2008年04月06日

仕組みだけでは気持ちが悪い〜「うた魂(たま)♪」

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今日は朝からルミエール秋田に「うた魂(たま)♪」を(ひとりで)観に行った。
面白くないこともなかったが、合唱がテーマなのに主人公と合唱部の他メンバーとの関わりがあまりにも希薄。それに、主演の夏帆が「天然コケッコー」の時とは別人みたいに変に見える。いつもたいてい口をぽかっと開けて笑っていて、明らかにおかしい。これは多分演出がまずいのである。誰かに似ているなあと思いながら見ていたのだが、そうだ、「うた魂(たま)♪」の夏帆は宮崎美子みたいに見えるのだ(ついでに言うと、薬師丸ひろ子は三浦友和に似ていた。顔の色までそっくりだった)。

「面白くないこともなかった」と書いたが、それはこの映画にある仕組みのせいである。恋愛、クラブ活動、挫折、友情、そしてクライマックスの「大会」。だが、仕組みだけで面白いというのは実は気持ちが悪い。それは、この映画のラストで、合唱コンクール北海道予選会場全体がひとつになる感動的シーンの「何故」となって僕に突きつけられた踏み絵でもある。
歌に一番必要なのは「心」だ、とこの映画は言う。僕も「心」派ではあるのだけれど、意味もなく感動させられるのは非常に怖い。
「うた魂(たま)♪」は、ちょっと全体主義的で、人を馬鹿にしている。

※淡谷のり子はかつて、「今の歌手はテクニックがないから『歌に心を込める』などと言うのだ」と憮然として批判していた。感情をも表現し得るテクニックというものも、この世にはあるのだろう。
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2008年03月31日

モノクロが美しい優れたアニメーション〜「ペルセポリス」

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イラン出身であり現在はフランスで活躍する漫画家マルジャン・サトラピが、自身の自伝的作品をアニメーション化したのが映画「ペルセポリス」である。
「ペルセポリス」という耳慣れないタイトルは、実在したペルシャ帝国(現イラン)の都の名で、紀元前331年、アレクサンドロス(アレキサンダー)大王によって火を放たれ廃墟となった。
ちなみに、「ペルセポリス」という呼び名はギリシャ語によるものであり、ペルシャ人自身がこの都をどのように呼んでいたのかについては、未だに明らかになっていないという。

映画は、イスラム革命前夜の裕福なイラン人一家の日常を映し出す。全面的に米国の支援を受けていた国王の政策は反イスラム・反共産主義であり、その崩壊により一気にイスラム至上主義に向かう革命勢力と、結局はついに実権をつかみ得なかった共産主義者達の思惑とが美しいモノクロ画面で淡々と描かれる。マルジは家庭環境のせいもあり共産主義にシンパシーを感じて育つが、事はそれほど単純ではない。「他者」に対する排斥と非合理は、親米だろうがイスラムだろうが親ソヴィエトだろうが同様に存在するだろう。それに、マルジ一家よりももっと貧しい人々(たとえば、パンク・ロックになど縁のない青春を送る若者達)には、またそれなりの生活があったはずなのである。
が、「ペルセポリス」という映画は、そんなことに首を突っ込んだりはしない。マルジャン・サトラピは、誠実に、自分の見たこと、そして知っていることしか描こうとはしない。おそらく、そこがこの映画の美点である。

白と黒が素晴らしい効果を生み出す。銃で撃たれ倒れ込む青年。そのシルエットを変形させていく流れ出る血。息絶えた青年に差し出される仲間達の手、手、手。あるいは、カセットから流れるアイアン・メイデンの曲に合わせて激しく身体を揺さぶるマルジの髪の豊かさと、そのぽっかりと白い顔のコントラスト。そして、ユーモア。
あまりにもアニメーションが素晴らしくて、マルジが、あるいはその他の人々が走るあの走り方を、僕はついついうっとりと追いかけてしまう。それが、たとえどんなに悲惨なシーンであったとしても、である。

冒頭、本編にも登場する様々な景色の中を、一輪の花がクルクルとうつろって行く様子が映し出される。後にその「意味」を知る我々は、主義主張に関係なく、しみじみとマルジの心情を思わないではいられない。
お祖母ちゃんのジャスミンの匂いとともに。

※秋田FORUS8階シネマパレにて、4月11日(金)まで上映中。

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2008年03月06日

ラスト・ショー

かつて、映画館には、通路まで人があふれるということがよくあったものである。
僕が一番よく憶えているのは「ジョニーは戦場へ行った」で、確か有楽町パンテオンの通路が、文字通り立錐の余地もなく観客で埋め尽くされていた。
1時間半から2時間の間、僕達はずっと立ったままスクリーンを見つめ続ける。人と人の頭の間から垣間見えるティモシー・ボトムズを、いや、戦場で両手両脚を失い包帯で全身グルグル巻きにされた男の姿を、僕達は食い入るように見つめ続ける。
かつて、映画とは、それほどまでして観なければならないものであった。

ところで、僕にとって、今、映画館とは、いったいどんな場所なのだろう。
独りきりで楽しめるビデオやDVDに依存する、いわゆる個人主義が映画を衰退させたという説もあるようだが、では現在の映画館という場所は、それほどに「非・個人的」な場所なのか。
しかし、最低限のマナーというものはあるにしても、映画館では人は基本的に皆ひとりではないか。茶の間で、いつ鳴るか判らない電話の呼び出し音や、突然の来客や、家族のあくびや、生活感あふれる床や壁やカーテンや更にはぶら下がる洗濯物を見ながら、僕は真に物語に没入して泣けはしないし、また笑うことも出来ない。僕は、プライベートな空間としての映画館に、映画も込みで、その対価としての入場料を支払っているのだ。

実は、映画館にあまり人がいないと、僕は少なからずホッとする。それは、脚を棒にしながら「ジョニーは戦場へ行った」を観たあの映画館とは全く異質の空間である。
異なるのは、もちろん人の多さだけではない。本当に違ってしまったのは、むしろそこにいる人間の心である。僕達は、いや少なくとも僕は、長い年月をかけて、そうした「個人主義的映画館」を自ら作り上げてしまったのだ。
それがいいことなのか悪いことなのか、僕にはまだよく判らないのだけれど。

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2008年03月02日

極限状態にて〜「明日への遺言」、「28週後」

昨日今日観た2本の映画について。

まずは「明日への遺言」。
素晴らしく抑制のきいた、静かながら緊張感にあふれた作品だった。
藤田まことがとてもよかった。思想や哲学とは無関係に、誠実であること、誇りを持って生きること(あるいは死ぬこと)の意義を、それこそ誠実に、誇りを持って演じ切っていた。
小泉堯史監督の演出は、いい意味で「古い」と思う。彼が師事していた黒澤明の影響もあるのかも知れないが、僕は黒澤作品「生きる」において、同僚(部下?)が渡邊課長(志村喬)の人柄と功績を涙ながらに語る葬式のシーンを何となく思い出していた。
こんな上司が身近にいたら気詰まりでしょうがないだろうなあ、などという下らないこともちらと頭をよぎったが、それは単に僕の不誠実で誇りなき毎日故の戯言である。
竹野内豊のちょっと合わない感じのナレーションも、僕は好きである。

そして今日は「28週後」。
「28日後...」の続編ということだが、僕は前作を観ていない。是非観なければ、が今の強い気持ちである。それほど面白かったのだ。
僕には、ヨタヨタとしか歩けないからこそ怖いのがゾンビだ、というこだわりがあった。だから「速く走るゾンビ」は大嫌いだったのだが、この映画を観て考えを改めた。「28週後」の怖さはそもそもゾンビ(実際は「レイジ・ウィルス」に侵された感染者)にはない。いや、彼等は充分におぞましい。しかし、この映画で本当に恐ろしいのは、僅かな希望があっけなく次々と裏切られて行くそのスピードではないだろうか。
詳しいことを書くのは、いやいや内容を少しでも書くのは止しにしておくが、あのラスト・シーンは秀逸。最高だ。
前作監督のダニー・ボイルが構想しているという3作目「28 Months Later」の制作も、是非とも実現させて欲しいと思う。
だが、その前にまず1作目を観なければ。主演は何とキリアン・マーフィだ!

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2008年02月16日

あなたでしたの?

浮浪者が盲目の花売り娘に一目惚れする。娘は、毎日のように花を買ってくれる浮浪者を、裕福で心優しい紳士だと思い込む。
浮浪者は、家賃を払えず立ち退きを迫られている娘をどうにかして助けてやりたいと考え、失敗を繰り返した挙句偶然手に入れた千ドルを、家賃及び目の手術代として娘に手渡す。しかし、その直後、彼は無実の罪で警官に捕まってしまう・・・。
浮浪者を演じるのは、もちろんチャーリー・チャップリン。名作「街の灯」である。

さて、やがて刑務所から出た浮浪者は、視力を回復した花売り娘と再会する。
だが、娘は、彼をあくまでも金持ちの青年だと思い込んでいるから、最初は全くそうと気付かない。いや、最後まで気付かず、浮浪者のあまりの惨めさを憐れに思い、売り物の花と小銭を手渡そうとする。
そして、その時握った手の感触から、ようやく、彼が「彼」だということに気付くのである。
「あなたでしたの?」と娘は言う。

まだ若かった頃、僕にはこの台詞が全く理解出来なかった。単純に、ハッピー・エンドだとばかり思っていた。いや、それだって間違いではないのだけれど、「そうでない」解釈が他にもあるということに、そしてそのことこそがこの映画を「普遍」にしているのだということに、思い至ることが出来なかったのである。
恩人であり憧れの的でもあった裕福なジェントルマンと薄汚れた浮浪者とのギャップ。この再会は、浮浪者にとって残酷であるのと同じくらい、娘にとってもまた残酷である。

今まで見えなかったことが見えるようになる、ということが、ただ単純に幸せなことだとは限らない。
サイレント映画がトーキーになり、人は役者の声を手に入れた。CG技術で、今では出来ないことなど何もないのが映画の世界ではあるけれど、それは果たして手放しで喜び、かつ受け入れるべき「成長」なのだろうか。
ちなみに、僕が初めて体験した「街の灯」は、赤塚不二夫バージョン。「おそ松くん」の「イヤミはひとり風の中」という時代劇で、イヤミが落ちぶれた浪人(浮浪者)に扮していた。

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2008年02月11日

「ロンドン・コーリング〜」、そして「タロットカード殺人事件」

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またもや映画のはしごです。

昨日1本目は、シネマパレで「LONDON CALLING/ザ・ライフ・オブ・ジョー・ストラマー」。
カッコよくてカッコよくてしょうがないクラッシュが観られるのかと思っていたら、スクリーンに映し出されたのは、しょぼいし臆病だし融通の利かない馬鹿だけど何事にも一途ではあったジョン・メラー、ウッディ、ジョー・ストラマーの身も蓋もない50年の生涯であった。
「白い暴動」をたまたま遊びに来た中学時代の友達に興奮して聴かせたら、その感想は困ったようにただひと言、「パンクって、歌下手糞なんだなぁ」だったことを思い出した。
冒頭、ヘッドフォンをつけて「ホワイト・ライオット」を歌うジョー・ストラマーの裸の声にバンッと音がかぶさった瞬間、僕の背中には電気が走った。
パンクは、ただ音楽として僕の前に現れたのではなかったのだ。
一番好きだったシーンは、焚き火を囲んだ友人達が、ギターを弾いたり、その辺にある板を叩いたりして、みんなで「アイ・フォート・ザ・ロウ」を歌うところ。「僕は法と戦い、そして敗れた」と繰り返される歌詞が胸に迫った。その時、僕の頭に、「人は負けるようには作られていない。人は殺されるかも知れない、けれど負けはしない」というヘミングウェイ「老人と海」の一節が浮かんで来た。
そうだ。ジョー・ストラマーは、あの年老いた漁師サンチャゴのように、決して負けなかったのだ。
僕は、「老人と海」を読み返さなければならない。

2本目は、ルミエールで「タロットカード殺人事件」。
スプレンディーニ(ウディ・アレン)がマジックの舞台で見せる表情にまずは大爆笑。筒から花を出したり、ハンカチの柄をバラバラと落として無地にしたり、シルクハットからトランプのカードを飛び出させたり、とチープな手品を立て続けにやるのだが、その度に「何で?」とでも言いたげな実に寂しそうな顔を大受けの観客席に向けるのである。あれ、可笑しかったなあ。
また、ウディ・アレンの台詞。コメディのこの手の台詞を前にすると、僕はどうしてもグラウチョ・マルクスを思い出さずにはいられない。アレンの台詞の多さ、その嵐のような絶対量と意味のなさも、僕には実にマルクス映画的だったし、女性に対し、ついつい舞台の口癖で「ウソでもはったりでもない」と言ってしまうのも最高に可笑しかった。
この映画には、中身がない。これは褒め言葉なのだが、特に、サンドラ(スカーレット・ヨハンソン)の危機一髪からラストに至るまでの「飛ぶ鳥後を濁さず」っぷりは見事としか言いようがない。
「言葉の壁もあるし、車は左車線走行(by スプレンディーニ)」かも知れないけれど、ウディ・アレンにはもうしばらくイギリスで映画を撮って欲しいな、と思う。
だって、最高だもの。

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2008年02月10日

口紅の意味

「ラスト、コーション」について、気になっていることを追記。
マイ夫人がお茶等飲むシーンが何度かあって、その際決まってカップやグラスの縁に残された彼女の紅いルージュのあとがクローズ・アップされたのだが、あれにはいったいどういう意味があったのだろう、ということ。
僕にはそれが上手く納得出来なかった。何故なら、そのシーンは実のところあまり美しくはなく、どちらかというとちょっとグロテスクでさえあったからである。

気になったので、カップに残った自分の口紅あとをどうすべきなのか、どのように対処するのがマナーに適っているのか、ネットで調べてみた。様々な説があった。
カップに残った口紅はナプキンで拭う、という説があるかと思えば、ナプキンは食器を拭くものではないのでそれは駄目だ、という説がある。ではどうするのかというと、まず指でさり気なく口紅を拭った後、目立たないように(その指を)ナプキンで拭うのだそうである。かと思えば、食器が壊れては大変だから(!)、必要以上に触れるのさえマナー違反である、という意見もあり、そうなるとなるほど、映画のように「つけっぱなし」にならざるを得ないわけだ。
しかし、これら諸説ある中で唯一共通的に言われていることは、食事前にはあらかじめ口紅をおさえておくべきである、ということで、マナーというものがそもそも相手に不快感を与えないようにするにはどうすべきなのか、という思いやりの心から発したものだとすれば、あの口紅はやはり駄目なのだ、と思わざるを得ない。

では、何故「ラスト、コーション」では、カップの縁に残されたルージュがわざわざ印象に残るように大映しになったのか。
マナーを知らないマイ夫人の素性に対してイーは既にある想像をしていた(少なくともその機会はあった)、という可能性の示唆かも知れないし、その「下品さ」を含めて、戒められるべき一線を超える男女の危うさと現世的儚さを表すひとつの象徴であるのかも知れない。
いや、最初から僕とは感性が違うだけで、アン・リーをはじめとするスタッフやキャストが、そもそもあれを美しいと思って撮っていたのだとしたら、何もこんなに悩むことなどないのですけどね。
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2008年02月03日

映画覚書2008/02/03

昨日今日観た映画のことを書いておこう。

昨日は、妻と一緒に映画のハシゴ。
1本目はルミエールで「ラスト、コーション」。
妻が「ひとりでも観に行く」と言っていたので、もし面白かったら悔しいな、と思ってついて行った。
面白かった。思想や時代背景に関係なく、人間は愚かなものである、ということをきちんと受け止めた作品が好きなのだ。
イー(トニー・レオン)を殺す機会などいくらでもあっただろうに、と思えてしまうところが難点かも知れないが、2時間半を超える作品にずっとネットリと緊張感が持続しているということはやはり素晴らしいことだろうと思う。

2本目は、シネマパレで「転々」。
三浦友和はいいな。オダギリジョーもよかった。
花やしきのジェットコースターが見られて嬉しかった。武田百合子の文章が生々しく甦った。
安ホテルの一室で、ホッとしたオダギリジョーが三浦友和に擦り寄りながら発する妙ちくりんな声。化学調味料を使い出してからの方が日本人は寿命が延びてるんだ、という三浦友和の妙に説得力のある主張。ともに大笑い。
後半、小泉今日子が絡んで来てからテンポが少し変わったけれど、あれが必要だったんだってことも最後にちゃんと納得出来た。
しみじみと東京が好きになる映画でもある。

そして、今日観たのが「ナンバー23」。シネマパレにて、ひとりで。
「今宵、フィッツジェラルド劇場で」で、白いコートの女を演じていたヴァージニア・マドセンが、ジム・キャリーの妻アガサ役で出ていた。彼女は松雪泰子に似ていると思う。
何処が、と訊かれても困るけれど。

※あ、そういえば、今日は2月3日(23)じゃないか・・・。

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2008年01月27日

「勝手にしやがれ」について

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ゴダールの「勝手にしやがれ」の原題はフランス語で「息切れ」という意味なのだそうで、そういえばリチャード・ギア主演でリメイクされたアメリカ映画の題名はそのまま「Breathless」であった。
僕はこの作品(ゴダールの方)を、中学生の頃日曜洋画劇場で観た。「ニューヨーク・ヘラルド・トリビューン!」と叫びながら新聞を売るジーン・セバーグが最高に可愛かった。テレビで観た「勝手にしやがれ」で憶えているのはこのシーンくらいだ、というくらい鮮やかに印象に残っている。
後に、社会人になってから仙台の映画館で「映画」を観た感想は、ただひと言「カッコいい!」。
モノクロ映画の「色」が違っていた。

ベルモンドの下着や二人がじゃれ合うベッドのシーツの白がカッコよかった。
結構いい服を着ている(ように当時の僕には思えた)のに、セコイ手口で車を盗むチンピラでしかないということがカッコよかった。
タバコをブカブカとふかしてばかりいるのがカッコよかった。
主人公が「虚無」を抱えているということがカッコよかった。
役中人物が突然カメラを見て観客に何事かしゃべり出すのはコメディのルーチンだなどということは後になって知ったが、(マルクス・ブラザーズだってやっているのに、そして谷啓だってやっているのに)観た直後はそれさえもカッコよかったのだ。
僕は、多分ゴダールは「アレ」を一人称語りの確保のために取り入れたのだろうと思っているが、実はあの手法こそが「勝手にしやがれ」の新機軸だったのではないだろうか。

ちなみに「勝手にしやがれ」未見の妻は、「この映画は絶対DVDでは観ない(自分で上映してでも、いつの日か映画館で観る!)」と決意し、それを健気に守り続けている。
あまり遠くないいつか、本当にそんな日が来たらいいな、と思う。

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2008年01月20日

「グラインドハウス」は大傑作である

金曜日、「グラインドハウス」の上映最終日ということで、またもやのこのことシネマパレまで出かけて行った。これで二回目。「プラネット・テラー」は単独上映版も観ているから、延べ三回目となる。
「プラネット・テラー」には、何度観ても文句なしに楽しめる「職人技」を見て改めて感心させられたが、一回目とその印象が驚くほど変わり、そして大好きになったのが「デス・プルーフ」であった。

前回も確かに面白かった。大いに興奮したし、あの後半からラストは間違いなく滅多に経験することの出来ない強力なカタルシスだった。だが、それと同時に、前半に対しては、何だかすっきりとしないもやもやとした感覚が消し難くあったこともまた事実で、僕はそこにラス・メイヤー監督の「ワイルド・パーティ」を重ね合わせて、比較的投げやりにカテゴライズしてしまっていたのである。
確かに、あそこにはラス・メイヤーの影があるだろう。それどころか、後半においては同監督の「ファスター・プッシーキャット キル!キル!」がもろに取り入れられているようである(「ファスター〜」については未見だったが、昨日妻がYOUTUBEで「グラインドハウス」のエンド・ロール曲をバックに展開される強烈なモノクロ映像を発見(→)。僕は心の中で「ああ、これだ!」と叫んだ)。
しかし、それでも、「デス・プルーフ」は、ラス・メイヤー作品の単なる真似などではあり得ない。
「デス・プルーフ」を二度目に観て僕が感じたのは、実は「センチメンタル」であった。

「眠る前に何マイルも行かなくてはならない」と静かに語られるロバート・フロストの詩が彩るナマ脚と尻が、その「センチメンタル」の源だ。
スタントマン・マイクの、バタフライ=アーリーンに対する残酷な指摘。まだ来ぬ恋人にメールを送るジャングル・ジュリアの純情。雨に濡れて光る脚。女の友情。女だけの週末。「その」直前、ラジオから流れる「デイヴ・ディー、ドジー・ビーキー、ミック&ティッチ(&ピート)」の曲に合わせてドラムを叩く真似をするシャナ。隣であきれたように笑っているアーリーン。
そして、結末。

この前半のやるせない「センチメンタル」と、後半の強烈かつナンセンスな「カタルシス」を、スタントマン・マイクの歪んだ「デス・プルーフ(耐死仕様)」が結び付ける。
「だらだら」感を安易に「死霊の盆踊り」に結び付けたことが今となっては恥ずかしい。
「グラインドハウス」は大傑作である。

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2008年01月12日

快挙なり!〜「グラインドハウス」上映

デス・プルーフ in グラインドハウスデス・プルーフ in グラインドハウス
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「グラインドハウス」をやっと観た。というか、とうとう観ることが出来た。

ロバート・ロドリゲス監督の「プラネット・テラー」とクエンティン・タランティーノ監督の「デス・プルーフ」を、フェイクの予告編も込みで連続上映することでかつてのB級映画上映館「グラインドハウス」を再現する、という馬鹿馬鹿しくも面白過ぎる企画。しかし、アメリカ本国版オリジナルバージョンでの上映、「グラインドハウス」というひとつの作品としての上映というのは、東京や大阪でもごく限られた場所で、しかも限られた期間だけしか実現されなかったことで、当然ながら、秋田においても、昨年イオンのTOHOシネタウンで上映された時には、両作品それぞれ時期をずらしての個別上映だったのである。

これを快挙と云わずして何と云おう。そう思って、「GRINDHOUSE公式ホームページ」をのぞいて見れば、もう既に何処にもリンクの張られていないそのトップページ()の「上映館情報」欄には、「U.S.A.バージョン」の文字もさり気なく、我が「秋田フォーラスシネマパレ」が、何とただ1館だけ「上映中」を宣言しているではないか。
カッコいいぞ!

「プラネット・テラー」は、昨年観た際もそのあまりの面白さに感動して涙が流れたが、改めて「体験」してまたまた唸った。前はひとりだったけど、今度は妻も一緒だ。笑い声にも力がこもる。
初めて観た「デス・プルーフ」にも大興奮。本格的なカーチェイスが始まるまではちょっと不安もあったが、終わってみれば大満足だ(それにしてもカート・ラッセルははまり役過ぎる)。
タランティーノの頭には、ラス・メイヤー監督の「ワイルド・パーティ」でもあったのだろうか。若い、それもちょっと不道徳な女子の生態を見ること自体がエンタテインメントになるという確固たる信念がなければ、とてもとてもあの「ダラダラ」はやり切れないだろう(あるいは「死霊の盆踊り」へのオマージュか)。
とにかく、3時間以上の上映時間が少しも長く感じられない。
最高だ!

1月18日(金)まで、一日一回の特別上映ではあるけれど、まだまだチャンスはある。
観ていない人、是非秋田FORUSシネマパレまで足を運んで下さい。

※個人的には、フェイク予告編の「Don’t」が最高のお気に入り。
 DVD(BOXセット)も予約可。
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2008年01月04日

「エディット・ピアフ〜愛の賛歌」について

エディット・ピアフ~愛の讃歌~ (2枚組)エディット・ピアフ~愛の讃歌~ (2枚組)
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「歌こそ全て、歌うことが愛すること」と言えば聞こえはいいが、実は「歌しかなかった、歌うことでしか人の愛を確かめられなかった」のではないか。そう思うと、あまりの寂しさに心が震える。
エディットが初めて人前で歌を歌ったあの時、愛されるためのひとつの「よすが」が生まれたのである。そして、それはまた彼女を捉えて放さない堅牢な檻でもあった。強過ぎる「ツール」は、時に人を支配する。
愛なき世界から逃れるために、また別の何ものかの囚われ人となる。かつて娼婦ティティーヌとふざけ合って歌った歌と、それはあまりにも違う。

主演のマリオン・コティヤールを素晴らしいと思う。大道芸人の父に寄り添うしかないその姿が、あるいは若い頃の捨て鉢な傷つき易さが、かのフェリーニ映画におけるジュリエッタ・マシーナ(「道」、「カビリアの夜」)を彷彿とさせる。
目の表情がいい。あまりにも酷い晩年のエディットに、そのいたずらっぽい輝きの戻ることは二度となかったが、そのグロテスクを目の当たりにしてさえなお、僕達は彼女を愛さずにはいられない。
「エディット・ピアフ〜愛の賛歌」は、ある意味悲惨かつ残酷な映画だが、それでもしかし生命の煌きに満ちている。マリオン・コティヤールの演技が、そこに映画的真実を与えているのだ。

「愛しなさい、愛しなさい」とインタビューに答えるエディットは、まるで「愛して、愛して」と叫んでいるように見える。そして、「愛の賛歌」で歌われる「あなた」の腕は、もう決してエディットを抱くことはない。
こんなにも求めたのだ。こんなにも求めたのに、それでも適えられなかったのだ。
彼女には歌があった。もしかしたらその「脅迫観念的」歌しかなかったのかも知れないけれど、彼女が不幸だったとは決して言うまい。
今まさに自分自身が渡っている吊り橋のロープを鉈で断ち切るかのように歌う「パダン・パダン」には、ただただ圧倒されるしかない。
posted by og5 at 20:44| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年01月01日

「2007ベスト映画」〜今年は10本選んでみました

昨年の元旦と同様のパターンで去年観た映画のまとめ。
青文字が今でも面白かったと思えるもので、赤文字がその中でも特に好きなもの。
特集上映という形で観た旧作については、赤ではなく緑で色付けし「お気に入り度合い」の目安とした。

サンキュー・スモーキング/テキサス・チェーンソー ビギニング/マリー・アントワネット/上海の伯爵夫人/ミッドナイトムービークリムトパフューム−ある人殺しの物語−デート・ウィズ・ドリュークィーンピンチクリフ・グランプリ13(ザメッティ)/リーピング/大日本人/パリ、ジュテーム/ブラザーズ・オブ・ザ・ヘッド/しゃべれどもしゃべれども明日、君がいないリンガー! 替え玉★選手権絶対の愛キサラギコントラクト・キラーマッチ工場の少女パラダイスの夕暮れ浮き雲/カラマリ・ユニオン/罪と罰/街の灯り/ボラット〜栄光ナル国家カザフスタンのためのアメリカ文化学習/歌謡曲だよ、人生は/スキヤキ・ウエスタン ジャンゴ/スケッチ・オブ・フランク・ゲーリー/それでも生きる子供たちへプラネット・テラー in グラインドハウス天然コケッコークワイエットルームにようこそ仁義なき戦い仁義なき戦い 広島死闘篇仁義なき戦い 代理戦争/仁義なき戦い 頂上作戦/仁義なき戦い 完結篇/サッド・ヴァケイション/それでもボクはやってないアヒルと鴨のコインロッカー/殯の森/不完全なふたり/コマンダンテ/カポーティ/サン・ジャックへの道/フランシスコと二人の息子/あるいは裏切りという名の犬/王の男/今宵、フィッツジェラルド劇場で

何だかオーソドックスな映画が少なかったな、というのが素直な感想である。別にそれでも構わないのだが、それだけではいけないような気もする。
アキ・カウリスマキ特集で、とうとうスクリーン上で観ることの出来た「マッチ工場の少女」や「浮き雲」。特に「浮き雲」にはいろんな再発見があった。作品の背景というものに僕はあまり興味がない。目の前に表現されたものが判断すべき対象の全てと思うからだが、それでも「浮き雲」にはしみじみとさせられた。もちろん、作品として素晴らしい、ということが大前提なのであるけれど。
もうひとつの特集「仁義なき戦い」にも大感謝。当時の映画は二本立てが普通であった。それでも僕達はひと回りした次の回の1本目をもう一度観直したりしたものだった。作品の「ギラギラ度」が桁違いだったのか。観る側の「飢え」の強さが全く異質になってしまったのか。それとも、ただ単に体力の問題か。シネマパレにおける本特集は、(本当は違うのだけれど)何処となく当時の「二本立て」を彷彿とさせてくれた。

去年も言ったことだが、順位はあくまでも「あえて選ぶとすれば」である。時が経てばまた印象も変わる。「あるいは裏切りという名の犬」が、日が経つに連れてどんどん大きく僕の中でその存在感を増しているように、きっと他の作品の多くもそういう可能性を裡に秘めているに違いない。

第1位:明日、君がいない
第2位:絶対の愛
第3位:あるいは裏切りという名の犬
第4位:クリムト
第5位:ボラット〜栄光ナル国家カザフスタンのためのアメリカ文化学習
第6位:アヒルと鴨のコインロッカー
第7位:パフューム−ある人殺しの物語−
第8位:キサラギ
第9位:プラネット・テラー in グラインドハウス
第10位:ミッドナイトムービー

今年は、もう少しオーソドックスな映画を観る機会を増やしてもいいかな、と思っている。

明日、君がいない明日、君がいない
テレサ・パルマー ジョエル・マッケンジー クレメンティーヌ・メラー

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絶対の愛絶対の愛
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posted by og5 at 17:15| Comment(7) | TrackBack(1) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年12月24日

気分はシュパドーン〜「カンニバル! ザ・ミュージカル」

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TSUTAYAにぶらりと立ち寄ったら、目の前にDVDの安売りコーナーがあった。
普段ならそんなものは見ないのだが、ほんの気まぐれで棚をゴソゴソやっていたら、「トレイ・パーカー」という名前がいきなり目に飛び込んで来た。
トレイ・パーカーというのは、マット・ストーンとともに超お下劣アニメ「サウスパーク」を世に送り出した鬼才で、最近では大傑作「チーム★アメリカ ワールドポリス」なども同じくこのコンビにより制作されている。
大の「チーム★アメリカ〜」好きである僕は、迷わずそのパッケージを手に取った。タイトルは「カンニバル! ザ・ミュージカル」。

しかし(何が「しかし」か自分でもよく判らないが)、この映画は面白い(あ、DVD持って即レジに向かったのは言うまでもないので省略しました)。確かに、映画は冒頭いきなり人食い(カンニバル)シーンから始まる。趣味の悪いゲチョゲチョが趣味悪く映し出される。が、別に全編これが続くわけではない。実は、これは裁判の検事側陳述を、あるいはそれを聴いた傍聴席の町民達のイメージを一方的に映像化したものでしかないのである。

被告パッカーは、少し足りないが愛馬リアーンをこよなく愛す好青年である。彼に好意を寄せる女性新聞記者のインタビューという形をとって再現される「事実」の舞台はゴールドラッシュ真っ盛りのアメリカで、何故か彼等は「ゴー・ウェスト」ではなく「ゴー・イースト」とばかりに東(コロラド)を目指し真冬のロッキー山脈を越えようとする。この案内人がパッカーで、実はよく道を知らない彼のせいで、メンバーは案の定道に迷い、極限状態の中、遂に人間として超えてはならないある一線を超えてしまう・・・。
これが明るい(明る過ぎる)ミュージカル・ナンバーの数々に彩られ展開する。面白くないわけがない。というか、馬鹿馬鹿しくないわけがないではないか。

この作品を観て、僕はトレイ・パーカーという人についてあるひとつの印象を持った。それは、彼はクリエーターではなくて本当は職人なのではないか、ということである。というのも、この作品には、その完成度はともかくとして、「チーム★アメリカ〜」に続くたくさんのモチーフが既に見て取れるからである。彼はもしかしたらずっとこれをやり続けたいのかも知れない。大工が、素人には同じにしか見えない家を毎年毎年作りながら徐々に腕を上げて行くように、料理人が伝統的な調理技術を年を経る中で少しずつ少しずつ磨き上げて行くように。

因みに、パッカーが一線を超えなかったわけでは、決してない。それがいつの間にかどうでもいいことになってしまっているのも、馬鹿映画の醍醐味である。シュパドーンッ!
posted by og5 at 20:27| Comment(4) | TrackBack(1) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年12月04日

余韻

あれはエンド・ロールというものであろうか。
要するに、映画のラスト、物語の全てにケリがついてしまってから、キャストだのスタッフだの「スペシャル・サンクス」だのが次から次へと映し出される、あの退屈な時間のことである。
1本の映画が完成するまでに、いや、それが上映という段階に達するまでに、いかに多くの人間のアイディアと労力とそして軋轢とが費やされなければならないのか、僕にだって想像出来ないわけではない。しかし、それを全て観客に紹介しなければならないのか。

実は僕は館内の照明が点灯するまでは決して席を立たない人間である。もちろん、話もしない。まだ場内が暗いのに、次々と席を立ち出口に向かう奴等を、僕は内心罵っているくらいなのだ。
しかし、それにしても、最近の映画のエンド・ロールは長過ぎると思う。何しろテーマ曲がひとつでは足らないのだ。ヴィジュアル・エフェクトが何たらというような細か過ぎる文字が下から上に延々と流れて行くのにまぎれて、恥ずかしそうに、かつ無様に2曲目が始まる。ひどい時には、更に3曲目が始まることさえある。
トイレを我慢してここまで耐えたその忍耐は、もはや限界を超えている。

昔の映画は実にあっさりと終わった。
つい最近「仁義なき戦い」を観たばかりなので例に出すが、この深作欣二作品においては、ラストにキャストあるいはスタッフのクレジットが我々観客に示されることは決してない。〆のナレーションが流れると、殆ど間髪なく禍々しい音楽が鳴り響き、画面に「終」あるいは「完」の文字が浮き出て、それでお終いである。
実に潔い。気がつけば館内には照明が点いており、僕達は既に現実の中にいる。
「仁義なき戦い」シリーズにおいては、映画の冒頭、おそらく最小限のスタッフ及びキャストが観客に紹介されるだけなのだが、逆に僕はその限られた情報を心に刻みつけようと必死になっている。

都合というものも確かにあるのであろう。人間関係や権利の問題、製作資金に関わるやむを得ぬ事情もあるのかも知れない。
しかし、何事も長ければいいというものでは、ない。
ぶった切ったように終わってしまう映画と、延々とクレジットを流し続ける映画と、果たしてどちらがより強く観客の心に残るであろうか。
正直言って、キャストの名前を二度にわたってだらだらと流さなければならない、その理由が僕には理解出来ない。

映画は潔く終わって欲しい。
そして、余韻は、暗闇から現実へと引き戻される、その一瞬にこそあって欲しいと思うのである。
posted by og5 at 21:22| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年11月23日

シネパレ死闘篇〜仁義通します

仁義なき戦い 完結篇仁義なき戦い 完結篇
菅原文太 深作欣二 飯干晃一

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「仁義なき戦い 完結篇」を観た。
当然である。これを観なけりゃ「仁義」が立たない。

実は、初期五部作の中で、これだけは未見であった。1作目から深作監督と名コンビ振りを見せていた笠原和夫も脚本を外れている。何でも、自分(笠原)の中では4作目までで既に完結している、というこだわりがその理由らしいが、それが原因なのか、明らかに肌触りが違う。
村岡組は天政会という政治結社に姿を変えており、神戸の組織とのいざこざもない。話のメインは、天政会会長の武田明(小林旭)が服役中にその代行を務めた同会理事長松村保(北大路欣也)の「仁義ある戦い」であり、広能昌三(菅原文太)等主要メンバー達も、世代交代の波に呑まれ、ある者は死に、またある者はついに引退を決意するに至るのである。
しかし、この「ちょっと不幸な完結篇」は、とにかく面白い。

一番の魅力は、やはり何といっても北大路欣也であろう。もちろん、2作目とは全くの別人という設定。そして、小林旭がまたカッコいい。不思議なのは菅原文太、というか広能昌三であり、主人公でありながら常に(多くの場合)不在なのである。彼はある意味語り部、あるいは狂言回しなのであり、時代の目撃者、証言者なのかも知れない。
山守の親分(金子信雄)は、既に引退しているという設定で出番も少ないが、それでも存在感は抜群である。結局、やはりこの人は決して負けないのだ。
(前述したとおり)脚本家が替わったせいか、ちょっとした(今までにはなかった)ユーモアも感じる。千葉真一に代わり大友勝利を演じた宍戸錠が(すぐに大勢の警官に取り押さえられてしまうが)「二挺拳銃」で殴り込みに行こうとしたり、広能組のチンピラ桜木健一が映画館前の銃撃戦で死ぬ時、倒れた看板の藤純子の顔が寄り添うようにそこに並んでいたり(あれは、もしかしたら「緋牡丹博徒 仁義通します」だろうか)。

瀕死の松村の襲名披露の日、その内一緒に飲まないか、と武田が広能に声をかけるシーンがある。
「そっちとは飲まん」と広能。
「なんでじゃ?」
「死んだモンにすまんけえのう」
不謹慎かも知れないが、カッコ良すぎる。
とにかく、1本の映画として、素晴らしくよく出来ているのだ。

「シネマパレ、間尺に合わない仕事をしてしまいました・・・」(魁夕刊の広告より)
でもね、間尺になんか合わんでもいいじゃない。
こんな、ええモン上映してくれたのう。
ラベル:仁義なき戦い
posted by og5 at 18:10| Comment(5) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年11月18日

「仁義なき戦い」と「忘れられた人々」のある地平

ルイス・ブニュエル監督に「忘れられた人々」という作品がある。主な舞台はメキシコ・シティ。1950年のメキシコ映画だ。
これは、リアリスティックであると同時にシュールリアリスティックかつシリアスなモノクロ作品で、主人公の少年ペドロが、不良達のリーダー格であるハイボのために転げるようにどんどん不幸になって行く救いようのないストーリーには、結局最後の最後まで一筋の光も差すことはない。
そして、僕はその地平に、「仁義なき戦い」を見ずにいられない。

自主上映会の16mmフィルムで、かなり前に一度観ただけなので、細部に関してはもうほとんど忘れてしまったが、僕は未だに、この作品において、子供達がからかい半分に盲目の老人を襲うシーン、及びその後に続く老人の行動を、心の中から消し去ることが出来ずにいる。
社会の矛盾が、必要以上に、富める者と貧しい者とを分かつ。虐げられた大人は子供にその矛先を向けるが、子供の中にも弱肉強食はある。ハイボは子供の世界に君臨する。しかし、彼自身もまた虐げられた子供なのであり、全くの相似形で彼に支配される子供達はただ更に弱い者を探すだけだ。
それが、盲目の老人だった。
だが、僕が本当に驚いたのは、その「最下層」にいると思った老人が、持っていた杖を乱暴に振り回して、飼っている鶏を叩き付けたことである。
そして、間違いなく、鶏にも「もっと下」があるのだ。
富める者、貧者、支配する子供、支配される子供、盲目の老人、物言えぬ鶏。
繰り返すが、僕はその同じ地平に「仁義なき戦い」を見ずにいられないのだ。

特筆すべきは、深作欣二が(もちろんブニュエルも同様であるが)、その「構造」を決して単純に糾弾しているのではないということだ。
そのような「構造」を作るのもまた人間なのであり、多分、人間はそのような「構造」がなければ生きて行くことが出来ないのである。
「忘れられた人々」と「仁義なき戦い」の相違は、そこにダイナミズムとエンタテインメントが盛り込まれているかどうか、にあるであろう。
だが、これはどちらがいいという問題ではない。
posted by og5 at 21:55| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年11月17日

シネパレ死闘篇〜せめて打本を観よ!

仁義なき戦い 代理戦争仁義なき戦い 代理戦争
菅原文太 深作欣二 飯干晃一

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昨日は、昼から仕事をさぼって「仁義なき戦い 代理戦争」及び「仁義なき戦い 頂上作戦」へ。
ワシャこんなことばかりしちょってええんかいのぉ。
しかし「代理戦争」からはいよいよ打本(加藤武)の登場だ。これでいいのだ。

それにしても、村岡組の跡目を山守(金子信雄)と争う立場であり、それなりに人から立てられている存在でもあるのに、打本には決定的に威厳というものが欠けている(ついでに付け加えると、根性も、かますだけのはったりも、ない)。
酒席で山守に侮辱され、悔し涙を流して歯ぎしりするシーンがあるけれど、あれも男泣きというよりは、ただいじめられて泣きべそをかいているだけにしか見えない。
自分の身可愛さに子分を敵に売る。その時ついでに2千万円の借金を申し込んで、そんな奴が何処にいる、と武田(小林旭)に怒鳴られるに至っては、まさに呆れて開いた口がふさがらなかった。

元々「仁義なき戦い」である。しかし、いくら何でも打本のその「なさ加減」は度を外れている。なにしろ、あの山守がまだ一本筋が通っているように思えてしまうくらいなのだ。
その金子信雄のますます脂の乗った怪演に、加藤武は一歩もひけを取っていない。いや、喰ってしまっているほどだ。

実は僕は、明日もまた「代理戦争」を観に行こうと思っている。
もちろん、打本に会いに行くのだ(笑)。

※だから、FORUS秋田8階シネマパレにて上映中だってば!。
『仁義なき戦い 代理戦争』『仁義なき戦い 頂上作戦』11/15〜11/19
『仁義なき戦い 完結篇』11/20〜11/22


仁義なき戦い 頂上作戦仁義なき戦い 頂上作戦
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2007年11月11日

シネパレ死闘篇〜「仁義なき戦い」を観よ!

仁義なき戦い仁義なき戦い
菅原文太 深作欣二 飯干晃一

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「グラインドハウス」の予告編が終わる。
実にあっけなく終わる。
スルスルと幕が引かれてスクリーンがワイドになる。
いきなり岩に打ち付ける波しぶきと三角の東映マーク。
原爆のキノコ雲のモノクロ写真に時代を思う間もなく、まっ赤な血の色の文字と唐突な管弦楽器の音が「仁義なき戦い」の始まりを告げる。

ここで既に感動して震えている僕は馬鹿か。
いや、場内の男ばかり5〜6名の観客全てが、きっとあの東映三角マークに抗い難い何事かを思ったに違いない。
FORUS秋田シネマパレのアニバーサリー企画は、何と「仁義なき戦い」初期5部作の一挙上映だ。
はっきり言って、これは事件である。
絶対に見逃せない。

改めて観ると、1作目「仁義なき戦い」は記憶に残っている以上に端正な作品だった。過不足なく時代背景や人物の相関が語られ、そこに騙す者と騙される者、利用する者と利用される者、裏切る者と裏切られる者の図式が浮かび上がる。血しぶきは飛ぶが、静かだ。怒号が飛び交い、ハンディ・カムで撮影された画期的映像はぶれにぶれて時に焦点さえ合わなくなるが、そこには確固とした様式がある。
2作目「仁義なき戦い 広島死闘篇」は、とにかく北大路欣也に驚く。若い。そしてギラギラしている。ジョニー・デップを彷彿とさせる目の力と、そこに漂う純情、そして絶望に打ちのめされる。
だが、これを支えるのもやはり深作欣二監督の徹底した美意識なのであり、追い詰められた山中(北大路欣也)が暗闇の中でもがくあまりにも痛いシーンは、また同時に限りなく美しい。

変則的上映で期間も限られているから決して観易くはない。
だが、多くの人に是非観て欲しい、と心から思う。
僕は、とにかく観ずにはいられない。

※FORUS秋田8階シネマパレにて上映中。
『仁義なき戦い』、『仁義なき戦い 広島死闘篇』11/10〜11/14
『仁義なき戦い 代理戦争』『仁義なき戦い 頂上作戦』11/15〜11/19
『仁義なき戦い 完結篇』11/20〜11/22


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2007年11月01日

「西野」という装置のことなど〜「クワイエットルームにようこそ」

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あの気持ち悪い気持ち悪い西野(大竹しのぶ)が、佐倉明日香(内田有紀)には絶対的に必要だった。つまりそれは、この映画「クワイエットルームにようこそ」に必要だった、ということではないのか。
あの精神病院は、優れて実効性の高い自己啓発セミナーだ。西野は、佐倉にとって、まるであつらえたみたいにぴったりのセラピストだった。西野が佐倉に近付いて行くということは、佐倉が西野を呼び寄せているということだ。
逆に栗田(中村優子)の不幸は、西野に相手にされないこと、いや、西野を寄せ付けないこと、すなわち本当の自分を見ることを永遠に拒絶してしまっているということに尽きる。
「西野」とは、実はおだてられて木に登ってしまった豚にとっての忌まわしい忌まわしい(だが、なくてはならない)タブーなのである。

人は往々にして豚である。豚ほど木に登りたがる動物はいない。だから、豚はおだてられたくておだてられたくて、いつもそわそわしている。
木に登った豚は、しばらくはいい気持ちだ。下を見ないから。見ることを忘れているから。だが、当然いつまでもそうしているわけにはいかない。
ふと下を見る。自分が、想像以上分不相応に高いところにいるのだ、ということにやっと気付く。だが、気付いたところでどうしようもない。自力では降りることなど出来ない。猿ならば隣りの木の枝に飛び移ることも出来るだろう。猫ならば、木の皮に爪を立てて難なく下まで駆け下りることが出来るだろう。だが、悲しいかな、豚は結局どうしようもなく豚なのだ。
誰かが必要だ。誰か、わざと枝をワサワサと揺らして、あるいは木の幹を思いっ切り蹴飛ばして、愚かな豚をペシャンコになるくらい強烈に地面に叩き付けてくれる、そんな誰かが。
それが、「西野」という装置だ。

この映画のことは、このようにしか書くことが出来ない。観てから、もう既に4〜5日経つというのに、全く「感想」が頭に浮かんで来ない。この映画に対する自分の気持ちが、全然「像」を結ばないのだ。
「面白かったか面白くなかったか」と問われれば「面白かった」と答えるしかないのだが、でも、それでは正確じゃないような気がする。
憶えているのは、映画を観て実に久しぶりに声を出して笑ったということ。例の「トイレじゃないんです〜、トイレじゃないんです〜」のくだり。
また、ミキ役の蒼井優が松尾スズキに「目を四角くまわして」と演技指導された、というのをある雑誌で読んで変に納得したりもした。

ところで、佐倉が鉄ちゃん(宮藤官九郎)と向き合う病院の面会室。テーブルをはさんで座る彼等の間には、鉄ちゃんの連れて来たオウムがいるのだが、僕はあのシーンが大好きだ。
佐倉がまたあそこに戻らないという保証は一切ない。だが、それでもやはり「人生はハッピーだ!」と心底感じさせてくれるのが、この映画の何ともいいところである。

※秋田FORUS8階シネマパレにて、11月30日まで上映中。

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