいる。何ともへんてこりんな靴(やサンダル)を履いている人も多い。
しかし、彼等は自然だ。病院の廊下を、自分の家の庭のように歩いている。

時には、見るからに柄の悪そうなあんちゃんが、彼のお祖母ちゃんと思しき老女の乗った車椅子の背中を押しながら、病院で知り合いになったらしい数人の老人達と挨拶を交わすなどという、僕の日常には普段全くあり得ない光景に出くわし、嬉しいようないたたまれないような変な気分になることもある。
車のついた小型の旅行バッグみたいなものから延びた長いチューブを鼻に差し、そのバッグの取っ手を引っ張ってゆらゆらと歩いて来た痩せた男と、おそらくその妻だと思われる中年女が長椅子の端っこに肩寄せ合うように座るのを見て、わけもなく泣きそうになってしまうなどということも、またある。

病院だから、具合の悪そうな人が多い。だから、元気だと場違いな感じがする。
看護師は、ちょくちょく場違いである。
そうでもしないと、やっていられないのかも知れないが。

自分の名前が呼ばれるのを待ちながら、ある者はずっと喉をゴロゴロと鳴らしている。またある者はプルプルと震え続けている。
名前は呼ばれないのかも知れない。
病院は面白いが、同時に寂しい。
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2007年07月01日

爪を切る日

僕は日曜日に爪を切る。風呂から上がって、というパターンが一番多い。
他の日には爪は切らない(切りたくない)。
そして、これは手の爪限定の話である。

週末には、ちょっとした瞬間に、例えば頬を掻いたとか掌を握ったとかした瞬間に、爪が自分の顔や手の皮膚にひどくとげとげしく感じられる時もある。だが、だからといって、金曜や土曜に爪を切ろうとは思わない。日曜まで我慢する。
いつからなのか定かではないが、これが習慣である。

しかし、時には(年に1〜2回あるかないかではあるけれど)日曜に爪を切るのを忘れてしまうこともある。
そしてそのことに思い至るのが週の半ばだったりすると、本当に困ってしまう。
問題は、では次にいつ切るか、だ。

こんな時、僕は二週間がかりで日常を取り戻す。
次に爪を切るのを、ほんの一日二日先延ばしにするのだ。
一週目には、だから金曜日あたりに、いつもより少しばかり長く伸びた爪を切る。
そしてまた一週間、非日常を過ごす。
次の金曜には、爪は既に肌に痛い。
しかし、ここで僕は、もう一度だけあえて鬱陶しいイリーガルな週末を我慢して、やっとのことで心地良いいつものスケジュールを取り戻す。

そんなに曜日にこだわるのなら、短かろうが最初の週末にとっとと切ってしまえばいいのに、というのが大方の人の考えることであろう。
しかし、僕には、まだ短い状態の爪を切ることが、日曜以外の曜日に爪を切るということ以上に抵抗があるのである。

僕は日曜日に爪を切る。
まだ短い爪は切りたくない。
また、足の爪はこの限りではない。
多分、理由なんかないのだ。
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2007年06月28日

ドクダミの花

ドクダミは印象が悪い。
多分、名前が悪いのだ。
濁音が二つも入っている。
しかも、「ドク」に「ダミ」だ。
「ドク」からはそのままストレートに「毒」を、「ダミ」からは赤塚不二夫の「おそ松くん」でデカパンが「ショエ〜、ダミだす」と表現する「駄目」、あるいは青空球児あたりの「ダミ声」の「ダミ」を連想する(ゲロゲーロ、ゲロゲーロ)。
デカパンは作品中でドクダミのお茶を飲ませられて、確かそのものずばり、「ドクはダミだす」と言うのであった。

ドクダミは、生命力が強い。
印象が悪いのに生命力が強いとどういうことになるかというと、つまり「邪魔で邪魔でしょうがない」ということになる。
確かに、ドクダミは勝手に庭に生える。そして、どんどん繁殖する。あたり一帯に特有の臭気が漂い、鼻がちょっと曲がる。
以前、地植えしたミントがいつの間にやらドクダミと異種結合し、何とドクダミ臭を放つようになってしまうということがあって、我が家では、これを「ドクダミント事件」と呼んでいる。

しかし、実はドクダミは「毒」ではなくて、「解毒」効果を持った薬草なのである。ベトナム国あたりでは香草として扱われているというし、日本でも天麩羅の材料として使われることもあるのだという。
薬になるのは知っていたが、まさか天麩羅の具になるとは思ってもみなかった。
知らなかったといえば、あの白い花のように見える部分も実は花ではなく、蕾を包んでいた「苞」という葉なのだそうだ(本当の花は苞に囲まれた黄色い部分とのこと。この段の情報は全てWikipediaの記事より)。

妻が、僕の作ったやきものに「ドクダミの花」を飾った。
僕には、雑草を排除するという気持ちが元々(全く)ない。
どちらかというと、花屋で売っている立派な花よりも、タンポポやヒナギク、シロツメクサなどの野草の方が好きなのである。
こうして見ると、ドクダミちゃんもなかなか可愛いではないか。

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2007年06月24日

トラの威を借る・・・

野良猫には、互いに相手を無視し合い、無用の争いを回避する習性があるという。
例えば、住宅街の家と家の間のブロック塀の上で、見知らぬノラとノラが出くわしたとする。喧嘩になるか。いつもいつもうちのアホ猫のしょうもない行動様式ばかり見ている僕は、当然大喧嘩になると予測する。しかし、予想に反して、ノラとノラは、どちらからともなく目をそらし、あらぬ方を何となく見たりして、実にあっさりと互いをやり過ごしてしまうそうなのである。

しかるに、飼い猫はどうか。
いや、うちのアホ猫はどうか。

うちのアホは臆病である。最近では外に長時間いるということもなくなってしまった。家の前の駐車場では、近所の猫達が、まるで我が家の庭ででもあるかのように、安心し切った弛緩した表情で、毛繕いをしたり、うたた寝をしたりしている。「領主」は、それをただ遠目にびくびくと眺めるだけである。
しかし、そこに僕がたまたま通りかかったとしよう。うちの猫は、急に強気になる。加勢するなどとひと言だって言ってないのに、いきなり立ち上がると、やおら闖入者を追いかけ始めたりするのである。
見ていて本当に恥ずかしくなる。呆れ果てた豹変振りだ。正に、トラの威を借るキツネとはこのことだ(猫だけど)。

ペットは飼い主に似るという。だから、多分、飼い猫が馬鹿なのは飼い主が馬鹿だからなのである。うちの猫が馬鹿だということは、つまり僕が馬鹿だということだ。
確かに、僕は、知らん振りをすればいいのにそれが出来ず、勝手に不得意分野に鼻面を突っ込んでは憤慨するということを繰り返している。気に喰わない相手のことが気になってしょうがない。わざわざ腹を立てに「癪の種」のいる「ブロック塀」に近付いたりする。
そのくせ臆病だ。被害妄想も激しいし、また嫉妬深くもある。
アホ猫と、同じではないか。

「トラの威」が現れないのは、僕にとって決して不幸なことではないのだなあ、とつくづく思う。
きっと、大変なことになりますよ。
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2007年06月22日

風邪−床に寝る

木曜日、出勤途中で中通病院に行き、結局2時過ぎに家に帰って来た。
会社は休んだ。
診察時間よりも待ち時間の方が長かったのだが、僕は少しぐったりしており、ト一屋で買った遅い昼ご飯を食べ終わる頃には、猛烈に眠くなっていた。
二階の寝室は、いつもなら全く気にならないのに、熱気が澱んで堪え難く、僕は猫のように涼しい場所を求めて廊下に這い出した。
階段の手前、トイレのドアと一段目の手摺りの間の、縦1メートル横2メートル程の隙間に、まるで対角線のように身体を横たえて、僕は目をつむった。
後頭部の真ん中と腰と左右の踵、そして両ひじに固い床を感じる。そんなに涼しいわけではない。でも、微かに空気が動いている。閉じた目蓋に午後の光が何か像を結ぼうとしていた。
車のエンジン音。ドアの閉まる音。ざわざわと揺れる木々。子供の叫び声。遠ざかって行くサイレン。誰かの声。誰かの声。飛行機。新しい家の建つ音。また、車のエンジン。そして、ずっと聞こえている町のざわめき。
それは、僕の身体を流れる血液のように、楢山登町やその近辺を流れる、生きている人や物の発する、整合など取れていないけれど不思議に調和したひとつのサウンドだった。
時々、痛む脚や腕の位置を変えながら、僕は眠った。
固い床に背中をつけて、僕は、家全体と繋がっていた。そして、町全体と繋がっていた。
その時、僕は僕でなく、家だった。あるいは町だった。
昼にこんなに寝られるものなのかと思うくらい寝て、起きた。
僕は、ほんの少しばかり自由になっていた。
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2007年06月10日

全員元気です。

先月あたりで春の修学旅行シーズンは終わってしまったのだろうか。
そういえば、最近「修学旅行のCM」を全然見なくなったな、とふと思う。
「修学旅行のCM」というのは、「何々中学校の修学旅行団は、本日の日程を無事終了して、全員元気で宿舎に向かっております」という、云わば安否情報のようなもので、たいていはその「修学旅行団」の地元にある、何とか商店だとか、何とか美容室だとかが、スポンサーになっている。
このスポットCMは、秋田特有のものだ、と以前何かで読むか何処かで聞くかしたような気がするのだけれど、本当にそうなのかどうかは判らない。

ところで、このCMに僕はずっとある「嘘」を感じていた。これを目にすると、「それにしたって、中には具合の悪くなる生徒も、怪我をする生徒もいるだろうに・・・」とついつい思ってしまうのだ。
いつもいつも「全員元気」なわけがない。
「2組の横山君は、バスに酔って具合が悪くなり、夕食を食べることが出来ませんでした。その他の生徒は全員元気です」とか、「E組の武田君は、土産物店で万引きをして補導され、ひとり強制送還されました。その他の生徒は全員元気で宝塚歌劇を楽しんでいます」とか、実際には、常にそんな感じになってしまうはずなのである。

まあ、それでは世間が上手く回らないだろうことも理解は出来る。
「いろはに中学校の修学旅行団は、一部の生徒を除いてほぼ全員元気です」とテレビでわざわざ不安感を醸し出す必要性もないわけだし。

修学旅行生は、やっぱり常に「全員元気」でなくてはならないのである。

元気です。元気です。
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タグ:修学旅行
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2007年06月05日

鼻をかむ私

アレルギー性鼻炎になったのがいつからだったのかは思い出せない。
しかし、いつからか、僕はほぼ一年中鼻をグズグズいわせるようになっており、検査の結果によれば、それは杉花粉はもちろん、ヨモギ、ブタクサ、ハウスダストから猫の抜け毛に至るまで、ほとんど余すところなくあらゆるジャンルのアレルゲンというものにのべつまくなく反応する、実に付き合いのよい大迷惑なアレルギーなのであった。

僕が鼻をかむのにハンカチを使うようになったのは、ほんの偶然からだった。
ある時、仕事中に、アレルギーのクシャミの発作が起こってどうしようもなくなった。最初は机の上に常備しているティッシュ・ペーパーの箱から、次から次へと紙を取り出しては鼻をかんでいたのだが、ついにティッシュの箱が空になった。それでもクシャミは出る。クシャミが出れば鼻水も出る。まさか手鼻をかむわけにもいかず、僕は咄嗟にポケットからハンカチを取り出して鼻と口を押さえた。

ハンカチで鼻をかむというのは、日本ではあまりポピュラーではないけれど、欧米ではごく一般的なことなのだと思う。そして、実際にハンカチで鼻をかんでみると、これが実に合理的なのだ。
まず、何度でも再使用可能であるということ。そして、鼻が赤くなるということがまずないということ。
ティッシュというものは案外ガサガサしているので、アレルギーがひどい日には、あっと言う間に鼻及び鼻の下が真っ赤っかになってしまうものだが、ハンカチで鼻をかんでいる分にはそんな心配はまず不要なのである。

今世間では「ハンカチ王子」だの「ハニカミ王子」だのと大騒ぎしているが、考えてみれば僕なんかとっくの昔に「ハンカチ王子」であると同時に「ハナカミ王子」でもあったわけである。
まあ、「王子」じゃないけどね(と、ちょっとはにかむ)。
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2007年05月28日

座布団の意味

大相撲夏場所が終わった。
先場所に引き続き優勝した大関白鵬を横綱に推薦することが、今日、横綱審議委員会において、満場一致で決まったそうである。
白鵬は、千秋楽で横綱朝青龍を上手出し投げで破り、堂々の全勝優勝だった。

さて、大相撲に関して、僕にはずっと気になっていることがあった。それは、何故、いつから、大相撲の観客達は、あのように無遠慮に、かつ行儀悪く座布団を投げるようになってしまったのだろうか、という疑問である。
僕は、自分の限られた記憶だけでものを言っている。だから、もしかしたら正確ではないかも知れないが、しかし、かつては、あのような「座布団投げ」は滅多になかったのではないか、というのが実感である。
「かつて」が、いったいどれくらい前を指すのかは、自分自身でもはっきりとは判らないのであるが。

確かに、以前も「座布団投げ」はあった。だが、それは余程の大番狂わせがあったとか、あまりにも情けない取り組みに観客が怒りを表したとか、それなりの理由がちゃんとあっての行為だったはずだ、と思う。
昨日の結びの一番でも、大量の座布団が宙を舞った。だが、果たしてそのような事態を招かざるを得ない何らかの理由があの取り組みにあったであろうか。
結びの一番、朝青龍−白鵬の取り組みは、両者力の拮抗したいい勝負であった。だから、期待外れに終わった凡戦に観客が怒ったのでは、もちろんない。
それに、白鵬は前日既に優勝を決めている。彼が勝っても、別に「大番狂わせ」ではないのだ。
残るは「八百長疑惑報道」に同調した観客が、座布団を投げることによって、二人の勝負に異議を唱えている、という「想像」であるが、そんな人間が、高い金を払ってあの場に集結するということはあまりに馬鹿馬鹿しいことだ(あり得ない)、としか僕には思えない。

おそらくは、単に行儀が悪くなっただけなのであろう。自分の投げた座布団が、誰に当たろうがお構いなし。いかに見苦しかろうが、騒げればそれでいいのである。
僕などは、「座布団投げ」をした客は二度と大相撲観戦が出来ないように、例えばサッカーのフーリガン対策のように、入場時にチェックしてあの場から完璧に締め出してしまえばいいのに、と思うのだが、集客が大きな命題になってしまっている今の日本相撲協会に、それは無理な注文というものなのであろう。

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タグ:大相撲 白鵬
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2007年05月13日

ノースポールを買った日

20070513214608.jpg雨上がりの日曜日、ネギを買いに車で出かけた。CDプレイヤーからはPIL(パブリック・イメージ・リミテッド)の「フラワーズ・オブ・ロマンス」。1曲目「フォー・アンクローズド・ウォールズ」の強烈な太鼓の音とジョン・ライドンのひねこびた声を聴きながら、「まるごと市場」へと向かう。
買い物を終えた頃に雨が降り出して、家に着いたらまた日が照り始めていた。
僕は、綺麗に洗ってから天日に干して色を塗り直そうと思っていた円テーブルのことを思い出したり、また諦めたりしながら、キッチンの椅子に座ってカップ・ヌードルを食べた。

今日は一日中変な天気だった。
昼食後、「笑点」が始まるまでずっと陶芸をしていたのだが、その間も、急にバラバラと雨が降ったり、カラッと晴れたり、風が強く吹いたりした。
これから冬が来るみたいだ、と思いながら作業小屋の後片付けをして、そこに立ちすくみ、僕はふと自分の幸福を思った。
この平穏な一日、何も逼迫したことのない家庭、下らないことで愚痴を言っていられる安定した仕事、そして休みといえば好き放題どっぷりと浸っていられるこの自分だけの時間。
幸せでも、人は泣きそうになるものだ。

20070513214758.jpg昨日観た「今宵、フィッツジェラルド劇場で」については、何も感想を書かないのが礼儀だろう、と思っていたのだけれど、ひとつだけ、覚書として書き留めておく。
ロバート・アルトマン監督はマルクス兄弟を崇拝していた、と小林信彦が「世界の喜劇人」に書いていた。「マッシュ」の有名なフットボールのシーンも、実はマルクス兄弟の「ご冗談でショ」の再製(リメーク)なのである(これも小林信彦の指摘)。
そういえば、劇場の保安係ガイ・ノアール(ケヴィン・クライン)のやることなすことは、本来ならグラウチョ・マルクスが演じるべき場面として撮られたのではないか、と思い当たる。
特に、ステージマネージャー助手のモリー(マヤ・ルドルフ)を電話で呼び出すシーンなど、間違いなく「グラウチョ」だった。

また一週間が始まる。
買い物のついでに100円で手に入れたノースポールを、明日はもっとちゃんとした鉢に植え直そう。
posted by og5 at 22:20| Comment(3) | TrackBack(0) | 雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年05月08日

「カラスの死骸」考

UFO番組のプロデューサーとして有名だった矢追純一という人が、昔、「カラスの死骸はなぜ見あたらないのか」という本を出版した。かなりブームになったはずで、テレビ番組でも紹介されていたし、この人自身も、かつてのUFO番組以来実に久し振りにテレビ出演していたのを観た記憶がある。
岡本敏子の「太郎さんとカラス」を読んでいたら、そこにも、「だって、東京にこれだけカラスが跋扈しているのに、死骸を見たことがないということだけでも、不思議ではないか。公園でも、道路でも、庭にも落ちていないのだ。いったいどこに行ってしまうのだろう」という記述があって、それで僕は矢追純一のこの本を思い出したのである。

「太郎さんとカラス」は素晴らしい本であったが、僕にはここの部分だけは同意出来ないし、また納得も出来なかった。
実は僕は、カラスの死骸は見たことがあるのに、スズメの死骸も、ツバメの死骸も、ハトの死骸も見たことがなかったのだ。
つまり、では皆さんはハトの死骸を見たことがありますか、ということである。カラスを目にする機会が圧倒的に多いから、人はただ「その割には」と不思議に思っているだけなのではないだろうか。
確かに、スズメの、ツバメの、ハトの、そしてカラスの死骸はあまり人目に触れるということがない。だが、スズメの、ツバメの、ハトの、そしてカラスの死骸がいったい何処に行ってしまったのか、といえば、おそらくは他の動物や虫が食べてしまったのであろう、と単純に思うのだ。

普段我々が目にする機会の最も多い動物は、間違いなく「人間」である。そして、多分、その割合に比して、死骸を見るという機会が最も少ないのも、また「人間」なのである。

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2007年05月06日

電気の神様

suyaki_2.jpg自宅電気窯にて、ついに第一回の素焼きを行った。
5月4日午前6時、早起きして、前日用意しておいた「神頼みセット」のぐい呑みにお神酒を注ぎ、小屋へと向かう。お神酒の脇には、塩と米の盛られた小皿。作法上どうしてよいか判らなかったのだが、「それなりに」ではあるにしても、神様には一応筋を通しておいた方がよかろうと判断したのである。

思ったよりも時間がかかった、というのが率直な感想である。電気窯なので、つきっきりであれやこれや面倒をみるという必要はないのであるが、予定時間を過ぎてもなかなか設定温度に達しないので、随分と気を揉んだ。結局、同日中に中を覗いて見ることは出来ず、ブレーカーを落とし、窯の蓋を持ち上げたのは、やっと翌日(5日)の朝になってからのことだった。
早朝、雷が鳴り出したので窯に悪影響がないかと心配したが、結局は特に何事もなく、45個中割れたものが1個だけという(思いの外の)好結果であった。

suyaki_1.jpg少し風邪気味だったので、即日施柚して本焼きへ、という、まるで海外ツアー客の名所巡りみたいなスケジュールは断念した。一日予定をずらし、一部焼成温度の異なる釉薬をかけようと思っている物を除き、今日午後、無事施柚を完了。なおも、今からでも焼けないかなあ、などと未練たらたらだったのだが、どうもまだ完全に乾燥し切っていないようだったので、本日二度目の断念をした(断念ばかりしている)。
こんなことは人には全く興味のないことであろうが、覚書として書き留めておくことにしたのだ。

ところで、素焼きが無事に終わったところで、僕はあることに気付いた。僕は「神頼みセット」を(当然のごとく)「火の神様」にお供えした。しかし、うちにあるのは電気窯なのである。
僕は本当は「電気の神様」にお供えをしなくてはならなかったのではないか。受験合格のお願いを安産の神様にしてしまったようなものなのではないか。
そしてこの時、僕の脳裏にぱっと浮かんだのは、T−レックスやクラフトワーク、それに寺内タケシなのであった。

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2007年05月04日

木瓜々々日記

ゴクゴクとSPRITEを飲んだ男の背中から水の(スプライトの?)翼が生えて、空中を飛んで行くCMがある。
身体中の水分が全部出尽くしてしまうのじゃないか、と心配になる。

アコムのコマーシャルにカンニング竹山が出ている。駅の改札を抜けると(多分新婚の)妻が迎えに来ていて、ちょっと照れ臭そうに微笑む、何だかほのぼのとするような、あのCMだ。
だが、僕はあれを見るといつも、「ああ、この人は相方を失ってしまったんだなあ」と少し淋しくなる。

映画「クィーン」の邦題は変である。発音出来ない。何とか音にしてみようとすると、限りなく「キーン」に近づく。
あれは是非とも「クーン」とすべきである。

革靴は、雨が染み込むのを何故恥ずかしいと思わないのだろう。特殊なサラリーマン靴以外の革靴は平気で雨漏りする。ひどいのになると、「雨の日には履かないで下さい」などと開き直る始末だ。
何とか工夫しろよ、と言いたい(いや、お願いしたい)。

特待制度がらみで高野連が批判されているようだ。その時、ほぼ決まって「子供の夢」が引き合いに出される。しかし、いったいいつから「子供の夢」が世の中の最優先事項になってしまったのだろうか。
あれはどうも「子供の夢」という名の「権益」のような気がしてならない。

赤ん坊を捨てるポストが出来たそうだ。
ねずみ男がいたずらで護符をはがして大変なことが起こる、というのは「ゲゲゲの鬼太郎」のひとつのパターンであるが、今ものすごく大事な護符がはがされてしまったのだな、と感じる。

裏庭の木瓜(ぼけ)の花が満開である。
何だか、つげ義春の世界だなあ。

boke.jpg
posted by og5 at 13:40| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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