2008年04月15日

湧いて出るモノ

ブリキ男ブリキ男
秋山 祐徳太子

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秋山祐徳太子の自伝「ブリキ男」を読んだ。
僕が知っている秋山祐徳太子は、東京都知事選挙泡沫候補の変なおっさん、時たま藤本義一司会の11PM(木曜日)に出て来る変なおっさん、そして言わずもがなグリコのキャラクターに扮しところかまわず出没する変なおっさん、である。
11PMについては「記憶」であり、実際に出演していたのかどうかは自信がないのだけれど、とにかく、つまり、要するに、早い話が、彼はいつでも「変なおっさん」なのであった。

「マッカーサーを射殺せよ!」などという小見出しからも判るとおり、秋山祐徳太子は結構な軍国少年であった。しかし、そのまま右翼になるわけではなく、武蔵野美術大学在学中には学生運動に傾倒し、社会人になってからは組合運動にのめり込むという、全くよく判らない経歴を辿る。そして、その時々常にあるのが「芸術家」としての彼一流のパフォーマンスなのである。
ここでは、芸術はまだカウンター・カルチャーと一体で、いや少なくともある部分で様々な時代の青さとシンクロし、周囲に荒い息を吐いていた。
しかし、同時代のアート集団が「儀式」と称し過激なパフォーマンスに突っ走るのを傍目に、ナンセンスと笑いに自らの存在意義を探る秋山祐徳太子は、もはや既に別格である。そしてまた、そうでありながら彼が決して他者を排除しないことに僕は驚く。
この本を読んで判ることは、秋山祐徳太子は秋山祐徳太子だということだ。「右翼」も「学生運動」も、そして温泉の中の放尿も、いずれも確実に彼の裡から出たものであり、一切矛盾がないのだ。
また、彼の母親以外には彼を育てることは出来なかったであろうということ。この本は、まるで母親へのラブレターのようである。

芸術とは何か、と問われれば、人である、と今僕は思う。
秋山祐徳太子は迷惑である。勝手に湧いて出る。だから芸術だ、などと言うつもりはないが、それが(単なるこじつけとしか思えない「一発ギャグ」をも含めて)芸術の大きな要素のひとつであることは否定しようがない。
「文化・芸術を育てる」ってよく言うけどそんなの変だよね、といきつけの店のマスターは言うのであった。僕も、もちろんその意見に激しく同意した。
そんなものは育てるものではない。除草剤を撒いても勝手に湧いて出て来る迷惑なモノ。それが「ブリキ男」で呼ばれているところの「芸術」というものなのではないか。

※これも最高だ!
   ↓
泡沫桀人列伝―知られざる超前衛泡沫桀人列伝―知られざる超前衛
秋山 祐徳太子

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ラベル:秋山祐徳太子
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2007年12月28日

この人を観よ! 「この人」ってギュウチャン!

前衛の道 (GYUCHANG EXPLOSION!PROJECT)前衛の道 (GYUCHANG EXPLOSION!PROJECT)
篠原 有司男

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アンフォルメル、アンデパンダン、ネオ・ダダ、ポップ、オップなんて、はっきりいって丸っきり意味など判らないのだ。たとえそれが「非定型芸術」のことだの「無審査・無賞の展覧会」のことだの何だのかんだのと聞いたところで、結局ピンと来はしない。しかし、アクション・ペインティングやボクシング・ペインティングなら何とかなるぞ。いや、何ともならないかも知れないが、取りあえず像は浮かんで来る。それでいいのだ。

篠原有司男の「前衛の道」を、ラッパ吹きの友人から一方的に貸されて読んだ。彼からは他にも佐伯俊男だの山下菊二だの借りていて、そういえば山下菊二展の図録と一緒に渡された「超芸術(Art in Action)前衛美術家たちの足跡1963-1969」という本の中にも、実に楽しそうにモデルにペンキをぶちまける「ギュウチャン」の勇姿があった(「有司男」は「うしお」と読む。それで「ギュウチャン」。ちなみに本名は「牛男」!)。

驚くのは、「超芸術〜」のタイトルが示す通り「この時代」が今から40年も前のことだということで、僕には篠原有司男は(モヒカンだし、モットーは「早く、美しく、リズミカル」だし)どうしたってパンク野郎にしか見えないのである。
その「パンク」だって今からもう既に30年も前の「爆発」で、未だに爆発し続けているこの人は凄いとしか言いようがない(そう、「ギュウチャン」は未だバリバリなのだ!)。

爆発し続ける「ギュウチャン」の「今」は、彼自身のブログで観たり読んだりすることが出来る。畏れ多くてトラックバックなど出来ないが、リンクだけは貼らせて頂く。

<篠原有司男公式ブログ〜篠原有司男ことギュウチャンブログ

2007年12月4日付けの最新記事「樋口一葉と前衛画家」を読んで、買ったままになっている「にごりえ・たけくらべ」を、早速読もう、今すぐ読もう、と即座に決意した。
ロスアンジェルス。イエローの蛍光色甚平に身を包み、残り少ない頭頂部の毛をモヒカンにして、12メートルもあるド派手な壁面にボクシング・ペインティングを決める75歳。
カッコ良過ぎる(溜息)。

篠原有司男対談集 早く、美しく、そしてリズミカルであれ (GYUCHANG EXPLOSION!PROJECT)篠原有司男対談集 早く、美しく、そしてリズミカルであれ (GYUCHANG EXPLOSION!PROJECT)
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2006年08月20日

弘前で「架空の海」を観る〜「YOSHITOMO NARA + graf A to Z」

This is a time of... S.M.L. yoshitomo nara + “graf ”This is a time of... S.M.L. yoshitomo nara + “graf ”
永野 雅子

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「YOSHITOMO NARA + graf A to Z」を妻と一緒に観て来た。
これは、青森県弘前市出身の奈良美智が、「graf」というクリエイティブユニットと共に、同市吉野町にある吉井酒造煉瓦倉庫の広大な空間を使って作り上げた「架空の街」をテーマにした展覧会で、7月末からおよそ3ヵ月の予定で開催されている。
この吉井酒造煉瓦倉庫、大正時代の建築で、延べ床面積は4千平方メートル程にもなるという。こういう古いものがちゃんと残り、しかもそれがしっかりと「生きている」隣県の現状を、僕はとても羨ましいと思った。

さて、「YOSHITOMO NARA + graf A to Z」である。
まず、だだっ広い空間を使って、廃材によりそこに「架空の街」を作ろうという発想が面白い。こういう「発想」というのはややもすると企画倒れになりがちで、その原因は頭の中のアイディアを具現化する時にダイナミズムが失われてしまうからではないかと僕は思うのだけれど、「YOSHITOMO NARA + graf A to Z」はちゃんと(ダイナミズムを失わずに)「生きて」いた。これは、素晴らしいことだと思う(一階の建物群を小二階の小窓から覗き見るというスペースがあって、そこから「街」を見渡すと、自分は今「銀河鉄道の夜」のジョバンニが見ていたあの広場を見下ろしているのではないかという気分になった)。

作品では、何と言っても倉庫二階に作られた「架空の海(勝手にそう呼んでいる)」がよかった。「フェリーニのアマルコルド」で観たような黒いポリエチレン様の贋物の海に、大きな張りぼての船が浮いている。遠くには、クラゲなのか小島なのか、真っ白いプラスチック製と思しき「あの表情」をした子供の大きな頭が3つばかり浮かんでおり、不機嫌そうにこちらを睨んでいる。とにかく、ごちゃごちゃしていなくて、茫漠と広いのがいい。
実は、僕は奈良美智の描く画(特に、あのひねくれた表情をした女児の顔)が好きではない。「そっちがその気ならこっちも嫌ってやる」という気分になってしまうからだが、少なくとも「架空の海」は、僕にとってのもう一つの「奈良美智」になったのだ。

残念だった点も、ある。これは、「作品」というよりは「見せ方」の問題で、一つ一つの部屋(小屋?)に張り付いている監視員が何とも邪魔なのである(何しろ、観客は常に監視されているわけで、甚だしく雰囲気を壊す)。僕も、ドアがたくさん並んだあるコーナーで、どうしても中に入って(中から)外を見てみたくなり妻に頼んで外からドアを閉めて貰うと、途端に監視員に叱られた。「ドアは中に人がいる時は開けたままにしておかなくてはならない」のだそうで、僕は思わず、「ここは昔の女子寮か!」と(心の中で)判りにくい悪態をついた。
いずれにせよ、このような展覧会において、「見方」にあまりに融通の利かない制約を課すことの馬鹿馬鹿しさを、彼等はもう少し認識した方がいいのではないか。いや、作品を護るためであることは重々承知しているのだが・・・。

青森は秋田よりもずっと涼しかった。
弘前で道に迷った僕達に、聴き取り辛い津軽弁で高速までの行き方を教えてくれたおじさんは、手に缶コーヒーを持ち、バミューダパンツをはいていた。
posted by og5 at 13:00| Comment(3) | TrackBack(0) | 芸術 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年03月19日

文珍を聴いて泣く〜林家正蔵襲名披露公演

土曜日、珍しく落語会を聴きに行った。これは、九代林家正蔵を襲名した林家こぶ平が(というか、つまり林家正蔵が)昨年に続き来秋したもので、チケットには「凱旋再公演」と謳われていた。他の出演者は、桂文珍、春風亭小朝、林家いっ平、そして曲芸に翁家勝丸という顔ぶれである。

僕は、実はそれ程熱心な落語ファンではない。演芸は大好きだが、どちらかと言えば、落語よりも漫才の方が好きなのだ。秋田に住んでいるという理由もあって、僕が寄席に落語を聴きに行ったのは過去僅かに二回だけである。今回は「寄席」ではないが、僕が本格的に生で落語を体験するのは、だからこれが三回目ということになる。
正蔵の浅草練歩きの大盛況はテレビで観て知っていた。寄席で何十日も顔見世興行(というのかな?)をやったというのも知っていたが、しかし、襲名披露というものがこれ程長きに渡って行われるものだとは知らなかった。口上で、(こんなにお客が入るなら)もう十年くらい襲名披露をやろうかなと言っていた小朝の言葉も、あながち冗談ではないかも知れないなどと思ってしまうくらいのんびりした話で、何だかこの「襲名披露ツアー」自体が落語の中に出て来るエピソードのようであり微笑ましい。

演目は、文珍が「新篇 能狂言 商社殺油地獄(しょうしゃごろしあぶらのじごく)」、正蔵が「一文笛」、小朝といっ平は調べてみたがちょっと判らなかった。
ネット情報によれば、「一文笛」は元々上方の噺で桂米朝の持ちネタであるとのこと。正蔵自ら頼み込んで米朝に稽古をつけて貰いに行ったというエピソードもこの日語られていたので、ちょうどその頃に教わって覚えた噺の一つなのかも知れない。
さて、初めて正蔵の落語を聴いた感想は、何だかあっさりと終わってしまった、であった。元の噺がそもそもどういうものなのかも知らないので、これはあくまでも素人の一印象でしかないのだが、何だか本来はもっと長い噺を急いで途中で切ってしまったような、そんな気がしたのである。いっ平、小朝がそれぞれ20分、文珍が35分あまりの高座だったのに対し、正蔵の高座はちょうど30分程であったから、比べてそれ程短いということもないとは思うのだが・・・。

驚いたのは、文珍であった。
とにかく話が上手い。引き込まれる。そして面白い。この「新篇 能狂言 商社殺油地獄(しょうしゃごろしあぶらのじごく)」は、アラブ駐在の商社マンが、王位を継ぐことになった日本通の王子のために自分達で狂言を演じることになるという筋で、何とその狂言の題が「天才バカボン」であるというとんでもない話なのだが、「や〜な〜ぎ〜の〜し〜た〜に〜ね〜こ〜が〜い〜る〜」「だ〜か〜ら〜ね〜こ〜や〜な〜ぎ〜」とテンポよく繰り広げられるナンセンスな世界にもう大笑いである。
僕はこれを聴きながら三度泣いた。しかし、それは笑い過ぎて腹の皮がよじれて苦しくて泣いたのではない。この噺の中に人情噺的な部分があり、それでほろりとして泣いたのでも、もちろんない。僕は笑っていた。だが、同時に何かに感動して、あらがえず、目尻の辺りがじわじわと刺激されて、そして不思議な涙を流していたのである。
あれは一体何であろうか。
「可笑しくて涙が出る」とは、本来もしかしたらこういうことを指して言うのかも知れない、と僕の目からはまた人生何百枚目かの鱗が落ちるのであった。

桂文珍(5)「老婆の休日」/「ヘイ!マスター」-「朝日名人会」ライヴシリーズ7桂文珍(5)「老婆の休日」/「ヘイ!マスター」-「朝日名人会」ライヴシリーズ7
桂文珍

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posted by og5 at 21:11| 秋田 ☁| Comment(2) | TrackBack(1) | 芸術 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年05月22日

それは、いた。

今回の大阪行きは、カエターノ・ヴェローゾのコンサートが主目的だったが、コンサート当日(15日)の朝、第二の目的であった岡本太郎の太陽の塔を見るためにエキスポランドに出かけた。
心斎橋のホテルから乗り換えに苦労しながらエキスポランドへ。
およそ30分後、列車の窓からそわそわと身を乗り出すようにして左前方を見ていた妻が、突然「いた! いた!」と叫ぶ。
最初僕はそれを見つけることが出来なかったが、列車が駅への到着を前に大きく左側にカーブを切った直後、妻が今度は進行方向に向かって右側の窓を指さしてまた叫んだ。
それは、薄曇りの空を後ろに従えるように屹立していた。僕は何故だか、怪獣映画のよくあるシーンを思い出していた。
都会のビルの谷間や、田舎の遠い山々の向こう側から、異形の巨大なものがヌッと上半身を見せている・・・。その有様は、だから「あった」というよりも、やはり妻が思わず叫んだように「いた」である。
これは、異常な光景だ。
僕はワクワクすると同時に、ある種の恐ろしさに胸をドキドキさせていた。
思ったよりも多い人の流れに乗って長い坂を下って行くと、何車線もある広い道路や線路をはさんで、その向こう側にそいつはいて、そして僕達が歩く姿を追いかけるようにゆっくりとその角度を変えていく。
妻はもう泣いている。
僕ももう泣きそうだ。
太陽の塔だ。

太陽の塔.jpg太陽の塔は、1970年、大阪万博のために岡本太郎がデザイン・制作した一大モニュメントだ。
当時、国産ウィスキーのCMに出演して「顔はいつでも新しい!」と叫んでいた彼を評して、友人の一人が、「あんなこと言いながらいつも同じ顔じゃないか」と言っていたのを思い出す。
当時の僕は、それに何と応えることも出来なかった。確かに、太陽の塔の顔も、グラスの底にある顔も、同じといえば同じに見えた。だが、今目の前にあるその顔は、そんな生やさしいものではなかった。
岡本太郎にとって、たくさんの異なるバリエーションの「顔」を創ることなど何の意味もないことだったろう。一見同じに見える顔、だが、それはわずか数歩歩き見上げる角度を変えるだけで、全く異なる表情になる。不機嫌な王様が泣きかけの赤ん坊になり、そして空を見上げる悲しそうな横顔の若者になる。そして、多分、それは季節によって、天気によって、一日の中でさえ、朝なのか、昼なのか、夜なのかによって、様々な表情を見せるのだろう。グラスの底の顔も、ウィスキーの量、氷の大きさ、部屋の照明、そして何よりそのグラスを手にする人間の心によって、様々な表情を見せたのだろう。
そう、やっぱり顔はいつでも新しい。

僕達はまたここに来なくてはならない。またここに来て、そしてこいつの新しい顔を見なければならない。それまでこいつはここに立っているだろうか。あるいは、僕達はまだ、こいつの新しい顔を見たいと思うような、そんな僕達でいられるだろうか。いや、その時、仮にこいつがもうここにいなくなってしまっていても、僕達はここに来よう。それは、きっとまた新しいこいつの顔だから。
そう思える自分達でいよう。
そんなことを考えていた。

太陽の塔を見上げながら、「これを一人で作るなんでどんなに大変だったろう」と呟いた僕に、妻はすかさずツッコミを入れた。
「んなアホな!」

太陽の塔は、大阪に棲んでいる。
posted by og5 at 13:34| 秋田 | Comment(2) | TrackBack(1) | 芸術 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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