2007年04月21日

爽やかな青春映画〜「デート・ウィズ・ドリュー」

ブライアン・ハーズリンガーという若者が、クイズ番組で得た1,100ドルの賞金を元手に、「E.T.」の子役で最近では「チャーリーズ・エンジェル/フルスロットル」などでも有名なドリュー・バリモアとデートするためあの手この手でアタックする、というのが、ドキュメンタリー映画「デート・ウィズ・ドリュー」のあらましである。
ホントにこれだけ。
ここには、入り組んだプロットも、作品に深みを与えるようなエピソードも、一切ない。
ブライアンは仕事にあぶれており、当然ながら金にもゆとりがないから、撮影用のカメラも試用品で、「30日以内に目的(デート)を達成することが出来るかどうか」というこの映画の一応のサスペンスも、何のことはない、そのカメラの試用期間が30日間だということに由来しているのであった。

端的に言えば、さえない映画である。ゴージャスなことなど何ひとつ起こらない。だが、この貧弱な映画には、観る者の心を揺さぶる何かがある。
実は、「デート・ウィズ・ドリュー」は、「ロッキー」なのである。
「ロッキー」というのも不思議な映画で、完璧なフィクションでありながら、同時にまたシルヴェスター・スタローンという無名の若者の宣戦布告であり、かつ(無理矢理にこじつけて言えば)ドキュメンタリーでもあったのだ、と感じている。
もちろん、両者から受ける印象は全く異なる。深刻度と感動の種類も違う。
しかし、どうしても僕は、「ロッキー」からも「デート・ウィズ・ドリュー」からも、同じく起案した若者の人生の一部が滲み出る「私小説」の匂いを感じてしまうのである。

彼のチャーミングな笑顔、素直な性格、(男女を問わぬ)温かい友人関係に、何故だか心和んでいる自分を見つけてちょっと驚く。「宣戦布告」ではなくて「運だめし」なのも彼にはぴったりだ。
「デート・ウィズ・ドリュー」に続編は(まして「ファイナル」は)あり得ないだろうけれど、ひねくれ者でも思わず爽やかに涙腺を弛めてしまう、今時珍しいこんな青春映画を、是非たくさんの人に観て欲しいと思うのだ。

※秋田FORUS8階シネマパレにて、4月27日(金)まで上映(26日は、夜の部がないそうです)。
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2007年03月22日

消してしまったもの、失われたものと「天使の詩」

亡くなった娘のパソコンを大型家電店に修理に出したところ、店側のミスによりハードディスクに入っていた大切なデータが消えてしまい精神的苦痛を受けたとして、秋田市の夫婦が500万円の慰謝料を求めて秋田地裁に訴訟を起こしたのだそうである。
消えてしまったデータとは、2004年に20歳で亡くなった娘が、通っていたデザイン専門学校で制作した考案デザインや、その他プライベートな日記やメール記録などで、夫婦は「長女をしのぶことができる貴重なデータだった」と主張しているという。

僕にはこの夫婦と家電店の具体的なやり取りなど判らないし、どのように決着すべきなのかも言う立場ではない。ただ「失われてしまった思い出」ということから、昔観たある映画のことを思い出したのである。
その映画は「天使の詩」というイタリア映画で、僕はそれを中学生の頃に(確か)読売ホールで観たのであった。
もちろん、「天使の詩」において失われるものは、パソコンのデータではない。
幼い兄弟と父親は、亡くなった母の、そして妻の声を失うのである。

<フィレンツェ駐在の英国領事が、妻を失った。彼は幼い二人の息子のうち、しっかり者の兄にだけ母の死を知らせ、弟には黙っていることを約束させる。しかし兄の方は、父親の考えている以上に、母の死にショックを受けていた……。父と子のすれ違いから起こる悲劇を描いたドラマ>

Yahoo!映画の解説を引用すればそういうことなのだが、僕にとって最も強烈な印象となって残っているのは、やはり彼等が母の声を失ってしまうシーンである。

父親は、母親の声が吹き込まれたテープを兄弟がこっそりと聴いているのを知って激怒する。それは、禁じられた遊びであった。もしかしたら父は、兄に自分の補助者たることを望んでいたのかも知れない。
しかし、兄弟にとって、美しい母、優しい母は、そのテープレコーダーを介してのみ、直接的に触れられる存在であった。だから、禁じられても禁じられても、彼等はテープレコーダーをクルクルと回す。
ある日、彼等は誤って録音スイッチを押してしまう。そして、母の声を、永遠に失ってしまうのだ。

映画「天使の詩」においては、かけがえのないものを消してしまう者と失う者が同一であり、その残酷さが堪らなく胸に迫る。
あれは幼い弟の失敗だったろうか。
兄はそれをかばい、ますます父との溝を深くして行った、と僕は記憶しているのだが、あまり定かではない。

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2007年03月13日

「透明人間」に関する映画〜「パフューム」

何となくお洒落な映画だと思って観たのであった。「パフューム−ある人殺しの物語−」のことである。
パフューム=香水、だからお洒落、というどうにもならない短絡的で紋切り型の発想が情けないが、こんな陳腐な想像力によって、僕は「ある人殺しの物語」というサブタイトルすらどっかにやってしまっていたのである。
映画が始まって驚いた。何しろ舞台が18世紀のパリなのだ。おまけに、魚屋の娘がいきなり子供を産み落としてナイフでへその緒を切る。全然お洒落じゃない!

例えば、寓話なら寓話として多少のことなら笑って、あるいは余裕で観ていられるわけである。しかし、それが寓話なのか本気(リアル)なのか判然としないまま物語の中に入ってしまうと、とにかく居心地が悪い。
何だかんだ言って、僕が完全にこのへんてこりんな映画に安心して身を委ねることが出来たのは、やっとクライマックス(僕はあの処刑場のシーンのことを言っている)になってからのことだった。
つまり、僕はものすごく損をしたのである。

きっとこれから観る人の興を大いにそいでしまうから、あまり詳しく内容を言うことは出来ないが、とにかく処刑場のシーンには大笑いだった。いや、実際は、人目を気にして声を出して笑うことなど出来なかったのだが、腹の中では大いに笑った。
囚われの調香師ジャン=バティスト・グルヌイユ(ベン・ウィショー)が、何とも頼りなげに十字架の台の上に立ち、おずおずとハンカチを取り出し、そしてやがてそれを打ち振り群集を陶酔と狂熱に駆り立てて行く様、幸福に酔い痴れるとはこれ程かっこ悪いことなのかと思わず目を背けたくなる間抜け面の老若男女、ジャン=バティストの中途半端なパフォーマンス、特に手を「ジャジャーン!」と二段変速で広げる何ともしまらない所作には、本当に腰が砕けてしまった。

一人も鼻の悪い奴はいなかったのか、とか確かに突っ込みどころがないわけではないのだが、これだけは絶対言えないあの「驚愕の結末」を観るだけでも、お金を払う価値が充分ある、と僕は思う。
自らの「セント=匂い」を持たない男は、奇跡の調香で「無実=イノセント」を手に入れたが、結局はその香水によって「無」に帰してしまう。風に舞うハンカチに群がる崇拝者達を見る彼の虚ろな目は、おそらく既に自分の人生の結末を映していたに違いない。
「パフューム−ある人殺しの物語−」は、実に奇妙な、「透明人間」に関する映画である。

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2007年03月03日

「クリムト」の夜

klimt.jpgいつもながら何の予備知識もなく観たので、最初はお堅い芸術映画なのかなと思っていた。
そしたらまずサロンの場面で、会話に合っているようで全く合っていないグルグル回転するカメラ・ワークに面食らった。いや、はっきり言って腹が立ったのだ。
しかし、僕はいつしか「クリムト」に夢中になっていた。
でも、「いつしか」って、一体いつからだろう。

パリ万博でクリムトはレアと出会う。そして、文化省書記官と名乗る男と出会う。多分、僕はこの書記官をクライブ・バーカーの初期短編集に出て来るような現実的な悪魔だと認識し、(偽者か本物かはともかく、とにかく最初の)レアがクリムトにキスした瞬間「馬の臭いがする」と言ったことに衝撃を受けたのだ。
そして、書記官に語りかけるクリムトに誰かが「独り言を言っているのか」と訝しげな目を向けたその時、僕は最初のガッツ・ポーズを取ったのだ。

誤解をおそれずに言えば、これは古い映画である。だって、誰が今時こんなおかしな映画を撮ろうとするだろうか(いや、誰かが撮ったからこそ公開されているわけだが)。いやいや、僕が言おうとしているのは、そんなことではなく、つまり、これは近頃珍しい真っ当な「映画芸術」だということなのである。
馬鹿にしているのでも、批判しようとしているのでもない。実に大したもんだ。ただただそう思っているのである。

「クリムト」の夜、僕はある妄想に取り憑かれた。それは「幻の蟹」という妄想で、極々簡単に言うと次のようなものである。
いもしない蟹が見えると言い張る男がいる。他の誰にも見えないのに、彼は一匹の蟹が今そこを這い回っていた、と頑なに主張するのである。ところで、この世界には、彼のようにいもしない蟹が見えるという人間が一体何人いるのだろうか。彼等はそれぞれにそれぞれの幻の蟹を見ては大騒ぎを演じる。だが、もしここに蟹ではなく「人々の妄想」が見える人間がいるとしたらどうだろう。彼あるいは彼女には、それこそ全ての「蟹」が見えるのだ。何万何十万という数の「蟹」が、彼あるいは彼女の日常生活の中を蠢く。蠢き続ける。しかも、それは彼等には結局何の関わりもない、所詮は他人の蟹なのだ。

偽りのレア、本物のレア、第3のレア、クリムトのダブル、クリムトのダブルを殴るクリムト、だが雪の中に倒れている本物のクリムト、カフェにいるシーレ、だがカフェの外にいるはずの本当のシーレ、ミディの夢の教授、太っちょモーツァルトの奏でる音楽の変遷とベールの向こうの変わる顔、夜毎訪問する男達、あるいは夜毎に馬車を駆る女、もう夜も更けたのか、それとも手遅れなのか、顕微鏡の中に見える(決して僕達には見えない)模様、鏡、魅力的過ぎるヒゲの女達、そしてドアをバターン! 飛び散る金粉、フラワーズ・・・。
ああ、もう一回観たい!

「クリムト」の夜は、このように更けて行った。

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2007年02月25日

何かが動き出す瞬間〜「上海の伯爵夫人」、「ミッドナイトムービー」

昨日、「上海の伯爵夫人」を観た。
事故で視力を失った元外交官ジャクソン(レイフ・ファインズ)と運命的な出逢いを果たす元伯爵夫人ソフィアを演じるナターシャ・リチャードソンは、「長距離ランナーの孤独」や「トム・ジョーンズの華麗な冒険」、あるいは「ホテル・ニューハンプシャー」などで有名なトニー・リチャードソン監督と、本作でも共演しているヴァネッサ・レッドグレイヴの娘だそうである。
この人、母親ゆずりか、とにかく身体(骨格)が立派。貧乏暮らしをしているにも関わらず気品をしっかり保っている元伯爵夫人、という役柄にぴったりとはまっていた。
そして、同じように、第二次世界大戦前夜の上海租界地区を舞台とし、陳腐なメロドラマになりかねない「運命的出逢い」を描きながら、映画自体にも実に確固とした品格が漂っていた。
これが、カズオ・イシグロとジェイムズ・アイヴォリーの実力というものであろうか。

さて、この映画は決して悲劇ではない。自らが創り上げようとする「理想のバー」の中心には「完璧な女性」であるソフィアが必要不可欠なのだと熱く語るジャクソンに、戸惑いながらもやがて共鳴する何ものかを感じ、微笑み、「では、踊りましょう」と手を差し伸べるソフィアと、それに呼応しゆっくりと立ち上がるジャクソンの間に漂っていたものは、互いの運命が溶けるように動き、そして破裂する、この上もなく眩い光なのであり、この映画は、その「何かが動き出す瞬間」を、それはそれは見事にとらえ切っていたのであった。

ところで僕は、「何かが動き出す瞬間」をとらえた映画を、今日もまた観ることになった。「ミッドナイトムービー」である。
こちらは、「エル・トポ」、「ナイト・オブ・ザ・リビングデッド」、「ピンク・フラミンゴ」、「ハーダー・ゼイ・カム」、「ロッキー・ホラー・ショー」、そして「イレイザー・ヘッド」といった、1970年代に制作されたカルト映画を、それぞれの監督自身はもちろん、当時の関係者達の証言を織り交ぜてオムニバス的に綴ったドキュメンタリーである。
ジョージ・A・ロメロ監督やアレハンドロ・ホドロフスキー監督のインタビューもものすごく怪しくチャーミングだったが、何と言っても「ロッキー・ホラー・ショー」が制作者側の意図とはまるで無関係に(勝手に)盛り上がって行く様が圧巻であった。
同映画の深夜興行に、毎週末集い、まるで自らがキャストででもあるかのように歌い、踊り、ついには映画の登場人物と同じ扮装でスクリーン前で画面と一緒になって演じる「普通の人達」。
何かが動いている。目には見えないし、誰も言葉で説明することなど出来ないのだが、確かに何かが動いている、奇跡的なその瞬間を、僕達は映画館で見ることが出来る。

「上海の伯爵夫人」はシアタープレイタウンで、「ミッドナイトムービー」はシネマパレで、それぞれ上映中である。

ミッドナイト・ムービーミッドナイト・ムービー
アレハンドロ・ホドロフスキー スチュアート・サミュエルズ ジョージ・A・ロメロ

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シアタープレイタウン(秋田有楽町)
シネマパレ(秋田FORUS8階)
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2007年02月12日

長過ぎるPV〜「マリー・アントワネット」

マリー・アントワネットマリー・アントワネット
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妻と一緒に「マリー・アントワネット」を観に行った(妻は二度目)。
映画を観て、こんなにマイナスのエネルギーで満たされたのは、実に久々のことだった。
「『13階段』より駄目だった?」、と妻は数年前に観て二人で呆れ返った反町隆史主演の邦画を引き合いに出したが、比べものにならなかった。
去年観たばかりの、宮崎あおい主演の「初恋」や堤真一主演の「地下鉄(メトロ)に乗って」、それから愛と感動の「ナイロビの蜂」もかなり「嫌い」だったが、多分そのうち忘れてしまうだろうと思う。しかし、「マリー・アントワネット」を忘れることなど、おそらく僕には出来ない。単なる駄作ではないのだ。

主演のキルスティン・ダンストがまず駄目である。意地の悪い婆さんにしか見えないこの貧弱でやや品性に欠ける女主演の映画が、どうして多くの女性達に熱烈に受け入れられているのだろう、と不思議に思う。
70年代ニュー・ウェイヴ以降のヒット曲をふんだんに取り入れているのも何だかあざといし、演出も僕にはちぐはぐにしか思われず、オペラ観劇での拍手のくだりから噴水が勢いよく噴き出すシーンが象徴的に続くあたりではちょっと「おっ」と興味を惹かれて観たが、結局はなんの展開もないまま行き過ぎる無駄カットであった(一応、拍手のエピソードは、後半のあるシーンにだらしなく結び付いてはいるが・・・)。
更に、乱交パーティのシーンでは、思わず「いい加減にしろ!」と叫びそうになった。モラリストとしてではなく、あまりにも下らなくて、である。ハッとして辺りを見回し、「ああ、よかった。叫んでいなかった」と僕は本気で安堵したものである。
とにかく、長い映画であった。3時間以上は椅子に座っていた、そんな気がした。

僕には「ガーリー・ワールド」は無理だ。いや、そうじゃないな。僕にはソフィア・コッポラは無理だ、と言い直そう。
きっと、彼女のやることなすこと全てが、僕には気に入らないのだ。
あの靴が素敵だった、とか、あのドレスの感じが堪らない、とか妻が言うので、それなら映画なんか観てないでその靴だの服だの売ってる店に直接行けばいいじゃないか、と悪態をついたら、判ってないなあ、という顔をされた。どうやらそういう問題ではないらしい。
そして、そこで僕は、この映画の主演が何故キルスティン・ダンストでなければならなかったのかが、何となく理解出来たような気がしたのだ。
これは「広告」だ。つまり、ここで大々的に行われているのは、映画作りではなくて、マーケティングに基づく一大プロモーションだ、ということなのである。
でも、何の?
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2007年02月06日

惹句はダテじゃない「テキサス・チェーンソー ビギニング」

2月3日、人間ドック明けの僕は、妙に軽くなって少しふらふらする頭で「テキサス・チェーンソー ビギニング」を観に行った。
そして、結局、更に頭がふらふらするはめになってしまった。
ひと言で言えば「やり過ぎ」。
「伝説はここから始まった」と言いつつも、オリジナル版「悪魔のいけにえ」にあった「無常観」や得体の知れない「怖さ」、後を引く厭な「不安な感じ」はここにはない。
おそらく、あまりにも全てがあからさまに過ぎるのである。

今思っているのは、「『悪魔のいけにえ』のレザー・フェイスって愛嬌あったんだなあ」である。
あれ程おぞましいと思っていたレザー・フェイスが今では可愛いとさえ思える。上半身だけ太ってて、脚が不自然に細くて、チェーン・ソーの動かし方も何だかぎこちなくて・・・。
しかし、だからこそ怖くて怖くてしょうがなかったのではないか。
「ちょっと愛嬌のある得体の知れないモノ」が意味もなく襲いかかって来る。それがレザー・フェイスの「怖さ」だった。
だが、この新作のレザー・フェイスは、とにかくただただ醜くてでかくて強い。

そもそも、この映画を観る時、観客は既にその十年後を知っているわけだ。この一家は捕まりもしなければ死にもしない。つまり、可哀想な犠牲者達は間違いなく殺されるということが、最初から前提となってしまっているわけである。
それでもハラハラドキドキはする。ビックリもする。逃げまどう女の娘のジーンズはお約束のように股が浅く、屈む度にお尻がチラチラと見える。偽保安官・ホイトに扮するR・リー・アーメイの怪演は、それにしてもやはりもの凄いとしか言いようがない、等々、確かに見所は随所にあるのだが・・・。

「テキサス・チェーンソー ビギニング」にはムードというものが全くない、と僕は思うけれど、反対にそこがいい、と言う人ももちろんいるだろう。
よく憶えていないのだが、R・リー・アーメイは、やはり僕の大嫌いな「セブン」にも出演していたそうで、あれが好きな人なら本作も気に入るかも知れないな、などと無責任なことをちょっと考えたりもする。
いずれにせよ、「覚悟がなければ、観てはいけない」という惹句は、なるほどダテじゃあなかったのである。

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2007年01月13日

「かもめ食堂」の研究

かもめ食堂かもめ食堂
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キネマ旬報の2006邦画ベスト10を見たら、「かもめ食堂」が第9位に入っていて少し驚いた。僕の中では全く評価の対象外だったので、好みや評価というのは本当に人それぞれなのだなあ、と改めて感じた(当然「人それぞれ」の「人」の中には僕も含まれている)。

この映画については、観た直後、妻のブログ(Chicken's Everyday)に短いコメントを寄せただけであった。
その時のコメントとは、「まさこさんは、どうして、あの食堂のコーヒーを一口二口飲んだだけで、いつもきっとさっさと何か用を思いついて出て行ってしまうのだろうか。本当はまさこさんは、あそこのコーヒーをあんまり好きじゃないのじゃないだろうか」というもので、これには実は今でも確信を持っている。
暇つぶしに、もう少し掘り下げてみよう。

そもそも、サチエ(小林聡美)には、客に対して美味しいコーヒーを提供しようという気がない。「まじない」で味がよくなったら苦労はしないのだ。気持ちは味に影響するだろうから、そういう意味では全く効果なしと言い切るつもりもないのだが、それにしてももし本気で美味しいコーヒーを客に出そうと思ったら、サチエには「まじない」よりも先にまずやらなければならないことがあるはずで、それは言うまでもなく「作り置きはしない」ということである。
サチエはきっと大雑把な性格なのだと思う。彼女の作る料理もまた大雑把な味をしているはずだ。コーヒーは適当に淹れるけど、料理はきちんとプロの仕事をします、なんてことを僕は信じない。
だが、これが多分あの食堂の良さなのである。

「いい加減に生きる」と「大雑把」は明らかに意味が違っていて、サチエはもちろん後者である。彼女は日本では窮屈だったのだろう。フィンランドのかもめが太っているというのは、そういう意味である。
そしておそらく、マサコ(もたいまさこ)は几帳面な性格なのだ。親の介護をしなくてはならないという環境が、ますます彼女に几帳面であることを強いたのかも知れない。大雑把な方が介護を乗り切るには適していただろうが、彼女はそうすることが出来なかった。
だから、彼女が不味いコーヒーにも関わらず、サチエもしくは「かもめ食堂」に惹かれるのは、彼女自身が今こそ「大雑把」になってしまいたいと心の奥で強く願っているからに違いない。
「フィンランド」とは、そういう場所なのだろう。

しかし、やっぱり僕はこの映画をそんなに高く評価することが出来ない。それは、以上のような僕の勝手な想像によるテーマであれ、そうではない何か別の(本当の)テーマであれ、映画「かもめ食堂」がそれをきちんと描けていたとは僕にはどうしても思えないからである。
あるいは、僕にこの映画の素晴らしさを感じる能力が欠けているだけなのかも知れないけれど。
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2007年01月11日

ヤニ臭くない映画〜サンキュー・スモーキング

「THANK YOU FOR SMOKING」をわざわざ「サンキュー・スモーキング」とする意味及び意図はよく判らないが、映画はとても面白かった。
ダン・ヒックス&ヒズ・ホット・リックス好きの僕としては、タイトルバックを初めとするオールド・タイマーで田舎臭いジャズ・サウンドを生かした音楽のセンスにまず拍手。もちろん、タバコのパッケージ・デザインが鮮やかに展開するタイトルバック自体が素晴らしく、余計なことなど何も考えなくていいのだな、といきなりリラックスする。
笑っていいのかどうか悩まなくてはならない映画も結構多いものだが、ここまでお膳立てをして貰えれば後は何も考えずにただ流れに身をゆだねるだけである。

タバコ研究アカデミーの広報部長であるニック・ネイラーという男が主人公。この男、とにかく口が上手くて、どんなことでも自分のペースに引き込み、話をすり替え、相手を煙にまいて言い負かしてしまう、謂わばディベートの天才である。
タバコのパッケージに「ドクロ・マーク」を付けることに躍起となっている上院議員とタバコ研究アカデミーのロビイスト・ニックの対決の構図が、やがて一人の人間対「欺瞞」にすり替わって行くのだけれど、彼は正義感に燃えてその欺瞞を糾弾するわけでも、一般的な意味におけるヒーローになるわけでもない。
観ている側が、いつの間にか世の中の流れとは逆に喫煙派に感情移入するというおかしな立場に立たされてしまっているという点も含め、ここがこの映画のイヤらしくもスマートなところである。

さて、公聴会に向かうニックが自らをジェームズ・スチュアートになぞらえる場面がある。これは言わずもがな「スミス都へ行く」のことで、監督はフランク・キャプラ。1930年代のアメリカ映画だが、長時間にわたるスミスの大演説シーンが有名である。
もっとも、スミスは一身を投げ打って汚職と戦ったのだが、ニックにはそんな判り易い(言い替えれば、大衆に理解を得られ易い)「大義」もなければ姿勢もない。公聴会におけるやり取りも、人を食ったように実にあっさりとしている。
ダム建設推進派の罠で自らに汚職の嫌疑がかけられたことに失望したスミスが、「人民の人民による人民のための政治」というあの有名な言葉により迷いを吹っ切るリンカーン記念堂のシーンに到っては、何とリンカーン大統領像(アメリカ民主主義の象徴)の膝の間に、ニコチン・パッチを貼られて瀕死状態になったニックが半裸姿で横たわる、という何とも間抜けなシーンに置き換えられていて大いに笑った。
「スミス都へ行く」と本作を見比べて、民主主義の「進化」に想いを馳せるのもまた一興であろう。

ところでこの映画、全編タバコにまつわるエピソードで埋め尽くされているのにちっともヤニ臭くないなと思ったら、実際にタバコを吸うシーンがただの一度も出て来なかったような気がするのだが、僕の思い込みだろうか。

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2007年01月01日

恐るべし、フランソワ・オゾン〜僕の「2006ベスト映画」

去年観た映画のまとめ。
去年やった一昨年分のまとめと同じく、青文字が今でも面白かったと思えるもので、赤文字がその中でも特に好きなものである。

空中庭園ふたりの5つの分かれ路/アワーミュージック/歓びを歌にのせて/THE 有頂天ホテル/ラストデイズ/僕のニューヨークライフ/東京ゾンビ/ロード・オブ・ドッグタウン/博士の愛した数式インサイド・ディープ・スロート/ブコウスキー:オールドパンク/愛より強い旅/ガッジョ・ディーロ/僕のスウィングベンゴヒストリー・オブ・バイオレンス/ナイロビの蜂/寝ずの番ステップ!ステップ!ステップ!雪に願うこと/間宮兄弟/ブロークン・フラワーズリバティーンヨコハマメリー/やわらかい生活/変態村プルートで朝食を/君とボクの虹色の世界/花よりもなほフラガールブラック・ダリア/ゆれる/マッチポイント/ある子供/明日へのチケット/地下鉄(メトロ)に乗って/かもめ食堂/ヴェニスの商人/夜よ、こんにちは/美しい人・・・。

「ブラック・ダリア」と「マッチポイント」は、僕の中ではとてもよく似た映画という位置付けになる。単純に、僕はこういうのが大好きなのだ。
「ベンゴ」は、血沸き肉踊る実験映画の傑作。「インサイド・ディープ・スロート」と「ヨコハマメリー」は、味わいは全然違うけれど大好きなドキュメンタリーであった。
「博士の愛した数式」と「変態村」には何か共通点があるような気がするのだが、まだ上手く説明出来ない。
一番泣いたのは何と言っても「フラガール」で、そういう意味ではこれは一番。でも、不思議なことに、今尚僕の心を(時が経つに連れてますます)揺さぶるのは「ふたりの5つの分かれ路」なのである。恐るべし、フランソワ・オゾン。
というわけで、あえてベスト5を選ぶとすれば次のようになる。

第1位:ふたりの5つの分かれ路
第2位:雪に願うこと
第3位:ブラック・ダリア
第4位:博士の愛した数式
第5位:マッチポイント

「マッチポイント」は、これからまたどんどん良くなって来るかも知れない。「ベンゴ」も何処かに潜り込ませたかったが、他も捨て難く取りあえず次点とした。
それにしても、何だかとっても地味である。

ふたりの5つの分かれ路ふたりの5つの分かれ路
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2006年12月22日

「マッチポイント」を深読みする

例えば、コートのこちら側はアメリカ、あちら側はイギリスなのである。
そして今、ウディ・アレンはそのど真ん中で、ネットに弾かれてクルクルと回転している。
どちらに落ちるのか、いや、どちらに落ちたいと思っているのか。
運命はコントロール出来ないが、しかし、あちら側に行きたいと願い、その確率を上げるべく何事かをなすことは出来る。
それは、あるいは「決心」であるかも知れない。
ウディ・アレンの心は揺れている。
もしくは既に決心はついているが、それを声高に宣言する必要が、彼にはあるのかも知れない。

「マッチポイント」で唯一アメリカ出身のノラ(スカーレット・ヨハンソン)があのような運命を辿るのは、いや、あのように処理されるのは、だからウディ・アレンの意志なのであろう。
そうか、これは「決別」の映画なのだ。

※「マッチポイント」〜運命はコントロール出来ないが、映画はコントロール出来るということ
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2006年12月20日

「マッチポイント」〜運命はコントロール出来ないが、映画はコントロール出来るということ

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ウディ・アレンの新作「マッチポイント」を観て感じたのは、何てイギリスっぽいんだろう、ということだった。それもそのはずで、この映画はアレン監督が長年住み慣れたニュー・ヨークに別れを告げ、ロンドンに拠点を移してから初めて撮った作品なのである。いくら情報に疎い僕でも、それぐらいは知っているわけだ。舞台はロンドンで上流社会。でも、だからと言って、それだけで単純にイギリスっぽいと感じたのか、というと実はそうでもない。もちろん、全編に繰り広げられる非常に癖のある発音(後半出て来る二人の刑事の会話、特に痩せてる方の刑事の喋り方なんて冗談みたいだった)の醸し出す雰囲気もそうなのだが、何と言ってもこの映画の一番イギリスっぽいところは、そのヒッチコック・テイストである。

ヒッチコックはイギリス出身だが、後にアメリカへ渡りサスペンスの巨匠と称されるようになる。作品のジャンルやキャリアを度外視すれば、ちょうどアレンとは逆のコースである。
ヒッチコックの映画は、とにかく洗練されている。あまりにスタイリッシュで、時に嘘臭いくらいだが、僕にはどうもそのあたりの映像スタイルを、ウディ・アレンがわざと真似ているような気がしてならないのである。
例えば、各シーンは全て画面としてきっちりとコントロールされている。役者の苦悩の表情も、言い争う男女の激しいやり取りも、ある一線で現実とは明確に切り離されている。
そして、スクリーン・プロセス。
スクリーン・プロセスというのは、ヒッチコックが好んで使った手法で、例えば移動する車中。窓の外に見える街並み。ヒッチコックはその背景を、セットに張られたスクリーンに、別撮りした街の風景を映写機で逆から映し出して表現したのである(つまり僕達は、車窓の景色として、その車の背後にあるスクリーンに映し出された全く別の場所の風景を見ているということ)。
僕の勘違いでなければ、クリス(ジョナサン・リース・メイヤーズ)が乗り込み、直前までの出来事に後部座席で慄くそのタクシーの窓から見えるロンドンの街は、何処か微妙に歪んでいたような気がするのだ。

他にも、テニス・プレイヤーが主人公である点(設定としては特に合致しないが、何となくヒッチコック監督の名作「見知らぬ乗客」を連想させられる)や、古くは「陽のあたる場所」(ストーリー的にもかなり近い)のモンゴメリー・クリフトや(ちょっと違うかも知れないけど)「太陽がいっぱい」のアラン・ドロンに遡る、貧しい青年が上流社会に入り込んで苦悩する、あるいはあがくというストーリー、そして何より冒頭のネットにかかるテニス・ボールの運命に関する比喩とラスト近くの指輪のシーンの対比(刷り込みとそれを利用した心理効果)と、実はノラ(スカーレット・ヨハンソン)もクリス自身もネットにかかったテニス・ボールに過ぎないのではないかという皮肉等々、この映画には観る者の好奇心を刺激する要素がふんだんに盛り込まれている。

とにかく、「マッチポイント」は面白い。ドストエフスキーの「罪と罰」も読みたくなるし、古いオペラのCDも欲しくなる。
僕など、痩せた刑事の訛りを聴くためだけにでも、実はもう一度、秋田FORUSシネマパレまで足を運んでこの映画を観たいと思っているくらいなのである。

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2006年10月23日

「ブラック・ダリア」、「フラガール」そして「ゆれる」

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今日は午後から会社が休みだったので、一人で「ブラック・ダリア」を観に行った。
文句なしの傑作である。何というのか、成分がとにかくピュアなのだ。
パロディというと何だか今ではもうすっかり手垢のついたものみたいなイメージがあるけれど、ブライアン・デ・パルマはやっぱり別格である。
ニヤニヤ(時にはゲラゲラ)笑える上に、たたみかけるようなクライマックスでは、サスペンスの醍醐味ももちろんたっぷりと堪能出来る。
「ブラック・ダリア」は、今日今現在の僕の心のベストテン第1位である(ヒラリー・スワンクとそのママがとにかく怖い、そしていい)。

そういえば、先週末辺りから「フラガール」のことをちょくちょくと思い出している。
そしてそれは、感動的なフラのダンスシーンでも、女達のカッコイイ啖呵でもなく、実は町中からかき集めたストーブで、やっとこさ椰子の樹を暖めて「裏切り者」の男達が未来を掴もうとしているあの場面なのである。
時代は変わる、などと言ってみる。
ちょっとイヤらしいんじゃないのかい、などとも言ってみる。
しかし、あれが「石炭ストーブ」でなくて「石油ストーブ」だったということに、僕は改めて唸っているのである。

一昨日「ゆれる」を観た。これは日本版「カインとアベル」の物語であろうか。
権利を保障される代わりに束縛を余儀なくされた兄と、居場所がないが故に自由に生きるしかなかった弟。智恵子は、彼等双方にとって同時に「永遠に持ち得なかったものの身代わり」として存在してしまったがために、あの悲劇が起こったのだろう。智恵子は、ある意味「生贄」なのだ。
ところで、この映画、確かに面白くはあったのだが、僕には何となく頭でっかちに思えてならなかった。映画自体がゆれている、そんな感じがした。
何故、あの女の子は、赤い風船に全く興味を示さなかったのだろう。
何故、稔は精神鑑定にかけられなかったのだろう。
これは、素人の疑問である。
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2006年10月09日

ああ、泣き死にしそう!〜「フラガール」

フラガールフラガール
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豊川悦司も劇中やや呆れ顔で言っていたように、この映画の中の女達は本当に強い。強くて、そして逞しい。

自堕落な中年男の僕には少々眩し過ぎる蒼井優(紀美子)の、まるで若い木の幹が何かにぶつかりながらも真っ直ぐ空に向かって伸びて行かずにはいられないように上へ上へ前へ前へと突き進む様や、母親の借金により都落ちし不本意ながら炭鉱娘達にフラダンスを教えることになった松雪泰子(平山まどか)の侠気満点の男湯襲撃(少しの躊躇も見せず湯舟にザンブと飛び込んで取っ組み合いを始める)シーンなど、本当に力強く逞しく、そして感動的だった。
しかし、僕にとっては、何と言っても富司純子(谷川千代・紀美子の母)が最高だった。

この映画の中の富司純子は、かつての東映仁侠映画における、愁いを秘めながらも凛とした女侠客でもなく、最近出演した「寝ずの番」で見せた、歳をとっても可愛く色っぽい「女」でもなかった。
富司純子は、本当に炭鉱町の女だった。それも、最高にカッコイイ炭鉱町の女だった。
ピンと伸ばした背筋、微動だにしない視線、その語り口調、そしてきっぱりと人生を受け入れる勇気。
千代は、感動的に美しい。
僕は、こんな富司純子を見せてくれた李鳳宇監督に心から感謝する。

「フラガール」は王道である。次に何が起こるのか、大体の予想がつく。それなのに僕達は泣き、笑い、そして感動する。王道の王道たる所以である。

古いものが廃れて行く時に、そこでしか生きて行けない人々と変わって行こうとする人々の間に起こらざるを得ない軋轢と、彼等全ての裡に生ずる葛藤とを、映画は過不足なく描く。
どちらがいいとか悪いとか決め付けられることではない。個別に見れば、ある状況においてはその時々に善悪はあるだろう。しかし、歴史はあまりにもゆったりと(あるいは時に急激に)動き、そして繰り返す。
だから、いいではないか、と僕は思う。新しい波がやって来て、今後どうなるかは誰にも判らないけれど、ステージ上では炭鉱娘達が見事にフラを踊りきり、千代は感極まって歓声を上げ、しかし同時に今日もまた坑口に向かうトロッコに乗り込む男達がいるのだ。

あの炭鉱町の女達や男達の着ている物の温か味と懐かしい匂いを、僕は知っている。あの長屋の土埃が口に入ったじゃりじゃりした感じとその味を、僕は知っている。
もちろん炭鉱町ではないけれど、かつて自分の周りにもあのような古臭い昭和の景色があったのだ。
そして、僕は何故かステージ上のしずちゃんを必死で目で追いかけながら、当時父が買って来た「石炭飴」は、もしかしたら「常磐ハワイアンセンター」土産だったのではないかと、あのニッキの不思議な味を思い出していたのである。
泣き死にしそうになりながら。
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2006年10月01日

あらかじめ失われた父を求めて〜「花よりもなほ」再び

花よりもなほ花よりもなほ
是枝 裕和

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宗左衛門は如何にして「仇討ち」から逃げおおせたのか、と再度考えてみた。
彼が「へっぴり侍」だったこと、既に天下泰平の世になっていたこと、長屋の人情に囲まれて日々を過ごしていたこと、おさえという女性に恋心を抱いていたこと、仇の親子とその暮らし振りを見てしまったこと・・・。
しかし、一番の要因は、彼と父との関係性の中にこそあるだろう。つまり、彼は、父の死にそれ程の憤りを感じることが出来なかったのではないか、と僕は思うのだ。

宗左衛門は、父にいつも頼りにならない長男だと言われていた。彼は剣術がからっきし駄目で、しかし、映画後半に到るまで、そのからっきし駄目な剣術しか父から教わったものはなかったと思い込んでいる。
宗左衛門の弟は、仇の屋敷のその朽ち果てた様を見て憐れを口にした兄に向かって、あなたには父の墓を参る資格がない、とまで言う。このいかにも武士然とした弟が、父にとって大のお気に入りであったろうことは明らかである。
おそらく、宗左には居場所がなかったのである。

そんな父が、あろうことか、待ったするしないの口論の末、碁会所で若い侍にあっさりと斬り殺されてしまった。その時、宗左衛門は一体何を思ったか。
肉親が突然死んだ。しかも理不尽に殺されたと知った時、彼の心の中にあったものは怒りか憎しみか悲しみか嘆きか。いや、それともそんな風に言葉で明確に言い表すことの出来る感情ではないもっと曖昧なもの、あるいは武士としては決して口に出してはならない、心の中に思うことさえ憚られる類のものではなかったのか。
それは、例えば「安堵」を伴う何かではなかったのか、と僕は思っている。

宗左がもし、父から解放されたのではなく、父を失ったのだとしたら、彼の「生きる」は全く違ったものになっていただろう。仇は正に仇であり、彼の物語はあんなには温かいものにならなかったに違いない。だが、それは決して否定されるべき生き方ではない。愛する者、尊敬する者を自分から奪った者に復讐心を抱くこともまた、人間にとってごく普通の感情だと思うからである。
「仇討ち」という制度の是非を別にして、宗左衛門のようには「生きる」ことの出来なかった多くの侍達の存在を考える時、僕にはやはり手放しで宗左衛門ばかりを褒め称えるわけにはいかないのではないかという思いが残る。
どちらもやはり、間違いなく、それぞれにそれぞれの「人生」なのだ。

宗左衛門の父は、失う前から失われていた。そして、彼の旅は、そのあらかじめ失われていた父を探し求め、父の再発見と共に自らの人生の意味をもまたそこに見出す旅であった。
「花よりもなほ」は、僕にとって一つの可能性であり、また同時にファンタジーでもある。
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2006年09月26日

「花よりもなほ」〜潔くか、それとも

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是枝裕和 岡田准一 宮沢りえ

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僕は「幻の光」を好きではなかった。
もう10年以上も前の十文字映画祭で観た是枝裕和の初監督作品は、僕の気持ちを苛つかせるだけだった。
テーマがどうのテクニックがどうのといった問題ではない。僕には、是枝監督がわざとやっていたに違いない観客を拒絶する演出が堪えられなかったのである。

闇さえも、光を以って表わすのが映画なのだと僕は思う。そして、「ミツバチのささやき」におけるビクトル・エリセの映像が、そのことを雄弁に物語っている。
あそこには何と美しい光が満ち溢れていることか。そして、何と深い闇が密やかに、しかし豊かに横たわっていることか・・・。
しかし、「幻の光」には、決定的に光が足りなかった。「幻の光」の光は、ある意図を持って観客から遠ざけられていた。僕は、それを彼の驕りだと思った。

だが、「誰も知らない」には、「幻の光」のような青臭さは微塵もなかった。子供達を見つめる眼は決して情に流されず、まるで硬く尖った彫刻刀で彫り出されたオブジェのように観る者に真摯な問いを投げかける。
ある意味、「誰も知らない」は情を拒絶した作品だった。
そして、「花よりもなほ」には情が溢れていた。

青木宗左衛門(岡田准一)が如何にして「仇討ち」から逃げ出すかを描いた「花よりもなほ」は、生きようとする者を肯定する映画である。「仇討ち」は「しがらみ」であり「大義」だが、そんなものより生きることの方が大事なのだとこの映画は言う。
思えば、「誰も知らない」において大人はいつも無責任だったが、「花よりもなほ」における「逃避」はしっかりと誠実さに支えられている。
綺麗ごとだけでは済まない現実を知りながら、あえて「こういう道もありますよ」と言っているわけで、だからこそこの映画はしみじみと奥深い。
「誠実に逃げる」とは、実は狡猾だということでもある。
花は翌年もまた綺麗に咲くことを知っているからこそ潔く散るのであれば、自らを花になぞらえ(死んでしまったらもうお仕舞なのに)潔く散ろうなどとは愚の骨頂であろう。

「花よりもなほ」に続くひと言が何であるのかは明白である。
そして、ここで僕は、情に溢れた「花よりもなほ」と対比すべきは、情を拒絶した世界で生きている「誰も知らない」のあの子供達だったのだと初めて気付くのだ。
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2006年09月18日

「君とボクの虹色の世界」の奇妙な世界

君とボクの虹色の世界君とボクの虹色の世界
ミランダ・ジュライ ジョン・ホークス マイルス・トンプソン

ハピネット・ピクチャーズ 2006-10-27
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「君とボクの虹色の世界」は、とっても変わった映画である。監督ミランダ・ジュライの色彩感覚はかなり独特で、主演も兼ねている本人のルックス及びファッション・センスも相俟って、この映画をひと際風変わりにしている。しかし、一番「変わっている」のは(多分)登場人物達の観客に対する位置関係であり、その意味だろう。

高齢者専用タクシーの運転手をしながらアートビデオ制作に忙しいクリスティーン、離婚したばかりでその影響からか二人の息子とギクシャクした関係しか持つことが出来ない靴屋の店員リチャード、パソコンでチャットばかりやっている彼の二人の息子達、その兄ピーターの同級生でちょっと好奇心過多気味のヘザーとレベッカ等々。
彼等の見た目は、みんなあまりにも「普通」で、お世辞にも魅力的だとは言い難い。少なくとも、アメリカ映画では珍しいパターンだと、かなり偏った経験から勝手に僕はそう思う。
ところが、この映画の中では、そのごく「普通」で魅力に乏しい彼等が、実に効果的なのだ。

「君とボクの虹色の世界」の住人達は、揃いも揃って少し不自然に不安定で危うい。
クリスティーンは自分がアーティストとして認められないのではないかと不安な日々を送っているし、偶然知り合ったリチャードに対する恋愛感情もちょっとストーカーっぽい。リチャードはリチャードで、ライターのオイルを手にかけて自ら火を放ち大火傷を負うようなかなりエキセントリックな男である。ピーターは現実世界の人間関係から逃げ出したいパソコンおたくだし、弟のロビーに到っては、兄の真似をして勝手にパソコンをいじり、見知らぬ女と「うんちの出し入れ」を語り、挙句の果てには公園のベンチで待ち合わせまでしてしまう。そして、ヘザーとレベッカの妄想は、自分達にちょっかいを出した中年男の家の窓ガラスに、男の願望として貼り出される。

これは、かなり危険な世界である。等身大でありながら危険であるということが、この映画を際立たせている。結果、僕達は非日常の世界で、初めて「鳥の眼」を手に入れることが出来る。
ドットやセミコロンを使ってピーターが作り出した「立っている人、横になっている人、それを見ている人」(Me and You and Everyone We Know)の世界は、ピーターの現実逃避であると同時に、実は突き詰めればこの世界そのものでもあるということなのだろう。そして、その現実世界で、彼等も僕達も、皆どう他人と関わったらいいのか判らず右往左往している。
「ウンチの出し入れ」はロビーにとっては単純に母を求める行為であるが、大人にとっては、もはや失われてしまった究極のコミュニケーションへの強烈なノスタルジーなのだ。

ここに描かれているものは、「ガーリーワールド」などではない。これは、愛に満ちた「ヌーベル・バーグ」である。

※ロビーがチャットで用いたお尻の図 → ))<>((
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2006年09月16日

キトゥンをずっと見ていたい〜「プルートで朝食を」

Breakfast on PlutoBreakfast on Pluto
Original Soundtrack

Milan 2006-01-24
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とにかくキトゥンが魅力的だった。
少年時代の彼も良かったけれど、やはり何といっても十代後半以降の、キリアン・マーフィー演じるキトゥンが最高だった。あまりにもはまっていて、途中から、「パトリック”キトゥン”・ブレイデン」を見ているのか、「キリアン・マーフィー」を見ているのか判らなくなってしまった程である。

キトゥンの描き方が実に巧みである。
いつも笑顔でいることで外の世界と向き合って来た彼にだって、一人きりの時には暗く思い悩む瞬間は何度もあっただろうに、そんなシーンはまず殆ど出て来ることがない。
どちらかというとキトゥンはいつも上滑り気味で、時としてこのような描写はその人物を深みのない単なる記号にしてしまうものだが、しかし、にも関わらず、彼に対する我々の印象は決して上滑りになることなく、キトゥンは「生きた人物」としてしっかりと観る者に印象付けられる。身軽でありながら深みを失っていないのだ。
音楽も実に効果的に使われている。細かな章立てになっている各エピソードは、その一つひとつにまるでテーマ曲のように音楽が寄り添い、そして画面に勢いを与える。
僕は「プルートで朝食を」を観ながら、思わず踊り出したくなっていた(特に、モホークスの歌と演奏、そしてそれを観て飛び跳ねるキトゥンが最高!)。

キトゥン自身が折に触れ「うんざりだ」と独白しているように、物語の背景自体は北アイルランドを巡るテロ事件が頻発する「シリアス」な時代である。
だが、この映画は決して暗くならない。幼馴染のローレンスやアーウィンの死といった重い出来事もたくさん起こるが、それら「シリアス」な事件がどういうわけか孤立せず、成り行き任せのキトゥンの日常や妄想とごく自然に共存しているのである。そう、まるで僕達の実生活のように。
僕は、この映画の「理由もないのに前向きな感じ」から、「ホテル・ニューハンプシャー」を連想していた。もちろん、両者に関連性などないだろうし、僕の連想は極々個人的なものでしかない。しかし(上手く説明出来ないのだが)、「プルートで朝食を」と「ホテル・ニューハンプシャー」の間には、何か非常に似通った精神が流れていると思うのである。
「作り物として構築することによって得られた生命力」と、僕はそれを取りあえず呼ぼうと思う。

僕は同性愛者ではなく、また女装趣味を持っているわけでもないけれど、ずっとずっとこのままキトゥンを見続けていたいと思った。
キトゥンは、それ程僕を幸せな気持ちにしてくれた(妻には内緒)。
人は映画を観て様々な感情を喚起される。「幸福感」もその一つであるが、「プルートで朝食を」あるいはキトゥンを観て僕が感じた「幸福感」は、何とも独特な色あいと匂いを持っている。

ホテル・ニューハンプシャーホテル・ニューハンプシャー
ジョン・アーヴィング トニー・リチャードソン ジョディ・フォスター

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2006年09月13日

愛に関する物語〜「変態村」

変態村変態村
ファブリス・ドゥ・ヴェルツ ローラン・リュカ ジャッキー・ベロワイエ

キングレコード 2006-10-04
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人は、結局、それぞれ自分勝手にしか人を愛することが出来ない。時に、それは相手が誰であろうが関係ない妄想になる。そして、それは大なり小なり、誰もが日常的に行っている愛の営みでもあるのだ。
マルクは、意味もなく人に愛される。老婆に、小屋主に。
彼女達の愛は、果たして異常だろうか。
人の想いは止められない。人の想いは、少なくとも「想う」という次元においては、正常も異常もないのである。

「変態村」は愛に満ちている。マルクに恋焦がれる女達。行方不明の愛犬を探すボリス。そして「グロリアの帰還」に心掻き乱され、喜びに(あるいは嫉妬に)身を打ち震わせる男達。
しかし、注目すべきは、実は彼等にとって相手はマルクでなくても愛犬ベラでなくてもよく、もう死んでいると判っているかつて恋焦がれた女でさえなくてもいいということである。
相手は誰でもいいのだ。もし「愛」が「想う気持ち」でその軽重を量られるなら、彼等の愛は文句なく「至上の愛」である。

映画はまた、「自分のもの」にこだわる。独り占めやジェラシーが「愛」の発露の一つであることは百も承知だが、彼等の独占欲の底なし加減にはただただ唖然とするしかない。
何故か。本当は、「アレ」が極々自然な姿であるということを、僕達が知っているからである。
「見たいけど見たくないもの」には真実がある。いや、少なくとも無視出来ない何物かが含有されている、と言うべきかも知れないが。
グロリアを巡るバルテルと村人の確執と、ベラとしてボリスに確保される牛と村人のエピソードは全く同質なのだ。

愛に盲目となった者は、対象が何であろうととにかく奪う。奪われた者は、死に物狂いで奪い返す。奪い返そうとする。
奪う者と奪われる者は判る。だが、その奪われる対象としての存在を、僕達は一体どう考えたらいいのか。
誰が誰から奪うのか。そして、誰を奪うのか。
原題「CALVAIRE」は、ネット翻訳によれば「殉教」である。「愛」はいつでも「犠牲」なくしては成り立たないというのか。だとしたら、この映画はもはや「哲学」だ。

激情ピアノ、必ずペアで踊られるゾンビ・ダンス、「ペアがいないから」一人パブの椅子に腰かけてじっとしているしかない老人・・・。
その老人は(まるで「愛」のような)底なし沼に沈んで行ったが、最後にマルクから発せられるひと言に、僕の魂は震えた。
あの老人が沈んで行ったのはどのような世界であるのか。一方的に奪われた者が、何故最後にあのようなひと言を発することが出来たのか。

「みんなあなたが大好き。でも本当はうんざりしてるの」

これは「愛」に関する物語である。

豚小屋豚小屋
ピエル・パオロ・パゾリーニ ピエール・クレマンティ フランコ・チッティ

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2006年09月11日

寺島しのぶの「匂い」の映画〜「やわらかい生活」

昨日、「やわらかい生活」を観て来た。
妻は僕に、「この映画そんなに観る気ないんじゃなかった?」と念を押したのだが、「いや、観たいと思ってたよ」とか言って同行したのである。
が、映画が始まってすぐに、僕は自分の間違いに気付いた。いや、正確に言えば、本編が始まる前の予告編を見ている時点ですでに、僕の頭の中にはクエスチョンマークがたくさん並んでいた。何のことはない、僕は、「やわらかい生活」と「ゆれる」を混同していたのである。
「何故?」と尋ねられても困る。本当に困る。

さて、期せずして観た「やわらかい生活」は、僕に日活ロマンポルノを想起させた。風景の湿った感じとか、起こることがとにかく個人的なことでしかないというのもそうなのだが、僕にそんなことを思い起こさせた最も大きな要因は、やはり何といっても寺島しのぶである。
寺島しのぶは、僕に強く日活ロマンポルノを意識させる。彼女主演で、誰か日活ロマンポルノの新作を撮らないかなと思ったくらいだ。
それ程、寺島しのぶは生々しくて、そして独特の匂いに満ちていた。

日活ロマンポルノの女優達は、映画館の暗がりの中に棲んでいた。だから、彼女達の裸は、映画館から白日の町に一歩足を踏み出すと途端に色褪せてしまった。しかし、彼女達の匂いだけはいつまでも残った。それは、生活の匂い(臭い)だった。
寺島しのぶには、その匂いがある。
あのブーツ、あの歩き方、そしてあの目。
妻夫木聡がどうしてもヤクザに見えないことも、映画自体がちょっと長過ぎることも、どうでもいい。この映画が「いい映画」なのかどうかさえ、僕にとってはもうどうだっていいことなのである。
日活ロマンポルノの脚本も多く手がけている脚本家・荒井晴彦の存在も、この作品に大きな影響を与えているのだろう。しかし、この映画の何とも言えない薄青い雰囲気を、果たして寺島しのぶ以外の一体誰がこのように演じることが出来ただろうか。

ところで、「やわらかい生活」は女性のための映画なのだろうか、とふと思う。
実は、僕はまだそう簡単には割り切ることが出来ないでいる。
心の何処かに、これは本当は男のためのお伽話なのではないか、という気持ちが消し難くあるのだ。
だって、優子は理想的な女ではないか。それが証拠に、この映画に出て来る男達は、誰一人として傷付かないではないか・・・。

足踏みポンプでビニールベッドに空気を送り込みながら、現実逃避する。
ああ、これはやっぱり「お伽話」だ。

※同じコンビ、というかトリオである。
      ↓
ヴァイブレータ スペシャル・エディションヴァイブレータ スペシャル・エディション
荒井晴彦 廣木隆一 寺島しのぶ

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