2008年10月12日

カメラ・アイデンティティ

明日は「体育の日」だ。
「ハッピー・マンデー制度」施行により状況は変わってしまったけれど、かつて「体育の日」といえば10月10日であった。この日は統計的にいって晴れの確率が最も高いと何かで読んだことがあるが、本当かどうかは判らない。
いずれにしても、運動会の季節、なのだろう。
テレビのローカル・ニュースでも、この頃は芋掘りと運動会をやたら目にするような気がする。

数日前にも、あるニュース番組で運動会の模様を紹介していた。そして、そのテーマというのが、最近の親のビデオ・カメラで我が子を争って撮影することの過激化なのであった。
脚立まで持ち込んでの身勝手な場所取りを番組は伝えていたが、別に批判的であるというわけでもなかった。むしろ、さも微笑ましいことであるかのように伝えていた。
それもそのはずで、考えてみればマスコミとビデオ親は同じ穴の狢なのである。

かなり前のことであるが、西馬音内の盆踊りを観に行ってがっかりした経験がある。腹が立ったと言ってもいい。盆踊りそのものは素晴らしかったのだが、踊りの列にまとわりついて撮影する素人カメラマン達が邪魔で邪魔でしょうがなかったのだ。
聞くと、彼等は主催者側に「会費」を払って(正規に)その権利を取得しているのだという。
幽玄な祭りの品というものが、わずかばかりの「会費」と引き換えに売り払われてしまったのである。

いつからか判らないが、カメラは万能らしい。いや、全能らしい。
カメラさえ手にすれば、きっと彼等は「神」にだってなれるのだ。
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2008年10月07日

ハチは何処に行った?

先週、もうそろそろ今年の陶芸はお終いかな、などと思いながら陶芸小屋に入った。まだそんなに寒くはないが、今轆轤で挽いたものを乾燥させて素焼きし、更に施釉した後本焼きに入ると考えれば、1ヵ月などあっという間だ。
11月に入ったら、また別の季節がやって来る。

天気が良かったので戸を開けっ放しにしていたのがまずかった。いつの間にやら、小屋の中をスズメバチがぶんぶんと飛んでいる。小屋の東西にある窓を行ったり来たり。また、時に蛍光灯の灯りに気を取られてみたり。だが、北側にある、スズメバチにしても元々自分がいた昆虫の世界に通じる開け放たれた戸口には、彼は全く興味を示さないのであった。

巣に近づいたわけじゃないんだから、あるいは、一匹だけなんだからと思い、気にせず轆轤を挽き続けようと思うのだが、やはりどうもまずい。気まぐれに小屋の中をあっちからこっちへ、こっちからあっちへと飛び回るスズメバチに、僕は完璧に支配されていた。
要するに、こわかったのである。

僕はとうとう諦めて、道具の後始末もほどほどに小屋を後にした。
当然ながら、小屋の戸は締めてしまった。
だが、翌日もまたその翌日も、こわごわと小屋の戸を開ける僕に、スズメバチは一向にその姿を現さない。せっかく近所のスーパーで殺虫剤まで購入して来たのに、彼はいったい何処まで行ってしまったのか。

広い世界がすぐそこにあるのに、何故虫は外に出ることが出来ないのであろう。
しょせん虫の世界の話だと言われればそれまでなのだが、時に虫はすごく迷惑である。
posted by og5 at 22:52| Comment(2) | TrackBack(0) | 雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年10月06日

さるかに合戦

「さるかに合戦」は不思議である。
何が不思議といって、蟹の子供が猿に復讐しようと協力を求めるのが栗と蜂と臼と牛の糞だという点である。生き物でないものが4分の3の割合で含まれている。「協力を求めた」を「使った」に言い換えてもどうも釈然としない。

もし、蟹の子供が本当に親の敵討ちをしたかったのであれば、栗蜂臼牛糞のいずれかの「こらしめ」ポイントの間隙を縫って自らのハサミ攻撃を入れたであろう。しかるに、「さるかに合戦」に蟹自身のトドメはあるか。ない。栗蜂臼牛糞に任せっきりで高みの見物である(というか、後半は殆ど姿を現さない)。
蟹は、ただ泡を吹いていたのだ。

結局、猿は罰が当たって悶絶したに過ぎない。
栗蜂臼牛糞は単なる「道具」なのであって、しかもそれは「蟹の」、ではなく「神の」、である。
だから、芥川龍之介の「猿蟹合戦」における蟹等に対する判決は、不当な矛盾に満ちている、と言うべきであろう。
いわゆる冤罪事件だ。
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2008年10月04日

啓蒙無用

秋田テレビのキャンペーンなのだろう。アナウンサーが楽しそうにエコ活動推進を訴えているスポットを度々目にする。その時、画面下に「この放送に使用している電力は自然エネルギーによってまかなわれている」云々というテロップが流れるのだが、僕はいつも不思議に思っていた。まず「自然エネルギー」というのがよく判らなかったし、「この放送」というように各テレビ番組がそれぞれ分割してそのエネルギー源を使い分けるなどということが可能であるとはどうしても思えなかったからである。

「自然エネルギー」が、地球資源を枯渇させずに電力を得ることの出来るエネルギーを指す言葉だということはすぐに判明した(要するに、太陽・風力・地熱等を利用したエネルギーのこと)。
では、「放送の分割」の方はどうかというと、これが全く判らない。いずれにしてもその他大部分の膨大な放送は相変わらず「枯渇性エネルギー」を使用しているわけだから全然「エコ」になんかならないと思うのだが、彼等はそれを矛盾だとは思っていないのだろう。

いっそ、昔のように夕方の休み時間を取り入れればいいのに、と思う。これは、僕がまだ小学生の頃には普通に行われていたことで、今ほど番組がなかったからなのか、あるいは放送に見合うだけのスポンサーが確保出来なかっただけなのかは不明だが、毎日午後の一定時間帯はテレビ放映が中断されていたのである。これなら各局の放送にかかるエネルギーも、各家庭のテレビ受像にかかる電気代も節約出来る(それに、シンとして薄暗い茶の間は結構居心地のいいものだ)。

考えてみれば、ゴルフ場についてもひと頃は環境破壊の大きな原因のひとつだとして取り上げられていたものだったけれど、当時も今もテレビ局はたんたんとゴルフ中継を流し続けている。一方で環境だエコだと声高に言いながら、他方ではしっかりと都合よく商売をして稼いでいるのだから、そんなものは最初から無視していればいいのかも知れないが、浪費癖があり借金を繰り返してばかりいる親に無駄遣いはよくないと説教を垂れられているような気がして、よせばいいのにむかっ腹が立つのである。

日本以外全部沈没日本以外全部沈没
筒井康隆 右田昌万

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2008年09月28日

哀しいけれど優しい「チェブラーシカ」

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わにのゲーナには「哀感」が漂っている。言葉にしてしまうと何だかありきたりで感じが違ってしまうような気もするのだけれど、いや、それはむしろ「諦念」とでも呼ぶべき静かで実体のある孤独か。
わにのゲーナは「諦念」している。そして、それでもなお彼が友を求めずにはいられないのだという事実が、映画「チェブラーシカ」をもの悲しく、しかし優しく彩る。

勝手に、もっと単純にチェブラーシカの可愛らしさや温かいユーモアを前面に押し出したアニメーションだと思っていたので、少なからず驚いた。動物園で「ワニ」として働くゲーナはもちろん、理解し難いほど意地悪な謎の老女(シャバクリャクという名らしい)など、明らかに「脇役」達の方が活き活きとしている。チェブラーシカは、狂言回しの役にさえ立っていないのではないか、と僕は思った。

ゲーナとチェブラーシカが汽車に乗って旅をする3話目が好きだ。ここでもシャバクリャクは意地悪し放題、ゲーナの大切なもの(切符やアコーディオンなど)盗み放題で、そのアナーキーさは遠く地平線にマルクス兄弟のハーポを思い浮かべさせる。
行動に理由も目的もないところが、そしてもしかしたら悪意さえないかも知れないところが、そっくりなのである。

最後、シャバクリャクとチェブラーシカに切符を渡し、自ら汽車の屋根に上るゲーナが悲しい。
しかし、ゲーナの隣りには、すぐにチェブラーシカがやって来る。そして、シャバクリャクもやって来る。
僕はここに至って初めて、チェブラーシカがゲーナにとってかけがえのない存在なのだということを、そしてシャバクリャクでさえもが同じくそのような存在なのだということを理解する。
アコーディオンを弾きながらゲーナが歌う「空色の汽車」が胸にしみる。

※「空色の汽車」は右HPで聴くことが出来ます()。また、公式HPではチラシもダウンロード可。
posted by og5 at 16:10| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年09月27日

パン屋のストレス

パン屋では、たいていむき出しのままパンを陳列している。たまに袋入りの時もあるが、そうでない場合の方が多い。
パン屋には、様々な人が出入りする。僕がよく行くパン屋でも、ピーク時には、夫婦者や子供連れの主婦、お昼のパンを物色する作業服の男や休憩時間のタクシー運転手、そしてジイサンバアサン達が狭い店内でひしめき合っている。

僕も意を決して店内に入る。そして、ストレスを溜める。
何がいけないといって、子供連れの主婦が一番いけない。
陳列棚の一段目がちょうど子供のお腹あたりに来る高さになっているせいで、そこにはこの上ないサスペンスが展開されることになる。
「触っちゃ駄目よ!」という声が店内に響くたびに、僕はドキッとする。そしてハラハラする。
子供にトングを与えて遊ばせるという親も結構いる。しかし、これが大間違いなのであって、人は子供だろうが大人だろうが、挟むものを手にすれば挟みたくなるものなのである。だから、当然その子供達も店内の陳列品を独自に物色し始める。そして、挟む。
「駄目ッ! ○○ちゃんっ!」
僕のハラハラは限界に達する。

ところで、塩辛や松前漬けの即売会なども商品はむき出しになっているわけだが、こちらの方は子供が間違って(もしくは悪戯して)手を触れるなどということはまずないと思われるので、あまりストレスは溜まらないのであった。
posted by og5 at 22:21| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

太陽とセーター

水温む、は春の季語だが、実は秋の水も何ともいい感じで温いものなのだ、ということを僕は今感じている。

今日の天気は典型的な秋の天気で、晴れたり曇ったり、また強い風が吹いたかと思うといきなりバラバラと雨が降り出したり、といった具合で、実に大忙しの一日であった。
僕は、こんな秋の休日に、昨日轆轤で挽いた徳利にカンナをかけたり、音楽を聴いたりして、ぼんやりと午前を過ごしていた。
そして、その作業の後始末のために、玄関脇の水栓でジャブジャブと道具類を洗っていて、ふと思ったのである。
何て温かい水なんだろう、と。

春の水の温かさは人に希望を与えるが、秋の水の温かさは、これからやって来る淋しい冬を、(しかし)懐かしく人に思い出させる。
それは、いわば太陽とセーターの温かさの違いである。

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posted by og5 at 19:57| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年09月25日

父親を巡る物語〜「ぐるりのこと。」

「ぐるりのこと。」では、3様の父性が描かれる。第一にカナオ(リリー・フランキー)の自殺してしまった父である。第二に、法廷画家を始めたカナオがそこで出会うベテラン記者・安田(柄本明)である。そして、第三が、妻子をおいて遁走した(プロ野球選手でもあった)妻・翔子(木村多江)の父である。

カナオの父と安田は、それぞれ「逃げた父」、「逃げない父」と言い換えることが出来るかも知れない。カナオが、(亡くしてしまった)我が子に素直な愛情を示せなかったのも、カレーの会における(珍しく感情を露わにした)憤りも、この「逃げた父」の影響だ。
それに引きかえ、安田は逃げない。むしろ、こだわり続ける。安田は子供を交通事故で亡くしており、それが未だに彼の行動あるいは生活の(ある意味)足枷ともなっている。彼は、問い続ける(そして、とらわれ続ける)。「逃げない」とは、つまりそういうことでもある。

翔子の父もまた「逃げた父」である。しかし、後に明らかになるように、それは彼自身の身勝手による出奔というよりも、妻(倍賞美津子)の心的逃走の隠れ蓑としての距離的擬似逃走であった。
彼は、翔子に付き合って、名古屋にいる義父に会いに行く。そして、画用紙にその似顔絵を描く。法廷画家である彼は、日常的に人の顔あるいはその表情を描くことを生業としているわけだが、プライベートにおいては、おそらく彼自身が何らかのシンパシーを強く感じたもの(人)しか描いてはいないはずである。子供、義父、そして翔子・・・。
つまり、翔子の父は、カナオにとってある種触媒のような存在となったのである。

いずれにせよ、このようにして「逃げた父」の中にある事情を理解してしまった彼は、自らの父をも(単純に)ただ憎み拒否し続けるということが出来なくなってしまった。
「ぐるりのこと。」は翔子の心の旅を太い縦糸にしてはいるけれど、実はカナオの父探しの物語でもあったのだ、と思う。
再びカレンダーに×印をつけ始めたこの夫婦に子供が授かるのか(カナオ自身が父親になる機会が訪れるのかどうか)は判らないけれど・・・。
posted by og5 at 21:29| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年09月24日

「次郎長三国志」〜(極)個人的泣きどころ

「ぐるりのこと。」でしみじみし、「おくりびと」で嗚咽したのもつかの間、まさか「次郎長三国志」を観てこんなに泣くとは思ってもみなかった。その「心を突き動かされる感覚」は、本当に意外なものであった。

映画は、次郎長(中井貴一)とお蝶(鈴木京香)の祝儀の場面から始まる。しかし、まさにその時、周囲には大勢の捕り方が迫っており、次郎長はやむなくお蝶を後に残し、子分の大政(岸部一徳)らを引き連れ旅に出るはめになる・・・。
実は、僕が(最も)大いに泣いたのは、この導入部から、旅の途中で森の石松(温水洋一)がひと悶着の末一行に加わることになるあたり、そして1年後に清水に戻り本格的に次郎長一家を構えるに至る前半部分なのである。

物語は、それ以降の方が長い。また、お蝶との別れや、それをきっかけとして堪えに堪えていた怒りが一気にあふれクライマックスのチャンバラへとなだれ込むあたりの方が、おそらくはもっとずっと感動的であるはずなのだ。
しかし、僕がしびれたのは、ホントに何でもないような、「旅行けば」のあれやこれやだった。
何て自由なんだろう、と思ったのだ。この伸び伸びした感じは一体何なんだろう、と驚いたのだ。そして、羨ましくて羨ましくてたまらなくなってしまったのだ。
僕は、それこそ嗚咽した。まるで「河童の三平」の三平と狸の喧嘩を見ているようだった森の石松と次郎長達のやり取りや、東海道の青い空、そして彼等の屈託のなさに。

テンポが悪く感じられた後半も、今じわじわと好きになりつつある。
お蝶との約束も反故にして殴り込みをかける次郎長一家はやっぱりカッコいい。
その「大馬鹿者にござんす」な感じが、この映画の真骨頂である。

※前作においても、中井貴一は素敵でしたね。
         ↓
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ラベル:次郎長三国志
posted by og5 at 21:22| Comment(4) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年09月21日

寝床

「三人寄れば虫の知恵」を読み返していたら、奥本大三郎が「図鑑を真似して絵ばかり描いていました」と語っている部分を見つけた。「今でも図鑑は見ませんか?」と養老孟司が問いかけると、「枕元に積んであります」と答えている。
「枕元に積む」のだから奥本先生の寝床はベッドではなく和式の布団なのだろう、と思った。そして、そういえば、僕自身も昔は畳の部屋に敷いた布団の上で、枕元に漫画や教科書やそれこそ図鑑などはべらし、時には奥本先生と同じように挿絵の模写なんかしたものだったなあ、などと懐かしく思い出した。

僕が自身の寝床を和式から洋式に切り替えたのは、確か中学校後半のことであった。そして、考えてみれば、僕はその時ひとつの天国を失ったのである。
何故なら、ベッドは空間を切り取るが、和式布団の枕元は、そのまま部屋全体の床とつながっているからで、手を伸ばせば(あるいはごろごろとそこまで転がって行けば)すぐに何にでもアクセス可能な和式布団は、確かに(子供だった)僕の天国だったのである。
これは、あるいは単なる感傷であろうか。

僕の父は、中年になったある年に、さる旅館の布団敷きの仕事に就いた。昔から「ひと儲け」を企む癖のある人で、何度も何度も職を替えたが、結局、この「番頭さん」が一番長続きしたのではないだろうか。
妻と僕は新婚当時の僅か2年足らずの期間だけアパート暮らしをしたが、そこで布団を敷くのは僕の役目だった。シーツをぴんと張って、きちんと敷布団の縁に折り込んで行く僕を見て、妻はよく「日本一布団を敷くのが上手い」と褒めてくれた。
そんなことにまでDNAが影響を及ぼすのかどうか不明だけれど、そう言われると僕はとても誇らしく、嫌いだった父のことも何だかほんの少しだけ好きになるような、そんな気がするのであった。
posted by og5 at 16:09| Comment(0) | TrackBack(0) | 記憶 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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